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第2話 目覚めのない朝の操り人形(7)
「あなたと良好な関係でいるために、羽は使わない。約束するわ」
〈蛇〉が畳み掛けた。
裏を返せば、彼のほうに良好な関係を築く意思がない場合には、手段を選ばない、という意味にも取れる。しっかりと釘を刺す当たり、なかなか抜け目がない。
「……」
彼は腕を組み、思案顔を作った。だが、それは表向きのことで、彼の心は半ば以上、決まっていた。
〈蛇〉が、くすりと笑う。
それと共に、緩やかな光の波を放っていた羽が、すっと背中に吸い込まれていく。
「そんなに警戒しなくても、あなたはすぐに、この案件に夢中になると思うわ」
「どういうことですか?」
「肉体を扱う〈悪魔〉なら、これ以上はないくらいに、知的好奇心をくすぐる研究だもの」
〈蛇〉は、意味ありげに彼を見やる。絡みつくような視線に、彼はごくりと唾を呑んだ。
薬品棚の前まで移動していた彼は、有無を言わせぬ彼女の雰囲気に押され、椅子に戻る。
時間の流れから取り残されていた古びた研究室は、空間までも切り離されてしまったかのように、外部の気配が薄かった。
静かな輝きをたたえた〈蛇〉の瞳――。
惹き込まれるような闇の双眸と、彼は正面から向き合う。
「あなたに、……『王の肉体』を作ってほしいの」
密談めいた、かすかな囁きだった。
だが彼には、その声が研究室中に響き渡ったように感じられた。
「なっ……!?」
彼は、絶句した。
それは、〈蛇〉の要求が突拍子もなかったから……ではなかった。
逆だった。
ごくごく、当たり前の――。〈悪魔〉にとっては身近すぎて、もはや『研究』とすら呼べないような案件だったからだ。
「そっ……、そんなくだらないことのために、私を生き返らせたのですか!?」
彼は叫んだ。何故なら――。
「王の肉体なら、クローン体の遺伝子が幾つも用意されているでしょう!?」
苛立ちから、怒りのような感情すら湧いてきて、彼は拳を震わせる。
――この国の王位継承権は、天空神フェイレンと同じ容姿を持つ、〈神の御子〉と呼ばれる者にしか与えられない。
しかも、正式な王は男子のみ。女王はあくまでも『仮初めの王』でしかない。
そして、〈神の御子〉が誕生する確率は、決して高くはない……。
こんな制度では、王座はすぐに空となる。
自明の理だ。
――それを救うのが、〈七つの大罪〉の役目のひとつだった。
王家が断絶の危機を迎えたとき、王の私設研究機関である〈七つの大罪〉が、過去の王のクローン体を作り出す。
そうして、王の血は連綿と続いてきたのだ。
「私でなくても、できるはずです。あなたの言っていることは、おかしい」
敵愾心すら込めて、彼は言い放った。
それに対し、予想通りと言わんばかりの表情で、〈蛇〉は打ち消しの言葉を返す。
「『特別な王』を作ってほしいのよ」
「特別……?」
「ええ。――自らの瞳に、世界を映す――視力を持った王……」
慈しみさえ感じられる声で、〈蛇〉が告げた。
だが――。
「な――……!」
彼は、言葉が出なかった。
〈蛇〉が言ったのは、すべてを覆すような、あり得ない暴言だった。
王は、盲目であるべきなのだ。
盲目こそが、王の力の源ともいえる、絶対の条件なのだから――。
「何を馬鹿な! 王は盲目だからこそ、王なのです! そんなことをすれば、王の力は……!」
「ええ、失われるかもしれないわね。だって、それこそが目的だもの」
「なんですと!?」
声を荒立てる彼に、〈蛇〉はゆっくりと頭を振る。
「あなたが死んでいる間に、この国は変わったの。もはや、かつてのような〈七つの大罪〉は存在しないのよ」
「!? いったい、何があったのですか?」
「シルフェン国王陛下が崩御されたわ。現在はアイリー女王陛下の御世」
「王が、代替わりした……」
「そう。そして、シルフェン王は、暗殺による急死だったから、〈七つの大罪〉は次代の王に引き継がれなかったの。〈悪魔〉たちは、それまでに受け取った資金を手に、国中に散っていったわ」
「っ!? 暗殺……!? 引き継がれなかった、だと……!」
あまりの衝撃に、声を失った。
「私は、〈七つの大罪〉の残党、とでもいえばいいかしら?」
呆然とする彼の耳を、〈蛇〉の言葉が、ただ素通りする。
「現在、王宮では、もうじき十五歳になる女王陛下の婚約の準備を進めているところよ。当然、〈神の御子〉を産んでもらうためだけの結婚ね」
「……」
「陛下は、ご自分が道具のように扱われることを、とても嫌悪されているわ。だから、残党の私に、〈神の御子〉を作るように依頼したの」
「……」
「できれば、不気味な力など持たない、神の姿を移しただけの――輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、ただの赤子がほしい、と」
それが――。
『デヴァイン・シンフォニア計画』。
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