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第2話 目覚めのない朝の操り人形(8)
盲目であるべき王の瞳に、光を与える――この難題は、〈蝿〉にとって非常に興味深いものであった。
神話に記された力を持たない、まがい物の王。
王という存在を揺るがす、禁忌の研究。
そういった、背徳的なものに心が踊ったわけではない。純粋な、知的好奇心である。
〈蝿〉は別に、神や王を崇拝しているわけではない。
だから、〈蛇〉から預かった『新たなる王』の基盤となる遺伝子も、彼にしてみれば、ただの素材にすぎなかった。
その『素材』の秘密に……やがて彼は、気づいた。
故に、〈蝿〉は悟る。
『デヴァイン・シンフォニア計画』は、女王の依頼などではない。
〈蛇〉自身が、新たなる『特別な王』を望んでいるのだ――と。
『私が……あなたに教えた『最期』は、……嘘よ』
『私の復讐が、お門違い!?』
――――――。
『――つまり、あなたは私を騙していた、と。あなたは自分の利益のためだけに、私を蘇らせた。私の技術を利用したいがために……!』
『そうね。……そうなるわね』
『ならば贖罪の意味で、私に詳しく話すべきだと思いませんか? 『デヴァイン・シンフォニア計画』のことを。――私が作らされている『もの』のことを……!』
薄暗い地下の部屋を、弱々しい光がほのかに照らしていた。
明かりの源は、かつては数多の白金の糸を紡ぎ合わせ、まばゆい翼を形作っていた〈蛇〉の羽である。死を目前にした〈天使〉の羽は輝きを失い、代わりに高熱を発していた。
ベッドに横たわった〈蛇〉が、熱い息を吐く。
しかし構わずに、〈蝿〉は彼女に詰め寄った。
「私が作っている『もの』は、あなたにとって、特別な意味を持っているはずです」
〈蝿〉は、できるだけの情報を欲していた。
この女――〈影〉である『ホンシュア』の命が尽きる前に、『デヴァイン・シンフォニア計画』の真の目的を掴み、また本体の〈蛇〉の居場所を聞き出さねばならなかった。
さもなくば、何も知らない彼は、ただの『駒』として扱われ、いずれ殺されるだけだ。
「あなたが……作っている『もの』は、初めに説明した通りの『もの』よ……。嘘は……言っていないわ」
高熱に喘ぎながら、〈蛇〉は答える。
「あの赤子が……女王陛下の、御子として……王になる……」
「いつまで、しらばっくれるおつもりですか!」
「なんの……こと……?」
儚げに首をかしげる〈蛇〉は、まるで無垢な幼子のようで、虫も殺さぬ顔の厚かましさに〈蝿〉は眦を吊り上げる。
「『新たなる王』の基盤として、あなたから渡された遺伝子――。あれは、『過去の王』のものではありませんね?」
鋭く切り込まれた言葉に、〈蛇〉は息を呑んだ。だが、すぐに、ふふっと嗤う。
「……天才医師、だもの、ね……。いずれ、あなたには感づかれると……分かっていたわ」
「この私の目を誤魔化せるわけがないでしょう」
〈蝿〉は吐き捨て、大きく溜め息をついた。
「確証を得るために、神殿でいろいろ調べてきましたよ」
「っ……、神殿……そう、ね」
動かすのも億劫であろう〈蛇〉の体が、わずかに揺れた。
「まず、あなたの素性を示す記録は、残っていませんでした」
「……消しておいた、もの……」
自慢げに、すっと上がった唇は、しかし熱のためにか乾ききり、ひび割れていて、彼女の笑いは引きつったものになった。
「それから、大切に保管されていたはずの過去の王たちの遺伝子が、すべて廃棄されていましたよ」
〈蛇〉は、表情を変えることもなく、ただ黙って聞いている。
「あなたが――『〈蛇〉』が、廃棄したんですね」
〈蝿〉は一度、口を閉じ、相手を見つめた。そしてまた、ゆっくりと続ける。
「それは……私の手元にある遺伝子を、〈神の御子〉を作り出せる、唯一の手段にするためだった。――違いますか?」
言い渡された言葉を、〈蛇〉は軽く瞳を閉じることで肯定した。
〈蝿〉は、自分の全身から、大量の汗が吹き出したのを感じた。
それは決して、この部屋の熱気のせいではない。真実へと近づいた緊張と興奮とが、ないまぜになった結果だった。
「あなたから渡された遺伝子は、王の特性を示しながらも、幾つもの異端な因子を含んでいましたよ。――あなたはそれを、どう説明します?」
問いかけは質問ではなく、弾劾だった。それに対し、〈蛇〉は薄笑いを浮かべながら答える。
「そこまで……分かって、いる、なら、……あの遺伝子が――『彼』が何者、か……、気づいたって、こと……でしょう?」
〈蝿〉の心臓が高鳴った。けれど、彼は平静を装い、低い声で告げる。
「ええ。そのことから導き出される、あなた――『〈蛇〉』の正体も、ね……」
「……」
〈蛇〉は、とても穏やかな顔をしていた。まるで、罪が暴かれるのをじっと待っているかのように――。
〈蝿〉の声が、朗々と響き渡る。
「鷹刀エルファンと、〈猫〉の間に生まれた娘――鷹刀セレイエ。……それが、あなたの名前ですね」
真っ赤に充血した〈蛇〉の目が、すっと弓形をかたどった。すべてを受け入れたような、諦観の微笑みだった。
「さすが……ね。……鷹刀、ヘイシャオ……。叔父さん、とお呼びしたほうが……いいのかしら?」
「あなたはエルファンの娘ですが、ユイラン姉さんの子ではありませんから、叔父ではありませんね。……それに、私は一族を捨てた人間です。今更、血族を主張する気はありませんよ」
「……それも、そうね。……私も、同じ……。一族じゃない、わ」
〈蛇〉は淋しげに声を落とす。
「エルファンの娘が、何故〈七つの大罪〉に?」
純粋な疑問だった。イーレオ率いる現在の鷹刀一族は、〈七つの大罪〉を否定していたはずだからだ。
「……ああ、……知らない、のね。……私は、生まれついての、〈天使〉……。自分を知るため……〈七つの大罪〉に入った……。〈影〉にした、この『ホンシュア』の体……〈天使〉化した、のも……私にとって、それが自然、だから……よ」
「生粋の〈天使〉!?」
驚きと共に、研究者としての心が騒ぐ。それを察したかのように、〈蛇〉の目つきが険しくなった。
「世界で唯一、……私だけ、よ。異父弟、ルイフォンは……普通の子……」
「異父弟に手を出すな、ということですか?」
「そう……。ルイフォン……だけ、じゃない。鷹刀に、手を出さない……で!」
〈蛇〉が、きっと睨みつけた。
彼女の感情に呼応したかのように、ゆらりと陽炎が揺らめき、高温の風が吹きつける。
背中の羽は、もはや羽とは呼べない、途切れ途切れの光の糸にすぎなかったが、一族を守ろうとする見えない意志の翼が大きく広がっていた。
その様を見て、不意に〈蝿〉は気づいた。
「なるほど、そういうことでしたか。……納得しましたよ」
ふむふむと頷く〈蝿〉に、〈蛇〉が顔を歪める。
「何に……納得……したの?」
「死の間際になって、いきなり『鷹刀イーレオへの復讐は、お門違い』なんて、あなたが言い出した理由ですよ。秘密主義の死にぞこないなら、黙って死を待てばよいものを――。不思議だったんですよ」
「ああ……、そのこと、ね……」
「あなたが嘘をついたまま死ねば、私はいつまでも、鷹刀イーレオを仇と思って狙い続ける。それを止めるために、あなたは真実を告げた。――そういうことですね?」
「そう、よ……。あなたが、頭の良い人、で……よかった、わ……」
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