第3話 箱庭の空(1)

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第3話 箱庭の空(1)

 王都にほど近く、さりとて喧騒とは無縁の郊外の地。そこに、何代か前の王が療養のために作らせた庭園があった。  近衛隊に固められた(いかめ)しい石造りの門の内側へと、如何(いか)にもならず者といった(てい)の男たちが堂々と入っていく。折り目正しい近衛隊員たちが直立する脇を、無頼漢どもが思い思いに抜けていく(さま)は、なんとも奇妙な光景であった。  門を過ぎると、目の前に緑の丘陵が広がる。  二ヶ月前、斑目タオロンが初めてこの庭園を訪れたときには、ただただ広大な草地が続いているだけに見えた。しかし現在では、敷地の中ほどから奥の館に向かって、紫の絨毯で覆われている。  紫の正体は、菖蒲の花だ。  ちょうど見頃を迎えた花々が、薄紫や青紫といった微妙に色合いの異なる紫を、(われ)が一番とばかりに競うように輝かせている。  瑞々しく鮮やかで、優美。  しかし、せっかくの華やぎも、人の目に触れることは、ほとんどない。  王族(フェイラ)の持ち物であるこの庭園は一般には解放されておらず、入園を許されているのは庭師と〈(ムスカ)〉、それから〈(ムスカ)〉が雇った者たちのみ。  雅の欠片(かけら)もない、無粋な荒くれ者たちは、花などには目もくれない。花と花の間を縫うように連なる、散策のための遊歩道も無用のものとなっていた。  そう思い、タオロンは溜め息を落とした。  娘のファンルゥだけは、違うのだ。彼女は一面の緑の野原に突如現れた、この紫の楽園をとても喜んでいる。 『パパ、お花が咲いたの!』  館の一室に軟禁されたファンルゥは、窓から見える景色に変化が現れたと、ある日、とても嬉しそうに教えてくれた。しばらく見ていなかった、満面の笑顔だった。  花が増えてくると、彼女は『お花畑だ』と言い出した。 『ファンルゥ、いい子にしているから、お外に行っていいって、〈(ムスカ)〉のおじさんが言ってくれないかなぁ……』  ぽつりと漏らした。  広いお花畑で、花を摘みたい。ただそれだけの願いだ。  籠の鳥のファンルゥは、小さな窓の世界しか知らない。そこからの風景では、菖蒲の根元は水に浸かっており、彼女が手折って楽しむような素朴な野の花ではないことは分からない。そもそも、水の中から生える花があるなんて、彼女の知識では信じられないだろう。  閉ざされた空間に封じられた、ファンルゥ。  すべては父親である自分のせいだと、不甲斐なさにタオロンは奥歯を噛む。 『お前を――いや、お前の娘を助けてやる』  草薙シャンリーと名乗った、あの女はそう言った。  タオロンよりも、娘を助けると言った。  信頼に足る人間だと思った。だから従った。何より、鷹刀ルイフォンの関係者だ。  ――鷹刀ルイフォン……、どうか、頼む……。  他人頼みなど情けない。そんなことは百も承知であるが、切なる思いを(いだ)き、タオロンは祈るように空を見上げる。  ――ファンルゥに、広い世界を……。  発信機を持ち帰り、〈(ムスカ)〉の居場所を教えたところで、この庭園は凶賊(ダリジィン)にとって天敵のような王族(フェイラ)の支配下にある。正面から攻め込むことは不可能だろう。  だが、鷹刀ルイフォンならば――と。願わずにはいられない。  想像もしていなかった奇策で、斑目一族を壊滅状態にまで陥らせた彼ならば……。 「おい、何をのろのろ歩いている!」  怒声が飛んできた。〈(ムスカ)〉に金で雇われた男だ。  タオロンには、常に監視の目が光っている。彼は、目に見えない鎖で、がんじがらめにされていた――。
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