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第3話 箱庭の空(3)
ファンルゥが閉じ込められた部屋への、タオロンの出入りは自由だった。
ただし、外には見張りがついている。加えて、彼女の左手首には腕輪がはめられていた。
「パパ!」
タオロンが入ると、ファンルゥの小さな体が飛びついてくる。勢いに乗った彼女のくせっ毛もまた、ぴょんぴょんと元気に跳ねた。
「ファンルゥ、いい子にしていたよ!」
褒めて、褒めてと、くりっとした丸い目が訴える。
タオロンは太い腕で、ひょいと愛娘を抱き上げた。そして高く高く、掲げるように、彼女を持ち上げる。
「わぁっ!」
急に視界の変わったファンルゥが、歓声を上げた。
「ファンルゥ、お空を飛んでいる!」
普段よりも、少しだけ高い景色。しかし、彼女にとっては別世界であるらしい。
大きくて逞しい父にこうしてもらうのが、彼女は大好きだった。たったそれだけのことを楽しみに、一日中おとなしくしているといっても過言でない。
「パパ、凄い!」
ファンルゥが手放しで喜ぶ。タオロンは苦い思いをぐっとこらえ、顔をひきつらせながらもなんとか笑う。
――こんなことでいいのなら、いくらでもやってやる。
世界はもっとずっと広い。けれど、彼が娘に与えてやれるのは、足元からたった二メートルほどの空でしかなかった。
ファンルゥの手首では、きらきらと腕輪が光る。
色とりどりの宝石が散りばめられたそれは、〈蝿〉から渡されたものだ。宝石といっても、貴石としての価値のない模造石なのであるが、小さなファンルゥには素敵な宝物だった。
『いいですか、お嬢さん。私たちは、斑目一族から逃げています。あなたのパパが悪い人をやっつけるまで、隠れていなければいけません』
腕輪を渡すとき、〈蝿〉はそう切り出した。
代替わりした斑目一族の総帥が、『諸悪の根源』とした〈蝿〉だけでなく、タオロンやファンルゥも追っているのは事実だった。一族が弱体化した責任を押し付け、見せしめに血祭りにする人間を求めているのだ。
『この館にいれば安全です。けれど、あなたがじっとしていられる人でないことは、前の別荘のときによく分かっています。だから、この腕輪を付けていてください。部屋から出ようとしたら、凄い音が鳴ります』
叱りつけるような〈蝿〉の言葉に、ファンルゥは不満を抱き、小さな口を尖らせた。しかし、腕輪を見た瞬間に心を奪われた。
『綺麗……』
彼女は素直に腕輪を身に着け、それ以来、部屋でおとなしくしている。
腕輪は――、本当は〈蝿〉の言ったような代物ではなかった。
『あの腕輪の内側には、毒針が仕込まれています』
タオロンとふたりきりになったときに、〈蝿〉が告げた。
『私の持つリモコンで、針が飛び出す仕掛けです。つまり、私はいつでもあなたの娘を殺せる、ということです。無理に腕輪を外そうとしても同様です』
『……! お前!』
『あの娘は人質ですからね。そのくらい当然でしょう。むしろ、体にメスを入れなかっただけ感謝してほしいですね』
そう言われた瞬間、タオロンの太い眉が跳ね上がった。
すると、〈蝿〉がくすりと嗤った。
『私からすれば、不慣れな機械類を使うより、あの娘の体内に仕掛けをしておくほうが、ずっと安心です。けれど、そんなことをしたら、無意味にあなたを怒らせるだけでしょう? これでも譲歩したんですよ』
『くっ……』
『それに、あの娘も、私の贈り物を喜んでくれたようですしね。あのくらいの歳の女の子は、小さくても立派な淑女ですから』
あなたはちっとも気づいてなかったでしょう? と。鼻で笑うように、〈蝿〉の顎がわずかに上げられる。
タオロンは、舌打ちをしたい気持ちを必死に抑えた。
口には出さないが、ファンルゥは腕輪をとても気に入っていた。そのことに、今まで玩具の類だって、まともに与えたことのなかった彼は、衝撃を受けていた。
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