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第4話 菖蒲の館を臨む道筋(1)
新月ならではの漆黒の夜空に、数多の星々が降り注ぐ。
星明りの煌めきの音すら聞こえそうな静寂の中、闇に紛れるようにして、一台の黒塗りの車が走っていった。
高い煉瓦の壁で覆われた、鷹刀一族の屋敷の門前で止まる。守りを任されている門衛たちは、緊張にごくりと喉を鳴らし、来訪者を注視した。
車のライトが、瞬く星々を真似るかのように明滅を始める。
それは、決められたパターンを繰り返す、光の合図だった。
相手を確認した門衛たちは、安堵の息をつく。会釈して門を開けると同時に、執務室へと連絡を急いだ。
執務机の内線が鳴った瞬間、メイシアがびくりと肩を震わせた。
素早く受話器を取ったミンウェイが、応答しながらメイシアを振り返り、優しく微笑む。
刹那、メイシアの顔は、緊張に彩られつつも薔薇色に輝くという、なんとも不思議な表情を見せた。
彼女の隣に座っていたルイフォンは立ち上がり、彼女の髪をくしゃりとする。
「迎えに行こうぜ?」
「あっ、うん!」
差し伸べられたルイフォンの手を取り、メイシアは顔をほころばせる。そこにはもう、緊張の色はなかった。
数日前。メイシアの異母弟、藤咲ハオリュウからの伝言を、警察隊員の緋扇シュアンが携えてきた。
ハオリュウが、事実上の国の最高権力者である摂政に、食事の誘いを受けたのだという。
それだけなら、貴族の世界では稀にあることだ。鷹刀一族のもとへと連絡するような案件ではない。
だが、招かれた場所が問題だった。
〈蝿〉の潜伏場所と判明した庭園が、会食の会場だったのだ。
この好機を活かす相談をしたい。――それが、ハオリュウからの用件だった。
貴族が、凶賊と懇意にしているところを目撃されれば、よからぬ陰謀の憶測を呼び寄せかねない。だからハオリュウは、今まで鷹刀一族との直接の接触は避けてきた。
しかし、あと少しで〈蝿〉に手が届く。
故に、今回ばかりは特別だった――。
小走りになりながら、ルイフォンとメイシアが玄関に到着すると、ちょうど案内役のメイドが扉を開けたところであった。
「ハオリュウ! ――えっ……」
喜色満面のメイシアの顔は、しかし、途中で曇った。
声音と共に、目線が下がる。
久しぶりに会う異母弟は、車椅子に乗っていた。緋扇シュアンに押してもらっている。
確か、足の具合いは良好で、杖をつきながらであるが、自力で歩けるようになったと聞いていたのだが――。
「姉様! お元気そうでよかった」
すっと顔を上げ、ハオリュウが嬉しそうに笑った。
扉から流れてきた夜風が、彼の髪を揺らす。以前よりも短めにした髪型のせいか、ぐっと大人びて……。
「え……? ハオリュウ?」
メイシアは耳を疑った。
目の前の異母弟を凝視する。車椅子以上の驚きだった。
「やだな、姉様。照れくさいよ。一番、落ち着かないのは僕自身なんだから」
気まずそうに視線をそらし、わずかにむくれる。彼がそんな態度を見せる相手は、唯一、最愛の異母姉だけだろう。
「ごめんなさい、ハオリュウ。でも……」
「分かっている。――『父様そっくり』なんでしょ? 僕の……声」
「……うん」
その通りだった。
ほんの数ヶ月前まで、少し苦しげなハスキーボイスを発していた異母弟の喉が、亡くなったふたりの父親にそっくりな音色を奏でていた。
唐突な変化に、メイシアは戸惑う。当たり前のことなのに、心が素直に受け入れてくれない。
彼女の困惑顔に、ハオリュウもまた困り顔となった。けれど、それは実に異母姉らしい反応ともいえて、やがて苦笑に変わる。彼は、いつまでも彼女の小さな異母弟ではないのだ。
「声だけじゃないよ、姉様」
ハオリュウはシュアンに頼み、杖を出してもらう。車椅子を降りるらしい。
歩けないわけではなかったの? と、目を丸くするメイシアの前で、彼は立ち上がった。すっと流れた空気の気配に、彼女は違和感を覚える。
「え?」
ふたり向かい合って立てば、彼女の目の前に異母弟の顔があるはずだった。
「ハオリュウ……?」
「ああ、やっぱり。姉様の背を越えたね」
そう言いながら、ハオリュウはくすりと笑う。屈託のない笑い声すら、以前とは比べ物にならないほど低くなっていて、メイシアはどうにも落ち着かない。
そのとき、後ろから姉弟の再会を見守っていたルイフォンが、猫背を伸ばしながら、ふらりと前に出た。自然にメイシアの肩を抱き寄せ、くしゃりと髪を撫でる。
「ハオリュウ、久しぶりだな」
「ルイフォン。お久しぶりです」
にこやかに微笑むハオリュウの視線は、異母姉の肩にあるルイフォンの手に注がれていた。『仲は認めたが、節度は守れ』との、言外の声が聞こえてくる。
もともと歳に似合わぬ眼光を放つハオリュウだったが、目線が高くなったことによってより迫力が増していた。ルイフォンは、このままいけば将来的には身長を抜かれるな、などと思い、鼻に皺を寄せる。
「おい、ハオリュウ。メイシアを驚かすために、車椅子で来たのか? 足の調子が悪くなったかと、心配したぞ」
悪趣味だぞ、と含ませながらも、決して責めているわけではない。
にやりと口角を上げた顔は猫のような愛嬌があり、ルイフォンは軽口に混ぜて、メイシアが抱いているであろう疑問を、それとなく彼女に代わって尋ねていた。
「ああ、すみません。『リハビリを頑張りすぎて筋肉を痛めてしまったため、ドクターストップが掛かった』――」
「ああ、そうなのか。すまん、余計なことを……」
「――ということになっているんです」
「は?」
ぽかんとするルイフォンに、ハオリュウが腹黒い笑みを浮かべた。
「この作戦で、鷹刀の方々に〈蝿〉のいる庭園に侵入していただきます」
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