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第1話 暗礁の日々(2)
「それより……、〈蝿〉が『国宝級の科学者』と呼ばれている理由は、当然、『デヴァイン・シンフォニア計画』のためだろう」
ルイフォンの目が、すっと細まった。〈七つの大罪〉や『デヴァイン・シンフォニア計画』が関わると、彼の雰囲気は急に鋭くなる。
「そもそも〈蝿〉は、『デヴァイン・シンフォニア計画』に必要な技術のために作られた存在だ。潜伏先の庭園で、なんらかの研究をさせられていると考えられる。――奴がちっとも出てこないのなら、監禁されているのかもしれない」
続けて発せられた不穏な発言に、場の空気が揺れる。しかし、ルイフォンはふっと口元を緩めた。
「自らの意思による引き籠もりか、他者による監禁か。そこは重要じゃない。どちらにしても、〈蝿〉は庭園から出てこない。結局のところ、そのほうが『双方にとって』都合がいいからだ――」
ルイフォンは言葉を切り、じっと皆を見渡し……、ゆっくりと続ける。
「〈蝿〉と――、『摂政』の両方にとって、な」
リュイセンはごくりと唾を呑み、小さく繰り返した。
「摂政……、か」
――そう。
〈蝿〉を保護していたのは、『摂政』だった……。
女王の実兄であり、この国の事実上の統治者である。
「てっきり、『女王の婚約者』が黒幕だと思ったんだがな……」
〈蝿〉の潜伏先が王族の所轄地と聞いたとき、リュイセンは当然、女王の婚約者の所有地だと思っていた。現在の〈七つの大罪〉を牛耳っているのは、彼だと考えていたからだ。
婚約者は、四年前まで〈七つの大罪〉を一任されていた男だ。
女王の従兄で、すなわち先王の甥。先王の信頼が最も篤い人物といわれていた。しかし、恩を仇で返すかのように先王を殺害し、内々に幽閉された。
端的にいって、反逆者だ。それにも関わらず、女王の婚約者として表舞台に返り咲いたのだ。如何にも胡散臭い。
――そう思っていたのだが、違った。〈蝿〉の背後にいたのは『摂政』だった。
「わけが分からん。――それより、俺たちが国を相手取るような羽目になったことのほうが、もっと分からんけどな……」
リュイセンのぼやきに、ルイフォンが口角を上げた。
「〈七つの大罪〉は、王の私設研究機関だ。そして、『デヴァイン・シンフォニア計画』は、女王の婚約が開始条件になっている。王族が関わってくるのは必然だろ?」
そう言って、猫の目を光らせ、挑戦的に嗤う。
まったく、この弟分には敵わないと、リュイセンは思う。
困難なときほど、不敵な顔をする。
魂が、強い。
「今はまだ、もう少し調査が必要だな」
一番奥の上座から、魅惑の低音が響いた。
組んでいた足をゆっくりと解き、イーレオが上体を起こす。窓からの光を反射しながら、綺麗に染めた黒髪がさらりと肩を流れた。その気配だけで、皆の気が引き締まる。
今までひとこともなく、イーレオは成り行きを見守っていた。
会議で発言するのは、主にリュイセンとルイフォン。時々、エルファンが厳しい指摘を入れる。
最近そんなことが多いと、リュイセンは気づいていた。――イーレオは、リュイセンたちに一族を委ねようとしているのだ、と。
「ミンウェイ。引き続き、情報屋との連絡を密に頼む」
「はい」
イーレオの指示に、ミンウェイが草の香を漂わせる。
「エルファンは、現場の者たちに直接、話を聞いてこい。状況の把握と同時に、彼らを労ってやれ」
「承知いたしました」
低い声と共に、エルファンが深々と頷いた。
「親父、俺はセキュリティを探る」
すかさずルイフォンがそう言うと、イーレオが「頼む」と応じる。
解散の空気に、皆が立ち上がろうとしていたときだった。
「祖父上。俺も、父上に同行しては駄目ですか?」
リュイセンは手を挙げた。たわいのないことなのに、指先がわずかに緊張した。
刹那、イーレオは驚いたように睫毛を跳ね上げ、しかし、すぐに破顔した。
「――ああ、頼むぞ」
エルファンとリュイセンが足を運んだことで、現場に詰めていた者たちの士気は上がった。だが、収穫は何もなかった。
それから半月。
いまだ、状況は好転しない……。
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