第1話 暗礁の日々(3)

1/1
前へ
/36ページ
次へ

第1話 暗礁の日々(3)

「リュイセン、すまんな」  かすれたテノールが聞こえ、リュイセンは現実に引き戻された。  ルイフォンは相変わらずモニタ画面を凝視していた。その姿勢のまま、ぽつりぽつりと呟く。 「どうしても、庭園の門を抜ける方法が見つからない。近衛隊の守りが堅すぎる」  弟分の猫背が、心なしか更に丸くなる。 「外に出てきた〈(ムスカ)〉の私兵を、買収か脅迫で協力させることも考えたが、失敗した場合、〈(ムスカ)〉にこちらの動きを知らせる羽目になる。〈(ムスカ)〉はまだ、俺たちに居場所を突き止められたことに気づいていない。無警戒な状態だ。それを活かすべきなんだ……」 「お前はよくやっているよ……」  リュイセンは、溜め息混じりの声を落とした。    あの会議のあとすぐ、ルイフォンは館の監視カメラを支配下に置くことに成功した。  予想通り、〈(ムスカ)〉はそこで起居していた。  館の内部には〈(ムスカ)〉本人に、斑目タオロンと娘のファンルゥ。それから、〈(ムスカ)〉に雇われた私兵たちだけがいた。  近衛隊は館には近づかない。どうやら、〈(ムスカ)〉と摂政との間に協定があるらしく、きっちりと住み分けているらしい。彼らは、『国宝級の科学者』を守るために、庭園の外部からの侵入者を警戒している。近くに不審な者がいないかは勿論、外から帰ってきた〈(ムスカ)〉の私兵に怪しい者が紛れていないか、目を光らせている。  その一方で、私兵たちが、如何(いか)にも胡散臭そうな風体をしていても、咎めることはない。内心では眉をひそめているのかもしれないが、〈(ムスカ)〉に雇われた者だと確認が取れれば、表向きはお構いなしだ。おそらく、〈(ムスカ)〉が館に籠もって技術を提供するのと引き換えに、摂政は私兵には不干渉を約束したのだろう。  摂政にそれほどの譲歩をさせるほどの技術とは何か。  気になったが、あいにく監視カメラで確認できる範囲に研究室はなかった。要するに、不用意に映してはいけないものがあるのだろう。 「タオロンの協力が得られればな……」  うなだれるルイフォンに、リュイセンは何も言うことができない。  タオロンには常に監視役の目が光っており、少しでも〈(ムスカ)〉に逆らうような素振りを見せれば、人質であるファンルゥが殺される。  ルイフォンたちと接触したときも、実は監視されていたのだ。  シャンリーが『発信機を持ち帰れ』と言ったとき、タオロンは『俺は見張られている』と耳打ちした。そして、斬られたふりをして地面に膝を付き、さっと発信機を拾ったのだ。  だから、タオロンとのやり取りはそれきりだ。連絡を取ることはできない。 「言っても仕方ないんだけどさ。タオロンに監視が付いてなけりゃ、新入りの私兵のふりをするとかで、あいつの手引きで堂々と入れるんだよな……」  ルイフォンらしくもない弱音だった。  (こん)の詰め過ぎだった。打開策を見つけられず、心が参っている。  初めは『〈(ムスカ)〉の潜伏先を教えてくれただけで、タオロンには御の字だ』と、ルイフォンは言っていた。『あいつは危険を犯して協力してくれた。なんとかして、あいつとファンルゥを自由にしてやりたい』と――。  リュイセンはふと、ルイフォンの猫背から漂う雰囲気に不安を覚える。 「お前……、ちゃんと寝ているか?」  今にもふらりと倒れそうな、危うげな気配がした。 「毎晩、メイシアが添い寝してくれているぞ」 「なっ……」  背を向けたまま、自慢げに言うルイフォンに、リュイセンは一瞬、呆気にとられ、次にむっと片眉を上げた。そして最後に、馬鹿馬鹿しくなって(きびす)を返そうとした……が、やはり気になって、ルイフォンを強引にモニタから引きはがす。 「な、何するんだよ!?」  OAグラスの下の、血の気の失せた顔。青白さは、決してモニタの光の反射などではない。その証拠に、目の下にはくっきりと濃い(くま)ができていた。 「少し、休め」  リュイセンは、厳しい声で言い放つ。  ベッドに引きずっていくべきか。無理にでも止めてやらないと、この弟分はいつまでも作業を続けるに違いない。  しかし、ルイフォンは冷たい目で睨みつけてきた。 「リュイセン、今が正念場だ。〈(ムスカ)〉が捕まらなきゃ、ミンウェイが不安だろう。それに――」 「それに?」 「〈(ムスカ)〉が、メイシアを狙っている。それを思うと、横になったところで眠れるわけがない」   憎悪すら含んだ鋭い声が、ここにはいない敵を斬りつける。 「……」  タオロンとの接触は、朗報に間違いなかった。しかし、そもそも何故、彼が出てきたのかといえば、〈(ムスカ)〉の命令でメイシアを捕らえに来たのだ。 「メイシアに、何があるっていうんだ……」  切なげに漏らされたルイフォンの呟きに、リュイセンは掛ける言葉を持っていなかった。  凶賊(ダリジィン)のルイフォンと、貴族(シャトーア)のメイシア。  出逢うはずのなかったふたりは、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』のために、仕組まれて巡り逢った。  だから、ふたりを結びつけた不吉な運命の輪を断ち切らなければ、彼らに安寧は訪れない――。 「心配かけて、すまんな」  兄貴分が何も言えずにいるのを見て、さすがのルイフォンも語調を和らげ、軽く詫びた。 「いや……。……無茶はするなよ」 「ああ」  そして弟分は、気分を変えるかのように癖のある笑顔を浮かべる。 「それよりさ、返事は貰ったのか?」 「は?」  あまりに唐突な質問に、リュイセンはなんのことだか分からない。 「ミンウェイにプロポーズしたんだろ?」 「なっ? なんで、お前がそれを知っているんだ!?」 「ああ、やっぱり、そうだったんだな」  そう言われて初めて、リュイセンは(かま)をかけられたことに気づく。 「ど、どうして、お前、それを……!」 「んー? ミンウェイの様子から、なんとなく。それにお前、緋扇シュアンとやりあっていたし」  普段、仕事部屋に引き籠もってばかりのルイフォンなのに、何故そんなに都合よく、シュアンとひと悶着あった、あの場を目撃していたのか……。  リュイセンは頭を抱える。  ――リュイセンにとっては不幸なことに、それは本当にただの偶然だった。あまりに外に出ないルイフォンを心配したメイシアが、半ば強引に彼を庭に連れ出したときの出来ごとだったのだ。 「……まだ、返事はない」  リュイセンはそれだけ言い残し、足早にルイフォンの仕事部屋を出ていった。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加