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第1話 暗礁の日々(3)
「リュイセン、すまんな」
かすれたテノールが聞こえ、リュイセンは現実に引き戻された。
ルイフォンは相変わらずモニタ画面を凝視していた。その姿勢のまま、ぽつりぽつりと呟く。
「どうしても、庭園の門を抜ける方法が見つからない。近衛隊の守りが堅すぎる」
弟分の猫背が、心なしか更に丸くなる。
「外に出てきた〈蝿〉の私兵を、買収か脅迫で協力させることも考えたが、失敗した場合、〈蝿〉にこちらの動きを知らせる羽目になる。〈蝿〉はまだ、俺たちに居場所を突き止められたことに気づいていない。無警戒な状態だ。それを活かすべきなんだ……」
「お前はよくやっているよ……」
リュイセンは、溜め息混じりの声を落とした。
あの会議のあとすぐ、ルイフォンは館の監視カメラを支配下に置くことに成功した。
予想通り、〈蝿〉はそこで起居していた。
館の内部には〈蝿〉本人に、斑目タオロンと娘のファンルゥ。それから、〈蝿〉に雇われた私兵たちだけがいた。
近衛隊は館には近づかない。どうやら、〈蝿〉と摂政との間に協定があるらしく、きっちりと住み分けているらしい。彼らは、『国宝級の科学者』を守るために、庭園の外部からの侵入者を警戒している。近くに不審な者がいないかは勿論、外から帰ってきた〈蝿〉の私兵に怪しい者が紛れていないか、目を光らせている。
その一方で、私兵たちが、如何にも胡散臭そうな風体をしていても、咎めることはない。内心では眉をひそめているのかもしれないが、〈蝿〉に雇われた者だと確認が取れれば、表向きはお構いなしだ。おそらく、〈蝿〉が館に籠もって技術を提供するのと引き換えに、摂政は私兵には不干渉を約束したのだろう。
摂政にそれほどの譲歩をさせるほどの技術とは何か。
気になったが、あいにく監視カメラで確認できる範囲に研究室はなかった。要するに、不用意に映してはいけないものがあるのだろう。
「タオロンの協力が得られればな……」
うなだれるルイフォンに、リュイセンは何も言うことができない。
タオロンには常に監視役の目が光っており、少しでも〈蝿〉に逆らうような素振りを見せれば、人質であるファンルゥが殺される。
ルイフォンたちと接触したときも、実は監視されていたのだ。
シャンリーが『発信機を持ち帰れ』と言ったとき、タオロンは『俺は見張られている』と耳打ちした。そして、斬られたふりをして地面に膝を付き、さっと発信機を拾ったのだ。
だから、タオロンとのやり取りはそれきりだ。連絡を取ることはできない。
「言っても仕方ないんだけどさ。タオロンに監視が付いてなけりゃ、新入りの私兵のふりをするとかで、あいつの手引きで堂々と入れるんだよな……」
ルイフォンらしくもない弱音だった。
根の詰め過ぎだった。打開策を見つけられず、心が参っている。
初めは『〈蝿〉の潜伏先を教えてくれただけで、タオロンには御の字だ』と、ルイフォンは言っていた。『あいつは危険を犯して協力してくれた。なんとかして、あいつとファンルゥを自由にしてやりたい』と――。
リュイセンはふと、ルイフォンの猫背から漂う雰囲気に不安を覚える。
「お前……、ちゃんと寝ているか?」
今にもふらりと倒れそうな、危うげな気配がした。
「毎晩、メイシアが添い寝してくれているぞ」
「なっ……」
背を向けたまま、自慢げに言うルイフォンに、リュイセンは一瞬、呆気にとられ、次にむっと片眉を上げた。そして最後に、馬鹿馬鹿しくなって踵を返そうとした……が、やはり気になって、ルイフォンを強引にモニタから引きはがす。
「な、何するんだよ!?」
OAグラスの下の、血の気の失せた顔。青白さは、決してモニタの光の反射などではない。その証拠に、目の下にはくっきりと濃い隈ができていた。
「少し、休め」
リュイセンは、厳しい声で言い放つ。
ベッドに引きずっていくべきか。無理にでも止めてやらないと、この弟分はいつまでも作業を続けるに違いない。
しかし、ルイフォンは冷たい目で睨みつけてきた。
「リュイセン、今が正念場だ。〈蝿〉が捕まらなきゃ、ミンウェイが不安だろう。それに――」
「それに?」
「〈蝿〉が、メイシアを狙っている。それを思うと、横になったところで眠れるわけがない」
憎悪すら含んだ鋭い声が、ここにはいない敵を斬りつける。
「……」
タオロンとの接触は、朗報に間違いなかった。しかし、そもそも何故、彼が出てきたのかといえば、〈蝿〉の命令でメイシアを捕らえに来たのだ。
「メイシアに、何があるっていうんだ……」
切なげに漏らされたルイフォンの呟きに、リュイセンは掛ける言葉を持っていなかった。
凶賊のルイフォンと、貴族のメイシア。
出逢うはずのなかったふたりは、『デヴァイン・シンフォニア計画』のために、仕組まれて巡り逢った。
だから、ふたりを結びつけた不吉な運命の輪を断ち切らなければ、彼らに安寧は訪れない――。
「心配かけて、すまんな」
兄貴分が何も言えずにいるのを見て、さすがのルイフォンも語調を和らげ、軽く詫びた。
「いや……。……無茶はするなよ」
「ああ」
そして弟分は、気分を変えるかのように癖のある笑顔を浮かべる。
「それよりさ、返事は貰ったのか?」
「は?」
あまりに唐突な質問に、リュイセンはなんのことだか分からない。
「ミンウェイにプロポーズしたんだろ?」
「なっ? なんで、お前がそれを知っているんだ!?」
「ああ、やっぱり、そうだったんだな」
そう言われて初めて、リュイセンは鎌をかけられたことに気づく。
「ど、どうして、お前、それを……!」
「んー? ミンウェイの様子から、なんとなく。それにお前、緋扇シュアンとやりあっていたし」
普段、仕事部屋に引き籠もってばかりのルイフォンなのに、何故そんなに都合よく、シュアンとひと悶着あった、あの場を目撃していたのか……。
リュイセンは頭を抱える。
――リュイセンにとっては不幸なことに、それは本当にただの偶然だった。あまりに外に出ないルイフォンを心配したメイシアが、半ば強引に彼を庭に連れ出したときの出来ごとだったのだ。
「……まだ、返事はない」
リュイセンはそれだけ言い残し、足早にルイフォンの仕事部屋を出ていった。
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