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第1話 暗礁の日々(5)
「きゃっ」
スカートの裾がふわりと広がり、メイシアがベッドに倒れ込む。
彼女の重みと温もりと匂い。確かな存在感。ルイフォンは、彼女を強く抱きしめる。
「……守るから。…………必ず」
「ルイフォン?」
不安げなメイシアの声。ほんの一瞬だけ、彼女の目線が背後を気にしたが、すぐにルイフォンだけを見つめ直す。
気づけば、一歩離れたところにミンウェイがいた。医者である彼女は、倒れたルイフォンを看てくれていたのだろう。彼が目覚めたことに、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「……すまん」
随分と心配をかけたらしい。
いつものメイシアなら、ミンウェイの前でこんなふうに抱きしめられたら真っ赤になっている。ミンウェイだって、『相変わらず、仲がいいわねぇ』と冷やかしのひとことくらい言うだろう。
「大丈夫、ただの寝不足よ」
力強い美声が、深刻な雰囲気を吹き飛ばした。それから、つんと口を尖らせ、ミンウェイは両手を腰に当てる。
「まったく。倒れるまで作業し続けるなんて、自己管理がなってないわ」
「……返す言葉もないな」
ここは素直に怒られるしかないだろう。何しろ、メイシアを泣かせたのだから。
「ドクターストップよ。今日はこのまま安静。薬を処方するわ」
「!? 薬までは要らないだろ」
ルイフォンの顔が引きつった。
ミンウェイの処方する薬は、多くが彼女のオリジナルだ。効果は保証する。一般に出回っている薬より、遥かに質が良いと思う。
だが、無茶をして倒れたルイフォンに出す薬となると――。
絶対安静のために明日の朝まで目覚めない睡眠薬とか、体が痺れて起き上がりたくても起き上がれなくなる筋弛緩剤とか……何か裏がありそうで怖い。
「あら? 要らないの? せっかくメイシアが、メイド長にお休みを貰ってきたのに」
「は? 薬って、メイシアのことか?」
狼狽するルイフォンに、ミンウェイの綺麗に紅の引かれた唇がすっと上がる。
「そうよ。今のルイフォンには勿論、体の休息が必要だけれど、それ以上に心の休息が大切、ってことだったんだけど――」
そう言いながら、彼女は視線をメイシアへと移す。
「残念だけど、ルイフォンはひとりで休みたいようね。メイシア、仕方ないから一緒にお茶でも飲みましょうか」
「ちょっと、待て!」
ルイフォンの慌てたテノールに、メイシアの細い声が重なる。
「あ、あの、ミンウェイさん。そのっ……」
腕の中の彼女は、うっすらと顔を赤らめながら、ぎゅっとルイフォンの服を握った。
「す、すみませんっ。ルイフォンをからかわないであげてください。彼はっ……、……いいえ、私が、そのっ……、ルイフォンと一緒に居たい……ので……!」
いっぱいいっぱいの叫びのあと、彼女の頬が急速に染まる。
ルイフォンとミンウェイは、きょとんと顔を見合わせた。互いに瞳を瞬かせ、どちらともなく笑みを浮かべる。
「メイシア、可愛いわぁ」
半ば、うっとりと。ミンウェイが感嘆の声を上げた。
「待て待て。それは俺が言う台詞だ」
「別にいいじゃないの。ルイフォンたら、愛されまくっちゃって、この果報者」
ミンウェイはやたらと楽しそうで、ルイフォンがベッドで寝ているのでなければ、肘で小突き回していたに違いない。
「それじゃ、お邪魔虫は消えるわね」
波打つ髪を翻し、ささっと踵を返す。ひと呼吸おいてから、柔らかな草の香が届いた。
「あ、ミンウェイ」
ルイフォンは呼び止め、……そこでためらう。
――リュイセンに、返事をしてやれよ。
口元まで、言葉が出かかった。しかし、呑み込んだ。
「――……迷惑をかけた。ありがとな」
リュイセンとミンウェイのことは、他人が口を出す問題ではない。
ルイフォンとしては、ふたりがうまくいってくれれば嬉しいと思う。リュイセンにとっても、一族にとっても、そのほうがいいはずだ。
けれど、ミンウェイにとっては? そう思ったとき、何も言えなくなる。
ミンウェイは、ルイフォンとメイシアの仲を、誰よりも早く祝福してくれた。野次馬根性丸出しではあったが、我が事のように、心からふたりの幸せを願ってくれた。
それはまるで、自分自身の幸せは諦めたから、代わりにルイフォンたちの幸福に憧れを託す――とでもいうように……。
そんな気がするのは、考えすぎだろうか……?
「どういたしまして。――ご馳走様」
ミンウェイは、ふふっと笑いながら、ご機嫌な足取りで部屋を出ていく。漂ってきた草の香は、いつも通りに優しい香りであるはずなのに、吸い込むと妙に息苦しかった。
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