12人が本棚に入れています
本棚に追加
第1話 暗礁の日々(7)
「!」
ふわりと優しく、触れるように口づけて、メイシアはルイフォンの胸元に頭をうずめる。顔を隠そうとする彼女の細い髪が、さわさわと顎をかすめた。
けれど、そのくすぐったさよりも、唇に残る衝撃のほうがずっと大きい。彼女から口づけたことなんて、数えるほどしかないのだから。
「メイシア!?」
「ルイフォンは、私を幸せにすることはあっても、不幸にすることはない。私が不幸になるのなら、それは私自身の責任なの。不幸に流されるままの、無力な自分が悪いだけ」
静かに紡がれた強い言葉が、熱く胸に掛かる。
「……!」
忘れていた。彼女は、彼のための戦乙女なのだ。
守られるだけの存在ではない。
嫋やかな外見からは想像できないほどに強く、彼を守ってくれる――。
ルイフォンは『すまん』と言いかけて、途中でやめた。
これでは、屋敷に来たばかりのころのメイシアと同じだ。あのころの彼女は、何かにつけては謝ってばかりだった。だから彼は、『そういうときはな……』と、ふさわしい言葉を教えたのだ。
「ありがとう、メイシア」
――これこそが、彼女に捧げるべき言葉。
彼女は少し驚いたように、「ううん」と応える。
「ルイフォンこそ、いつも私のことを心配してくれて、ありがとう」
顔は伏せたままだったが、彼に触れる彼女の指先に力が入る。
「……ルイフォン。私だって聖人じゃない。私も……セレイエさんがしたことを、許すことはできない。けど、タオロンさんが、ホンシュアの言葉を伝えてくれた――」
『計画では、藤咲メイシアの父親が死ぬことはなかったそうだ』
『それが、自分の考えの甘さから、〈蝿〉を暴走させ、〈天使〉を悪用させてしまった。なんと詫びたらよいか分からない、と』
「私は、セレイエさんを許すことはできない。――でも、彼女が必死の思いを抱えていることだけは、分かってあげられる自分でありたいの」
「メイシア……」
ルイフォンは、メイシアを強く抱きしめる。
彼女を絶対に離さない。誰にも奪わせない。
「そうだな。お前の言う通りだな……」
――ふと。ルイフォンは胸元に硬い感触を覚えた。
それが何かに思い当たり、はっとする。
「忘れていた。お前のペンダント――!」
「え?」
「それは危険だ。俺が預かる」
スーリンに話を聞いたとき、すぐに取り上げようと思っていたのに、タオロンの襲撃ですっかり忘れていた。
『ルイフォンと出逢う少女の手に、ペンダントは渡る』――セレイエはそう言った。
つまり――。
「ペンダントは、お前が『デヴァイン・シンフォニア計画』の核だという『目印』だ」
メイシアは『お守り』と思い込んで、大切にしていた。いつも身につけ、やたらと触る癖まであった。まるで、ペンダントの存在を知らしめるかのように――。
いったい、『誰』への『目印』か。
スーリンにとっても目印になっていたが、彼女は偶然、〈天使〉のセレイエを目撃してしまっただけの予想外だ。
だから、このペンダントを『目印』に、何者かがメイシアを狙ってくる……。
「あ……! うん、分かった」
メイシアは半身を起こし、ペンダントを外す。ルイフォンもまた体を起こして、それを受け取った。
掌の上に載せられた、石の質感。さらさらと流れる鎖の感触。
金属の響き合う高い音。
そして――。
『ライシェン』……。
ホンシュアの声が蘇る。彼女と会ったとき、呼びかけられた名前だ。
その声は、セレイエの声と重なり、ルイフォンの中で木霊する。セレイエもまた、この名前を口にした。そんな記憶が、体の内部から湧き出てくる。
「……メイシア。俺、たぶん、四年前に、このペンダントをセレイエに見せられている。忘れているのに、どこかで覚えている。『ライシェン』という奴と繋がる、何か――だと思う」
メイシアは、こくり頷いた。
その首元が、何か淋しげに感じられた。ずっとそこにあったものが、なくなったからだろう。
「お前に、ペンダントを贈りたいな」
「え?」
「――あ、違うか。指輪か」
「えっ、ええっ!?」
「だって、お前は俺のものだし」
「っ! ――!」
慌てふためくメイシアが可愛らしい。
どうやら指輪というのは、思った以上の名案のようだ。ルイフォンは猫のような瞳を輝かせ、きっぱりと宣言する。
「よし、決めた。お前に指輪を贈る」
今は、メイシアを外の店に連れて行くことはできないから、専門の者を呼びつけよう。そういう貴族っぽいことを彼女は嫌がるかもしれないが、今回は特別だ。
心を踊らせ、そう言おうと思ったとき、メイシアが必死な顔をこちらに向けた。
「あっ、あのね、私もっ……。ええと、メイド見習いの初月給、全部使っちゃったけど、また貯めるから。だから、ルイフォンと――」
指輪の交換をしたい。
心臓が跳ねた。
否、止まるかと思った。
「そうだよな……」
第一声は、情けなくもかすれてしまった。だから、きちんと言い直す。
「それが、俺たちらしいな」
そして、ルイフォンは、抜けるような青空の笑顔を浮かべる。
ゆっくりと手を伸ばし、傍らにいるメイシアを引き寄せた。彼女の頭が自然に彼に預けられると、触れ合った箇所から強い生命の力が行き交うのを感じた。
――ミンウェイの処方する薬は、本当によく効く薬だ。
ルイフォンはそう思い、大切に大切にメイシアを抱きしめた……。
最初のコメントを投稿しよう!