第1話 暗礁の日々(7)

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第1話 暗礁の日々(7)

「!」  ふわりと優しく、触れるように口づけて、メイシアはルイフォンの胸元に頭をうずめる。顔を隠そうとする彼女の細い髪が、さわさわと顎をかすめた。  けれど、そのくすぐったさよりも、唇に残る衝撃のほうがずっと大きい。彼女から口づけたことなんて、数えるほどしかないのだから。 「メイシア!?」 「ルイフォンは、私を幸せにすることはあっても、不幸にすることはない。私が不幸になるのなら、それは私自身の責任なの。不幸に流されるままの、無力な自分が悪いだけ」  静かに紡がれた強い言葉が、熱く胸に掛かる。 「……!」  忘れていた。彼女は、彼のための戦乙女なのだ。  守られるだけの存在ではない。  (たお)やかな外見からは想像できないほどに強く、彼を守ってくれる――。  ルイフォンは『すまん』と言いかけて、途中でやめた。  これでは、屋敷に来たばかりのころのメイシアと同じだ。あのころの彼女は、何かにつけては謝ってばかりだった。だから彼は、『そういうときはな……』と、ふさわしい言葉を教えたのだ。 「ありがとう、メイシア」  ――これこそが、彼女に捧げるべき言葉。  彼女は少し驚いたように、「ううん」と応える。 「ルイフォンこそ、いつも私のことを心配してくれて、ありがとう」  顔は伏せたままだったが、彼に触れる彼女の指先に力が入る。 「……ルイフォン。私だって聖人じゃない。私も……セレイエさんがしたことを、許すことはできない。けど、タオロンさんが、ホンシュアの言葉を伝えてくれた――」 『計画では、藤咲メイシアの父親が死ぬことはなかったそうだ』 『それが、自分の考えの甘さから、〈(ムスカ)〉を暴走させ、〈天使〉を悪用させてしまった。なんと詫びたらよいか分からない、と』 「私は、セレイエさんを許すことはできない。――でも、彼女が必死の思いを抱えていることだけは、分かってあげられる自分でありたいの」 「メイシア……」  ルイフォンは、メイシアを強く抱きしめる。  彼女を絶対に離さない。誰にも奪わせない。 「そうだな。お前の言う通りだな……」  ――ふと。ルイフォンは胸元に硬い感触を覚えた。  それが何かに思い当たり、はっとする。 「忘れていた。お前のペンダント――!」 「え?」 「それは危険だ。俺が預かる」  スーリンに話を聞いたとき、すぐに取り上げようと思っていたのに、タオロンの襲撃ですっかり忘れていた。 『ルイフォンと出逢う少女の手に、ペンダントは渡る』――セレイエはそう言った。  つまり――。 「ペンダントは、お前が『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の核だという『目印』だ」  メイシアは『お守り』と思い込んで、大切にしていた。いつも身につけ、やたらと触る癖まであった。まるで、ペンダントの存在を知らしめるかのように――。  いったい、『誰』への『目印』か。  スーリンにとっても目印になっていたが、彼女は偶然、〈天使〉のセレイエを目撃してしまっただけの予想外(イレギュラー)だ。  だから、このペンダントを『目印』に、何者かがメイシアを狙ってくる……。 「あ……! うん、分かった」  メイシアは半身を起こし、ペンダントを外す。ルイフォンもまた体を起こして、それを受け取った。  掌の上に載せられた、石の質感。さらさらと流れる鎖の感触。  金属の響き合う高い音。  そして――。 『ライシェン』……。  ホンシュアの声が蘇る。彼女と会ったとき、呼びかけられた名前だ。  その声は、セレイエの声と重なり、ルイフォンの中で木霊(こだま)する。セレイエもまた、この名前を口にした。そんな記憶が、体の内部から湧き出てくる。 「……メイシア。俺、たぶん、四年前に、このペンダントをセレイエに見せられている。忘れているのに、どこかで覚えている。『ライシェン』という奴と繋がる、何か――だと思う」  メイシアは、こくり頷いた。  その首元が、何か淋しげに感じられた。ずっとそこにあったものが、なくなったからだろう。 「お前に、ペンダントを贈りたいな」 「え?」 「――あ、違うか。指輪か」 「えっ、ええっ!?」 「だって、お前は俺のものだし」 「っ! ――!」  慌てふためくメイシアが可愛らしい。  どうやら指輪というのは、思った以上の名案のようだ。ルイフォンは猫のような瞳を輝かせ、きっぱりと宣言する。 「よし、決めた。お前に指輪を贈る」  今は、メイシアを外の店に連れて行くことはできないから、専門の者を呼びつけよう。そういう貴族(シャトーア)っぽいことを彼女は嫌がるかもしれないが、今回は特別だ。  心を踊らせ、そう言おうと思ったとき、メイシアが必死な顔をこちらに向けた。 「あっ、あのね、私もっ……。ええと、メイド見習いの初月給、全部使っちゃったけど、また貯めるから。だから、ルイフォンと――」  指輪の交換をしたい。  心臓が跳ねた。  否、止まるかと思った。 「そうだよな……」  第一声は、情けなくもかすれてしまった。だから、きちんと言い直す。 「それが、俺たちらしいな」  そして、ルイフォンは、抜けるような青空の笑顔を浮かべる。  ゆっくりと手を伸ばし、傍らにいるメイシアを引き寄せた。彼女の頭が自然に彼に預けられると、触れ合った箇所から強い生命の力が行き交うのを感じた。  ――ミンウェイの処方する薬は、本当によく効く薬だ。  ルイフォンはそう思い、大切に大切にメイシアを抱きしめた……。
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