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ポケットの中の小さなポケット
ジーンズのポケットの中にある小さなポケット。
きっと小銭を入れておくために用意されているのだろう。
しかし、邪魔だ。
大きなポケットの中の鍵を取る時にあわてて手を突っ込むと……。
「うッ!」
小さなポケットで突き指する。
キャッシュレスの時代だ。
もうこの小さなポケットは無用だろう。
かと言って、ハサミで切ってしまう勇気はない。
古着屋で買ったビンテージのジーンズだ。
お金に困った時に売るかもしれないと思うと切ることはできない。
ある日、そのジーンズを穿くと違和感があった。
「あれ?」
大きなポケットには何も入ってなかった。
小さなポケットに指を入れてみる。
「ン?」
何かの紙の手ざわり。
取り出してみると……!
「い、一万円!?」
折り畳まれた紙片を広げてみると、やっぱり『福沢諭吉』だった。
「ジーンズの前の持ち主のお金か?」
もしくは……。
未来の僕からのお小遣い?
うんうん、よくある話だ。
「裕福になった未来の僕が、貧乏な今の僕に一万円を恵んでくれた!」
あるか?
ないない!
でも、それ以外に考えられなくなった。
だが……。
「うまい話には乗らないぞ!」
未来の僕は優しくても、天にいる神様はイジワルなことが多い。
こういう奇跡の話のオチは調子に乗りすぎた挙句、また貧乏に戻るのだ。
僕は心を鬼にしてその一万円札を小さなポケットの中に戻した。
多分、お願いすれば何度でも小さなポケットに一万円札が入っている。
それを浪費する。欲しいモノは何でも買っちゃう。
バイトも辞めて、どんどん楽な方へ流れていく。
そして、最後に神様が怒って僕に罰を与える。
結局、また貧乏生活に戻るのだ。
それも、今以上のどん底の貧乏に……。
「ウワーッ!」
地獄へ堕ちていく自分の姿が頭に浮かんでくる。
そんな展開だろ?
だから、僕は絶対にこの一万円には手をつけないと決めた。
しかし、意外なことが起きた。
一週間ぶりに穿いたジーンズ。
気になって小さなポケットの中の一万円札を取り出してみた。
すると、『福沢諭吉』が『渋沢栄一』になっていた!
マジか!?
「これって、まだ手に入らないお札だよな?」
手が震えた。
新札が出るのは今年の七月のはず。
「ジーンズの前の持ち主のお金」説は完全に消えた。
だったら、この一万円札は未来の僕からのプレゼントに違いない!
諭吉だとメッセージが伝わらないと思って栄一を入れてきたのだろう。
よっぽど今の僕にこのお金を使ってほしいのか?
いや……。
「それでもダメなものはダメだ!」
楽をして得たお金に手をつけたら、僕の人生は終わる。
自分にそう言い聞かせた。
僕は『渋沢栄一』を折り畳み、また小さなポケットの中へ戻した。
「いたッ!」
知らない男に追いかけられたのはその日、商店街を歩いていた時だ。
「そのジーンズ返せ!」
男は血相を変えて僕に掴みかかろうとした。
「わッ!」
そして男がコケた。
振り返ると、派手に足をズルッと滑らせて地面で後頭部を強打していた。
歪んだ表情でのたうち回る男。
よほど痛かったのだろう。
それでも血走った目でにらんでくるその男の顔が怖すぎて僕は逃げた。
「アイツ、このジーンズの前の持ち主か?」
間違って古着屋に売り払った後、「しまった!」となったのだろうか。
このジーンズ、『打ち出の小槌』かもしれないぞ。
お金の出どころは未来の誰だか分からない金持ちセレブか?
とにかく、未来の僕の懐ではない。
だったら安心。
いくらでも一万円札が出てくるお金の泉だと思えばいい。
「ジャンジャン使っちゃえ!」
僕の予想は的中した。
ポケットの中の一万円札はいくら使っても、また小さなポケットから出てきた。
一万円札はなぜかまた『福沢諭吉』に戻っていた。
さらに不思議なことに途中から『聖徳太子』に変わった。
「ニセ札じゃないよな?」
近所のコンビニの店員がそんな顔で僕を見てきた。
急に羽振りが良くなったので怪しんでいるのだろう。
だが、古い一万円札は問題なくレジを通過した。
「最高だよ、このジーンズ!」
ポケットの中の小さなポケットは無用で邪魔なポケットじゃなかった。
夢みたいに素敵なポケットだったのだ!
ただ、一万円ずつしか出てこないので大きな出費はできない。
出てきた一万円札を使わないと、次のお札が出てこないのが難点だった。
「たっぷり貯めてでっかく使いたい!」
試しに一万円を銀行口座に入金してみた。
これを繰り返せば、億ションだって自家用ジェットだって買えちゃうぞ!
しかし、パッタリとジーンズからお金が出なくなった。
「……?」
突然、夢が散った。
「最近、この近所でレア紙幣が大量に出回ってるんだってさ」
居酒屋で友達がそんな話をしてきた。
聞けば、通し番号が「000001」や「777777」や「123456」といったプレミアがつく一万円札がコンビニや定食屋で使用されているというのだ。
「それ、僕だ!」
思わず叫びそうになり、その言葉を呑み込んだ。
心臓がバクバクしてきた。
しまった! あの一万円札は普通の一万円札じゃなかった。
高額で売買されるマニア垂涎のお宝紙幣だったのだ!
コンビニで弁当を買ってる場合じゃなかった。
買取ショップに持ち込めば、しばらくは働かずに済んだかもしれない……。
しかし、悔やんだところでもう遅い。
「あのジーパン返せ!」
聞き覚えのある声に振り返ると、あの後頭部を強打した男が目の前にいた。
「オヤジの形見なんだッ」
男は涙目で僕にそう訴えてきた。
結局、僕はビンテージのジーパンを男に返した。
男は僕が古着屋で支払った金額を払うと言ってきたが、断った。
小さなポケットの一万円のことを男には話さなかった。
後ろめたさがあったからだ。
それにしても、あのお金は……?
未来に住む紙幣コレクターの家から盗まれたものだろうか?
それなら、犯人は折り畳んでしまったら価値が下がることを知らなかったのか?
調べてみると稀に数万円で取引されることがあるのは未使用の新札だけだ。
一週間ほど羽振りが良かった僕はまた貧乏生活に戻った。
以前と違うことは一つだけ。
コンビニの店員が僕を見ると挙動不審になったことぐらい。
多分、僕が支払いに出したレア紙幣に気づいて自分の一万円札と交換したのだろう。
だが、高額では売れなかったのだと思う。
バイトを辞められると喜んだのなら残念だったね。
「弁当を買って正解だった」
僕はそう思った。
(おわり)
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