おまけのSIDE STORY2. アポトーシス②

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おまけのSIDE STORY2. アポトーシス②

 AAC内務省国家治安局長のジョナスン・マッキンレーは、ナパ・バレーの国立人類進化研究所から急な呼び出しを受け、すこぶる機嫌が悪かった。  彼自身、伝統宗教界クリスト派を信奉しているわけではないのだが、この日は祝日と決まっており、家族と共に過ごすのが慣例なのだ。しかも、用件を伝える説明がなんとも歯切れが悪く、中途半端で、いったい何をして欲しいのか、さっぱりわからない。 「とにかく、こちらへ来れば、事態がいかに深刻であるか、ご理解いただけると思います」  ラボノイド研究チームのキング博士は、どうにもお手上げなのだと泣きそうな声だった。  カグヤ・シティから手に入れたレシピによって生み出した戦闘ラボノイドは、思いもよらぬアポトーシス・コードの起動によって殺害された。その後、研究チームは努力を重ね、そのコードを特定し、それを削除したラボノイド戦士を三人製作した。  男性二人と女性一人。女性は最もオリジナルのレシピに忠実に調整され、男性の一人は司令部と直結するインターフェイサー、もう一人はパワーを増強した。アポトーシスで死んだ三人と比較するために、基本的に彼らと同じ設定が採用された。  第二世代ともいうべきラボノイド戦士は、意外にも成長速度を速めるという大きな課題が自然に解決されており、誕生から一か月程で二十歳程度の肉体となった。  この結果は、アポトーシス・コードを削除した効果として、関係者を大いに喜ばせた。三人は、訓練においては第一世代と同様に極めて優秀な結果を残し、実戦でテストした後は量産し、ラボノイド部隊を編成する案もまとまった。  期待を上回る成長速度――。  つい先日まで、それは極めて好意的な評価だった。しかし、喜んだのも束の間、この言葉は悪魔の悪戯を意味するようになった。  ウェルナー症候群など遺伝的な早老症は知られているが、そのスピードは既存の病気の比ではないという。まるで崖から突き落としたように、彼らの老化が加速度的に早まったのだ。  医学の進歩を享受できるステータスの人間は寿命を飛躍的に延ばし、過去の人類よりもゆっくりした時間を生きるようになった。ところが、それとは逆の事態が突きつけられた。まるで、早回しの映画の中へ突き落とされたように――。 「残された時間は僅かです。明日の朝までもつという保証もありません」 今夜を逃せば、自分の目で確認するチャンスはこないかもしれない。いつも何かに怯えているようなキング博士が声を荒らげて主張するのは、それだけ切羽詰まっている証なのだろう。  それはそれで理解できないこともないのだが、最善から最悪に転落する極端な変化を、マッキンレー局長のプライドは受け入れたくなかった。  東から西へ、アメリカ大陸を横断してきたドローンが研究所のポートに着陸する。不機嫌さを隠さないニューヨークの要人を、所長とキング博士の二人が、沈痛な面持ちで出迎えた。無言で差し出された右手を無視して、マッキンレーは、見せてくれ、といった。  第二世代のラボノイド三人は、何重ものセキュリティに守られた廊下の奥にある、彼らのために用意されたクリーンルームで過ごしている。ウィルスや菌から守られた部屋の中にいること自体、意味をなさないのは承知の上だ。靴音だけが響く廊下を進み、何重ものセキュリティを越え、三人はクリーンルームを覗くための窓の外に立った。  キング博士に促されてマッキンレー局長は内部を見た。そこには、長テーブルを囲んだ三人の老人が、積み木で遊ぶ姿があった。 「肉体は一直線に老化しましたが、知能と精神は五歳児からUターンした感じです。外見は八十歳の老人ですが、中身は三歳児……いや、学習能力がない分、それ以下ということになります」 「なんでこんなことに……」 「アポトーシス・コードの削除が影響しているのは間違いないでしょうが、ここまで極端な早老現象が現れるとなると、これはもう、あらかじめトラップが仕掛けられていたのではないか、と我々は考えています」  生殺与奪の権は誰にも渡さない――。  ラボノイドの母と呼ばれるルーナ・ファータの執着を突きつけられたようで、マッキンレー局長の背中に鳥肌が立った。 「警備本部室を使いたい」  主の警備本部長を含む全員を外へ追い出し、マッキンレーは、ニューヨークから持ってきたキーボード付きコムフォンを非常用ネットワークに有線接続した。  あの三人がアポトーシスで死ぬことがなければ、今ごろ自分は内務大臣に昇格していただろう。第二世代のラボノイド戦士が早老症にならなければ、大臣への昇格が数年遅れただけで済んだに違いない――。  マッキンレー局長の心にルーナ・ファータへの憎しみがこみ上げてきた。  脳直接尋問の最初のドナーはルーナ・ファータと決まっている。だから、それまで、彼女は生きていなくてはならない。最高知性会議がそう決定したのは、タウ・ブラッドフォレストが暗殺され、妻である彼女がカグヤ・シティの二代目施政長官に就任した年だという。  それは新暦125年のことだから150年以上も昔の話だ。人間の脳に記憶されたあらゆる情報を自由に引き出す脳直接尋問の技術は、最高知性会議直属の技術研究部門が開発中だという。  しかし、その実態がどこにあって、進捗がどうなっているのか、全く明らかにされていない。  極めて安価で優秀なラボノイド戦士部隊を持つことで、地球連邦政府における絶対的優位を確立する。これは、大中華人民帝国以来、アジア人に奪われた地位をアングロ・サクソンの手に取り戻すための壮大なプロジェクトなのだ。 どれだけ混血が進み、人種の壁が崩されようと、人類の支配者に相応しいのは我々白人をおいて他にはない。カグヤ・シティからラボノイド戦士のレシピを手に入れるための工作を開始したのは、二十五年前だ。ひょっとしたら机上の空論に過ぎない未来のために、四半世紀近くも無駄にしたことになる。  アポトーシス・コードを削除できないのであれば、遠隔操作によるアポトーシスの起動を防ぐしかない。そのためにやれることは、たったひとつだ――。 マッキンレーはコムフォンを操作した。 *  ――緊急コール、ハンター。  キーボードにそう打ち込むと、即座に文字が返ってきた。  ――こちら、ハンター。  インターフェイサーの彼には、キーボードというデバイスは不要だ。頭の中で文字を打てばそれでいい。  ――やられた。成長が加速度的に早まり、もうすぐ三人とも老衰で死ぬ。  ――アポトーシス・コードがトラップだったのか?  ――その可能性が高い。  ――プロジェクトは断念するのか?  ――そうはいかない。  ――ルーナ・ファータがいる限り、今のレシピをベースにした戦士はアポトーシスで死ぬことになる。  ――それなんだが、これ以上、足踏みはしたくない。  ――やるのか?  ――我々の関与とわからないよう、うまくストーリーを作れるか?  ――気になることがあって、色々と調べている。カグヤ・シティから持ち出されたラシーヌは、貨物シャトルの冷凍庫に細工をして腐らせた。これが、ダミーだった可能性がある。  ――出し抜かれたのか?  ――シャトルが出発した翌日、ユウバリ・ドームからイワクニへ軍の輸送艇が直行している。それから数日後、イワクニへ引っ越した工作員の自宅で事件が起きた。何者かが自宅を襲い、夫婦が失踪した。妻は北京の卵を持ち出した工作員。夫は俺たちを裏切った密航者だ。  ――夫婦でラシーヌを持って逃げたのか?  ――その可能性がある。  ――ラシーヌを奪えるか?  ――男はチャイバ・タウンからの密航者だ。持っていた偽造IDは、トーキョーゾーンで作られたバッタものだ。秘密を抱えて逃げるなら、無法地帯のトーキョーゾーンほど便利な場所はないだろう。  ――ラシーヌのDNAは奪うとして、ルーナ・ファータはどうやって始末する?  ――俺に考えがある。まずは、ラシーヌの居場所を特定するのが先決だ。      *  ニューヨークへ戻る前に、もう一度、マッキンレー局長はクリーンルームの中を覗いた。偶然、視線の合った老婆は、濁った目でじっとこちらを見つめ、嘲笑うように舌を出した。(了) *「1.誕生編」へつづく
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