おまけのSIDE STORY1. アポトーシス①

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おまけのSIDE STORY1. アポトーシス①

 新暦285年1月1日0時7分、漆黒の闇に火花が飛んだ。  ぱちん、と乾いた音を伴うそれは、小さな火花だ。ぱちん、ぱちん――。音が重なり火花の数も増え、その一つが何かの上で踊った。  ぱちん、ともう一つ。ぱちん、ぱちんと、続けて二つ。  瞬く間に、火花は数えることのできない群れとなって舞い始め、そこに建つ古風な三角屋根を浮かび上がらせた。  ナパ・バレー、AAC国立人類進化研究所。  鉄の門扉は閉じられていて、それを支える煉瓦積みの門柱に、鋳物の看板がある。突然変異研究チーム、ラボノイド研究チーム、人類考古学チーム。看板の下のプレートには研究所に所属する三つの組織名が並んでいて、門扉の中を覗くと、それぞれの研究棟へ続く案内板が街灯に照らされていた。  その先に見える建物の窓には明かりがついていて、新年だというのに帰宅を許されない研究者たちの、少し投げやりな新年会の騒ぎが聞こえた。  煉瓦の門柱は、そのまま煉瓦の塀に続き、旧歴時代、長くワイナリーとして栄えていたことを思い出させる。ただ、今は塀の上端に感電注意のタグを提げた太いワイヤーが張られ、およそ十メートル毎に監視カメラと遠隔操作のレーザー砲が設置され、長閑(のどか)だった風景を壊している。  予報では、年明け早々の雷雪(らいせつ)は三十分ほどで止むことになっている。電気を帯びた「(ちり)」の「雪」は、人を感電死させたり火事を起こしたりする厄介者だが、庭の警備ロボットを屋内に退避させるという素晴らしい効果を上げたりもする。 「貫通したぞ!」  押し殺してはいるが、力強い声がそう告げた。  ここ二ヶ月、雷雪の夜を狙って掘り進めたトンネルが、狙いどおり新年会の夜に煉瓦の塀をくぐり抜けたのだ。  雷雪の火花が浮かび上がらせた幾つもの目が、互いの意思を確認しあう。  一気に片付けよう。  彼らに迷いはなかった。「治療」という名目で、各地の惑星コロニーで拘束され、この研究所に強制収容された「ミュータント」を、今こそ解放するのだ。  武装集団の数は三十人ほどだ。耐電ローブをまとい、レーザー小銃を肩に提げた男女が、次々とトンネルに入って行く。携帯用の小型電磁誘導砲を担ぐ者もいた。トンネルを抜けた彼らは研究所の庭に展開し、二本の(のぼり)を立てた。一本には、「ミュータント解放同盟」と記され、もう一本には、自由の女神像が描かれていた。  一人が匍匐前進(ほふくぜんしん)で建物に接近し、拳で二度、壁を叩いた。 「離れろ!」  半地下室にはめられた鉄格子に向かって警告する。静音機能付き爆弾を壁に固定し、腰をかがめて引き返した彼は、仲間たちまでの中間地点で右手を挙げた。  ボン——。  ごく鈍い音と、微かな振動を伴って、壁に穴が開いた。兵士たちが群がり、穴を蹴ってスペースを広げ、縄梯子を下ろす。 「さあ、上ってこい! 急ぐんだ!」  半地下室に収容されていた「ミュータント」たちが次々と上ってくる。一人ずつに耐電毛布を渡し、塀のトンネルへ走れと指示を与える。  十人以上が脱走し、漸く、警備センサーが異変に気付いた。  雷雪を避けて軒下に退避していた三輪駆動の警備ロボットが、建物の裏手から現れる。同時に、屋根のサーチライトが庭を照らした。武装集団はそれらの目標をロックし、電磁誘導砲を発射した。  警備ロボットとサーチライトは一瞬で破壊されたが、けたたましいサイレンが鳴り響いた。別の警備ロボットが二体現れ、即座にレーザー機関砲を撃ってくる。二発目の電磁誘導砲を発射する前に頭部を撃ち抜かれ、仲間の一人がもんどり打って倒れた。  ロボットの射撃は正確で、あっという間に五人が撃たれ、肉の焦げる匂いが漂った。それを見た若者が一人、建物沿いをロボットの方へと走った。その位置でレーザー機関砲を発射すれば、建物を破壊してしまう。ためらうロボットに接近しながら、若者は立て続けに手榴弾を投げた。  二体のロボットは咄嗟に避けようとしたが、不運にも、互いの方向へ逃げようとして衝突する。建物に被害を及ぼしてはいけない、というコマンドを忠実に守った二体の警備ロボットは、あっけなく金属のゴミと化した。  手榴弾を投げた若者は身を翻し、庭に落ちた電磁誘導砲で煉瓦の壁を破壊した。武装集団と解放されたミュータントたちは、そこから一気に外の世界へ飛び出し、自由を取り戻した。      * 「武装集団の襲撃を受けた模様。研究所職員は地下シェルターに退避、警備要員は戦闘服を着用し本館メイン・ロビーに集合してください」  新年会で賑わうカフェテリアに悲鳴が響いた。駆けつけた警備要員が酔っ払って事情を理解できない職員の腕を取り、地下シェルターへ連れて行く。 「警備要員は戦闘服を着用しメイン・ロビーに集合してください」  緊張した声の放送は、研究所に隣接するドミトリーにも流れ、二人の若者が部屋から廊下に飛び出した。 「俺たちも行くのかなあ……」  まだ十代の幼さが顔に残ってはいるが、Tシャツがはち切れそうなほど筋骨隆々な一人が首を傾ける。もう一人は、左右のこめかみにアンテナを埋め込んだインターフェイサーだ。同じくらいの年齢だろうが、体つきは痩せていて表情も大人びている。 「俺たち、特別なんだから、明確な指示があるまで動かない方がいいだろ」 「そうだな。オルカ、聞こえるか?」  声をかけると、それを待っていたかのようにドアが開かれ、戦闘服に身を包み、レーザー小銃を肩に提げた娘が立っていた。 「おまえら、いつまでパジャマ着てるつもりだ?」  二人は慌てて部屋に戻り、戦闘服に着替えた。再び廊下に飛び出るなり、インターフェイサーの若者が叫んだ。 「本館の警備本部から招集がきた!」  チームLと呼ばれるAACのラボノイド戦闘員が初めて実戦に招集された瞬間だった。廊下の先頭を走るのがオルカ。最強の女性格闘家と評判のオランダ人の保存DNAをベースにして、戦闘能力が向上するように調整した戦闘ラボノイドだ。  彼女に続く痩せたインターフェイサーはIT。著名な棋士のDNAを調整し、情報収集・分析能力を強化し、さらにセンサーで強化した五感とAIにインターフェースする能力を与えられた。  二人を追いかける筋骨隆々な兵士がマッスル。オルカのDNAを調整して性別を男性に変え、オリジナルが持つ敏捷性や運動能力よりもパワーを優先した。  彼ら三人が生まれて十八年、日々、兵士としての訓練を積み、来るべき実戦投入の日を待っていた。その記念すべき機会が、ついに訪れた。 「チームL、いよいよ諸君の出番だ」  宣言したのは、警備本部に設置された大型スクリーンの中にいるAAC内務省の国家治安局長、ジョナスン・マッキンレーだ。  優れたAIによってコントロールされるロボット部隊を凌ぐ軍隊を、ロボットとは比較にならないほど安価に創設する――。  この命題の答えこそがラボノイド軍であり、その最初のテストを前にした彼の表情は、明らかに高揚していた。 「脱走したミュータントは二十七名。全員にマイクロチップが埋め込まれているので追跡可能だ。諸君の任務は彼らを追跡し、処分することだ。もし、諸君の行動を邪魔する者がいたら、容赦なく排除しろ。これは、諸君にとって卒業試験でもある。成功を祈る」  今回の襲撃を実行した武装集団は「ミュータント解放同盟」と名乗っているが、構成員にミュータントはほとんどいないという。要するに、下層民の不満分子がミュータント解放を謳い文句にして暴動を起こした。彼らは、自分たちの行動を正当化するために、本物のミュータントが必要だったということらしい。  一方、彼らが連れ出した二十七名のミュータントには、彼らがここで受けて様々な「治療」の痕跡があり、その内容が世の中に知れることは、国家にとって望ましくない。だから処分するのだと警備本部長は三人に説明した。 「もちろん、この話は他言無用だ。きちんと秘密を守っているか、常に諸君の言動はモニタリングされていることを忘れるな。ターゲットの位置は適宜ITに伝えるので、彼のナビゲートに従ってくれ。今のところ、連中は東へ向かっている。一気に山岳部へ逃げ込むつもりかもしれない。追跡には何を使いたい?」  ITとマッスルは同時にオルカを見た。 「三人乗れるドローンが欲しい」  彼女が答えると、二人は同時にうなずいた。  数分後、雷雪が止んだ夜空にオルカが操縦するドローン飛び立ち、三時間以内に十三人のミュータントが処分された。  ターゲットは幾つかのグループに分かれて逃走を図ったが、時速百キロで空を飛ぶドローンから徒歩で逃げ切れるわけもなく、翌朝八時までには全員の処分が終了した。  マッスルは体の数カ所にレーザー弾がかすめた軽い傷を負ったものの、他の二人は無傷で本部へ戻ってきたのは朝九時前だった。  人とは思えぬ動きの三人の兵士に襲われ、九十人が殺された――。  脱走させた二十七名のミュータントの他に、研究所を襲撃した三十人、さらに、協力者の三十人以上を殺された武装集団から、そんな情報が公共ネットワークに流された。  同じタイミングで、AAC内務省にも「想定以上の戦果」が伝えられ、朝食を済ませた頃には、彼らはちょっとした有名人になっていた。  しかし、その僅か数時間後、異変が起きた。 初出動から帰還し、休息を取って眠った三人の戦闘ラボノイドが、二度と目覚めなかったのだ。      *  いったい何が起きたのか——。  国立人類進化研究所・ラボノイド研究チームはパニックに陥った。数時間前に「想定以上の戦果」を上げたチームLが、何の前触れもなく全滅した。  ジョナスン・マッキンレーは、研究所内に箝口令(かんこうれい)を敷くよう命じ、高速ドローンで首都のニューヨーク・リバティ・ドームからナパ・バレーに飛んだ。  研究所の多目的クリーンルームに安置された三人の遺体の安らかな表情に接し、彼らを育ててきた十八年の歳月が消滅したような虚脱感に包まれる。 「外傷は一切ありません。CTスキャンおよび内視鏡で詳細に調べましたが、内臓へのダメージやガスなどの異物を取り込んだ形跡もありません」  検視を指揮したラボノイド研究チームリーダーのキング博士は、白衣に包む大柄な体を震わせ、それが分厚い唇に伝わっていた。 「ただ、勝手に心臓が止まった、ということかね?」  白人の治安局長は、冷たく、意地の悪い横目を黒人のキング博士に投げかけた。それを跳ね返す気力などとうに失っていると白状するように、博士は頷き、こういった。 「解剖の許可をください。臓器の細胞を調べなくてはいけません。それと、新たなラボノイド製造については……」  マッキンレー局長は博士に向き直り、語気を強めた。 「解剖は許可する。徹底的に調べて死因を特定するんだ。新たなラボノイド製造は、死因がはっきりしてから検討する」  死んだ三人のラボノイドを製造したレシピとオリジナルDNAは残っている。何よりも彼ら自身の肉体だってある。だから、クローンを生み出すことはたやすい。しかし、もう一度、十八年かけて育てても同じことが起きないという保証はないのだ。  むしろ、同じことが起きると思っていた方がいいのだろうと考えながら、マッキンレー治安局長は研究所の警備本部へ入った。  研究所のセキュリティ・レベルは極めて高く設定されているが、中でも警備本部は首都にある本省並みのセキュリティが確保されている。警備本部長を含む全員をその部屋の外へ追い出し、マッキンレーは、ニューヨークから持ってきたキーボード付きのコムフォンを非常用ネットワークに有線接続した。      *  ――緊急コール、ハンター。  キーボードにそう打ち込むと、即座に文字が返ってきた。  ――ハンター、応答。  ――ラボノイド三名が突然死亡。死因不明。心当たりは?  少し間を置いて、文字はこう打たれた。  ――ルーナ・ファータ。彼女は遠隔操作でアポトーシス・コードを起動できる。  ――それはなんだ?  ――細胞を自殺させるバイオ・ファイル。彼女が生み出したラボノイド全員に埋め込まれているようだ。  ――初耳だ。  ――そちらに送ったレシピは彼女ではなく、提供者自身が開発したというから、アポトーシス・コードは埋め込まれていない筈だ。  ――騙されたか。  ――そうらしい。あいつら、ルーナ・ファータのレシピを盗んだようだ。落とし前はつける。  ――言っておくが、彼女に手は出すなよ。  ――わかっている。しかし、彼女のレシピだとすれば、そこからアポトーシス・コードを切り取れなければ、同じことが起きる。  ――簡単にはいかないのだろうな。  ――年単位の時間が必要だろう。それよりも、彼女を殺せば、誰もアポトーシス・コードを起動できなくなる。  ――最高知性会議は、脳直接尋問装置の最初のドナーを彼女と決めているんだ。  ――いつまで待たせる?  ――私の守備範囲外だ。準備ができれば、彼女の身柄を確保しろと、おまえに注文が入るだろう。それまでは、我々でやれることをやる。こちらでは、アポトーシス・コードの切り取りにチャレンジする。では、通信終了するぞ。  ――待て。まだ確認中だが、優先度の高い情報がある。北京城国がラボノイド戦士の制作をカグヤ・シティに依頼し、既に卵は完成されて人工子宮に入っているようだ。  ――本当なら、すぐに対処しろ。  ――わかっている。俺をコケにした連中もまとめて処分する。  ――任せる。ルーナ・ファータの命を除いて。      *  警備本部から出てきた治安局長の顔が少し落ち着いているのを見て、本部長は、ようやく肩の力を抜いた。 「解剖が終わったら、キング博士たちに伝えて欲しい。彼らのDNAにはアポトーシス・コードと呼ばれる細胞の自殺コードが埋め込まれているようだ。それを発見し、切り出した上で次のラボノイド制作に進んで欲しい。それと、ラボノイドの成長を早める研究を並行して進めるように」  多目的クリーンルームで解剖の準備をするキング博士にもマッキンレー局長の声はスピーカーから届いていた。博士は一瞬手を止め、大きくため息をついてから作業に戻った。クリスマスも新年も、自宅で過ごす日は、永遠に来ないような気がした。 *おまけのSIDE STORY②.アポトーシス② へつづく。
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