けじめ

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けじめ

 数日後、中谷さんが赤ちゃんを抱えて二課に遊びに来た。いや、俺は外回りで会えなかったけど……可愛らしい赤ちゃんで、皆に出産祝いのお返しを持ってきたくれたのだそうだ。 「はい、陽平君の分。会えなくて残念がってたよ」 「ありがとうございます……俺も会いたかったっすよ」  遠山さんがくれたのは、可愛らしい小さな化粧箱だった。 「有名パティシエのチョコよ。一つ摘んじゃったけど、すんごい美味しいの……あ、二課の後に企画室行ったみたいだけど」  彼女が何を期待しているのかがわかり、俺はチョコを引き出しにしまってパソコンを開けた。 「気にならない? 」 「何で。俺、別に関係ないっすよ」 「何それ。牧田室長のお稚児さんのくせに」 「あのさぁ」  二つ先輩とはいえ、最近の遠山さんの食いつき方は本当に煩くて、仕事の邪魔でしかなかった。いや、手も止まるが、何より気が塞いでメンタルが止まってしまう。 「もうしつこいから言っちゃいますけど、俺、ただの舎弟なんで」 「舎弟? 」 「はい。同じ大学なんすよ、牧田さんと。で、色々仕事教わりたくて俺からくっついてるだけなんで」 「そうなのぉ? 」 「そうです」 「つまんなーい」 「つまんないです」 「お稚児さんでもいいのにぃ、牧田さんは女優ばりの美人だし、陽平君も爽やか系のイケメンだし、女子の間ではビジュ最高カップルだねって、陰ながら応援してたんだけど」 「仕事、していいっすか」  相当不機嫌な顔をして見せたつもりだけど、遠山さんはまだニヤニヤと俺の方を見ている。  舎弟か……そんな表現でしか、表しようがないな、今は。  自販機でコーヒーでも、と思い立ち、俺はエレベーターホールを横切って企画室の方へ向かった。その手前に、自販機が置かれている休憩スペースがある。牧田さんと行動し始めるまでは、ここに来たことはなかった。大抵外で買ってきてデスクで飲んでいたからだ。  自販機にコインを入れようとして、俺は手を止めた。  何となく、牧田さんが気になった。  少し逡巡して、俺はやっぱり企画室長室に行くことにし、コインをポケットに放り込んだ。  控えめにノックをすると、中から控えめな返答があった。 「牧田さん……」 「何だ、陽平か」  ここのところ、牧田さんは二人だけの時、下の名前で呼んでくれるようになっていた。あの甘い声で呼ばれると、ちょっと幸せな気持ちになるのだが……今日は沈んでいた。 「中谷さん、来たって聞いて」 「ああ、ここにもな。お前のこと、くれぐれもって、それで……」  ぐっと、牧田さんが唇を噛み締め、そして解いた。 「子供は可愛いですよって……早くいい人見つけたらどうですか、ときた」  今にも消えてしまいそうな儚い色の瞳を、牧田さんが伏せた。  カッと、俺の中で怒りが沸騰した。 「見損ないました……」 「だろうな。こんないつまでもいじけてる35のオッさんなんて……」 「違います、中谷先輩のことです」 「え……」 「あなたにそんなことを言うあの人を、俺は見損なったと言ったんだ。誰に対しても、子供のことなんか自慢げにマウント取るべきじゃない、ウチの姉貴も結婚して中々恵まれなくて、そういうのに苦しんだから……じゃなくて」 「おい、陽平」  何言ってんだ、俺。何が言いたいんだ、いや、言いたいんだけど、やばい、混乱してきた……。  牧田さんは半分呆れたように、またいつもの鉄壁の微笑みに顔を固めてしまっている。  俺はこの人の泣き顔も、こんな取り繕ったような美しすぎる笑顔も、見たくない。そう、柔らかく、心からホッとした笑顔を見せて欲しい。 「大丈夫か、陽平」  整いすぎた表情で、俺の名を口にするけど、心配げな航介さんの声の方が余程弱々しい。 「航介さん」  覚悟を持って顔を上げ、俺は牧田さんの、いや航介さんの名前を呼んだ。 「俺なら、そんなこと言わない」 「だな、確かに」 「自分を好きでいてくれるかもしれない人に、縁がなかったとしても、そんな酷いことは言わない」 「ああ」 「俺、航介さんと、もっと一緒にいたいです」 「陽平……おまえ、こっちじゃないだろ」 「こっちもあっちもないでしょ、好きなんだから」  プッ、と航介さんが吹き出した。  目尻に可愛いシワ。取り繕っていない笑顔の証拠。整っていてすごく美人なのに、こういう顔をした時の航介さんは、可愛い、としか思えない。 「なんだよ」 「いえ、可愛いなぁって……」 「ジジイからかって何が楽しいんだよ」  航介さんが、手近にあったファィルで俺の頭を叩くように振り上げ、そのまま俺の顔にその美しい顔を寄せてきた。  軽く、唇が重なった。 「嫌じゃないか? 」 「ぜ、ぜぜ、全然、何なら足りませんけど」  本当は目一杯動揺している俺を、航介さんは抱きしめた。彼の頭が俺の肩に乗って、髪の毛からふわりと芳香が俺の鼻腔を刺激した。 「今日、ウチに来ないか」  はい、と俺は蕩かされたままに彼の耳元で囁いた。
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