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琥珀は閉じた本を胸におくと、ほおっと、長いため息をついた。
本の表紙には『走れメロス』と書かれている。目を閉じると、今読んだばかりの本の世界が広がった。
クラスの女子たちが羨ましがる長いまつ毛にピンク色の唇。
全体的に色素が薄く、髪はどこの美容院で染めているのか、瞳は何色のカラーコンタクトを入れているのか、透き通るような白い肌はどんなスキンケアで維持しているのかと尋ねられるが、琥珀はスキンケアもカラコンもしてないし、髪は月に一度家で母親に切ってもらうだけだ。
それが男というものだろう。
「やっぱ走れメロスは男の友情を描いた金字塔だな」
畳の上に寝転がっていた琥珀は跳ねるように起き上がる。
「そうだ、そろそろ『相棒』が始まる時間だ」
茶の間に降りて行くと、お婆さんと大姉が餃子の皮に餡を包んでいた。
琥珀には三人の姉がいて、上から大姉、中姉、小姉と呼んでいる。
琥珀の姿を認めた母が台所から「そろそろ夕飯ができるから瑠璃を呼んで来て」と声をかけてきた。
瑠璃とは小姉のことだ。そこへ中姉が帰ってくる。
「寒いと思ったら雪降り出したよ〜」
中姉の肩と髪についている小さな雪は、温かい部屋の空気に触れて急速に水と化していく。
「まじで!?」
窓に駆け寄り開けると、「寒い琥珀」と大姉の文句が飛んでくる。
外に手を差し伸べると冷たく白いものが触れた。
琥珀は玄関に走った。途中階段の下から二階に向かって叫ぶ。
「小姉ちゃん、ご飯だって!」
「琥珀、どこに行くの?」
中姉の声が追ってくる。
「暖のとこ!」
家の外に出ると、夜空に白い花びらのような雪が舞っていた。
同じ地元の高校に通う暖の家はいわゆるスープの冷めない距離っていうところにある。
「暖! 暖!」
窓の下で暖を呼ぶと暖はすぐに顔を出した。
「琥珀? どうした?」
暖の頬に冷たいものが触れ、空を見上げる。
「初雪だよ! 暖! 青龍山に行こうよ!」
琥珀は両手を広げた。
「えっ、今から……?」
「早く、暖!」
琥珀の満面の笑みに暖は頬を緩めると「すぐ行くから待ってろ」と窓を閉めた。
家から出てきた暖は手にダウンジャケットを持っていた。
「その格好じゃ寒いだろ」
シャツにパーカーを重ねただけの琥珀にジャケットを投げると、裏から自転車を引っ張ってくる。
「やっぱ暖のは俺には少し大きいな。いったい何食ったらそんなになれるんだよ」
琥珀は袖からわずかにはみ出した自分の指先をしみじみと眺める。
「早く乗れよ」
暖は顎先をクイッと自転車の後ろに向ける。琥珀は後輪に取り付けたハブステップに足をかけると暖の肩につかまった。
がっしりと厚みのある暖の肩は、琥珀と同じ高校一年生とは思えない。
琥珀は細身ではあるが決して小柄な訳ではない。
昔は同じくらいの体格だったのに、第二次成長期で暖はぐんぐん育ち、あっという間に差がついてしまった。
今でもまだ背は伸びているらしい。
暖は琥珀の幼なじみで、血の誓いを交わした唯一無二の親友だ。
血の誓い。
それはお互いの手の平に傷をつけ、浮き出た血と血を擦り合わせて誓う男の友情の誓いだ。
琥珀の父親は琥珀が幼い頃に交通事故死した。
それからお婆さんに母親、そして三人の姉といった女だらけの家で暮らす琥珀は、男同士という言葉に強い憧れを持っていた。
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