其の一、彩る食

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其の一、彩る食

 (みや)。それは京における行政機関、施設が立ち並ぶ区画の名称である。他にも神事を執り行う殿舎や、皇が住まう「大内(おおうち)」と呼ばれる場所が存在している。  人事、司法、学問、暦、神事、天文、財政、天皇侍従、音楽、外交、その他諸々。  その中でも、宮中の料理人が集うのは「大炊寮(おおいりょう)」と呼ばれる場所である。神事や宴に使われる食材の管理と調理を任され、更には皇一族の食材の一部を掌るのもこの機関であった。  烏帽子姿に直衣を纏った人物は戸の前で「失礼します」と声をかけた 「……?おや、これはこれは、狭井(さい)殿ではありませんか」  狭井、と呼ばれた人物は大炊寮の戸口で一礼する。 「今日もまた学ばせていただきたく、皇の許可を頂き、参りました」  温和なことで有名な大炊頭(おおいのかみ)である中彰通(なかのあきみち)は狭井に微笑んだ。 「狭井殿は勉強熱心な方ですね。今日は見学以外にも何かされますか?」 「少しだけ包丁を貸していただけますでしょうか。食材は既にこちらで用意していますので」  狭井は手に持っている籠の人参を見せる。 「準備万端ですね。……今日は皇の御膳にも挑戦してみてはいかがですか?きっとお喜びになられますよ」 「そうですね……。たまには良いかもしれませんね」  中彰通の小声での提案に微笑む狭井は、まるで花のようであった。 「大炊寮の凄腕料理人を探してる?」 「お前、宮での顔広いし一人や二人知らないかなって。噂でもいいぞ」  道晴の隣で頭を悩ませるのは藤為助(ふじのためすけ)。藤家でも先祖を同じくしているが、ほぼ他人と言っても過言ではないほどの遠い親戚かつ、宮内での友人である。 「いやー、大炊寮はそもそも知らないなあ。頭が温和な中彰通様っていうことくらいしか……」 「彰通様って、どんな方なんだ?」  道晴は宮に出仕し始めてまだ二年、今年で三年目。まだ知らない顔や出会ったことのない人物はいくらでもいる。 「俺も直接会ったわけじゃないが、噂によれば温厚温和。怒っているところを見たことが無い。いつも慈愛に満ちた笑みをたたえている。とか、神様みたいな人だ」 「へえー……。神が優しいかはともかく、一度会ってみようかなあ」  この際、様々な人脈を持つことはのちに妖饗応への協力が得られるかもしれない。聞いた感じ、話を聞いてくれそうな人柄だ。了承が得られるかは置いておいて。  ふと、視線を感じて顔を上げた。為助が興味深そうに道晴を眺めていた。 「な、なんだ?」 「いや、人使いも金遣いも荒いわりには、よく物思いにふけるよなって」 「それ噂だからな。実際はそうでもないぞ」 「でも皇の御前まで行くとかいう暴挙に出てたじゃないか」  うぐ、と為助に居たいところを突かれ、道晴は二の句が告げなくなる。 「な、何故それを……」 「もう話は広まってるぞ。殿上の間に藤家の暴君三男坊が乗り込んできたって」 「う……それについては、ちゃんと父上からお叱りを受けました」 「そりゃそうだろうな」  昨日の事である。白狼真神と出会い、事前調査を終えて帰宅した道晴は、夕餉の前に父の道康から説教を受けた。 「道晴。お前、皇が寛大な心で許してくださったから良いものの、本来であれば首を刎ねられていたところだぞ。分かっているのか」 「……はい、その件は本当に申し訳ございませんでした……」  しゅん、と縮こまる道晴に、道康ははあ、と額に手を当てため息をついた。 「自分の立場と場所をわきまえなさい。もう子供ではないのだから。誰もが進言できる国や制度であればまだしも、皇は神の末に名を連ねる方だぞ。そこのところ、ちゃんとするように。藤家に生まれたのであれば、立場や権力に驕ることなく、常に謙虚に、礼節を欠かさないこと。いいな」 「はい、父上」  道晴の反省の意を込めたその返事をもってしても、やけに道康がもの言いたげな、疑いにも似た視線を向けていたのは気になったが。 「お前、やんちゃした前科がありすぎ」 「宮に来てからはおとなしくしてるけど」 「いや、幼い頃からの話だと思うぞ……」  友人として度々道晴と共に遊んでいた為助は知っている。子供には登ることなど到底できない屋根に、鳥と同じ景色を見たいと塀を使って登ろうとしたこと。邸の床下に何か埋まっていないか這いずって探し回ったこと。邸を抜け出した回数は百を超え、新しいものが好きで、珍しいものは絶対に欲しがった。  その暴れっぷりに、彼の兄と両親はさぞ疲弊していたことだろう。いや、確実に疲れていた。その顔を何回か目撃している。 「まったく……無茶はするなよ?」 「分かっているとも」  二人が歩いていると、すれ違った同じ官位の一組の会話が聞こえてきた。 「なあ、最近大炊寮に現れる謎の人物、知ってるか?」 「誰だそれ?」 「知ってる。彰通様の隣でよく勉強しているという者だろう?面立ちがさぞ美形とか」  ふむ。と道晴は通り際に少し考える。謎の人物。面白そうな響きではないか。  抑えきれぬ好奇心に、道晴は為助の制止の声も聞かずに三人組の方へ踵を返した。 「すまない、その噂詳しく聞かせてくれないか!?」 「ん?いいが、そんなに知っていることはないぞ?」 「それだけでも助かる!」  官人の青年はふむ、と自分の記憶を辿り始めた。 「私は一度だけ見たことがあるんだが、噂によれば二、三年前から大炊寮に出入りしているらしい」  曰く。  謎の人物は大炊頭、中彰通よりも頭二つ分ほど背が低く、どこの寮の所属かは不明。ちらりと見えた面立ちは長いまつ毛につり目の美形だったとか。 「彰通様の隣に立たれて、熱心にその手さばきを眺めておられたぞ」 「大炊寮、彰通様、寮の所属は不明……なるほど。助かった、恩に着る」  道晴はぺこりと頭を下げると服の中に隠していた(くつ)を取り出す。(きざはし)まで駆け寄ると沓を履いてそのまま大炊寮の方面へ駆けて行ってしまった。  置いて行かれた為助に、官人の青年は声をかける。 「貴殿は行かなくて良いのか?」 「ああ、あいつに付き合ってたらこっちの仕事が終わらねえ」  しかし、昔の道晴なら「階まで行くなんて面倒臭い」とか言って直接庭に飛び出すことなんぞ、よくあったことだ。廊から外に飛び降りなくなったのは成長だな、などと埒もないことを思う為助であった。
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