其の一、彩る食

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 道晴が所属する治部省から見て、大炊寮は真反対の東に位置している。距離は約十町(一キロ)。徒歩で凡そ四半時(十五分)。饗宴や儀式が行われる豊楽院(ぶらくいん)朝堂院(ちょうどういん)の横を通り過ぎ、学問を掌る式部省(しきぶしょう)を越えると大炊寮が見えてくる。  大炊寮からは(かまど)の煙が上がっている。もうすぐ昼餉(ひるげ)の時間だ。後宮内の配膳を任されている内膳司(ないぜんし)に出来上がった食材を提供している頃か、まだ調理中か。  道晴は大炊寮の前まで来ると、入るのを少しためらった。今は流石に忙しい時間帯か。 「うーん。これは出直した方がいいかな……」 「おや?貴殿は……もしや道康様のご子息では?」  大炊寮の廊下から声を掛けられる。見上げると、柔和な面立ちの男がいた。おそらく50代前半だろうか。 「大炊頭、中彰通様でいらっしゃいますか?」 「ええ、そうですよ。どうなされましたか?」  これ好機。 「ご相談があって参りました。よろしければ、ご都合のつく時間など……」 「そうですか……なら、今でも大丈夫ですよ。丁度一段落したところなので」  彰通がどうぞ、と大炊寮の中に案内する。彰通の仕事場らしき広間に通されると、二人は円座に腰を下ろした。 「申し遅れました。私、治部省(じぶしょう)所属の藤道晴と申します」 「存じ上げています。この間、皇の前で饗応の提案をされたでしょう?」  うぐ、と道晴が先ほどと全く同じうめき声を漏らす。あの場に彰通もいたのか。 その様子を見ていた彰通がははは、と笑い声をあげる。 「中々面白そうな案だったので感心しました。それで、今回の相談事はもしや饗応に関することですか?」 「はい。妖の中には食を求めてくる者もおりまして、よろしければ腕の立つ料理人の方を紹介していただきたい。大炊寮内の人間でなくとも、私的な関係から噂話など、なんでも大丈夫ですので」  道晴の言葉に彰通は少しばかり思案する。 「……おそらく道晴殿の期待にこたえられるような料理人は、少なくとも大炊寮にはいませんね。彼らは与えられた教則本などを参考にして調理していますので。儀式や饗宴で出す膳もあまりふさわしいとは思えない……」  この中彰通という男。かなり人を観察する力があると見た。道晴の提案、というだけで普通の料理人ではいけない、料理が上手いというだけでもいけない、何か一つ特技のようなものがある人物を記憶の中から探しているのだろう。  それを感じた道晴は思わず感心した。自分も見習わなければ。   「失礼します。彰通様、いらっしゃいますか?」  透き通るような声音が響いた。 「どうされましたか?狭井殿」 「狭井……?」  聞きなれぬ苗字に道晴も声の方を振り向く。背は低くもないが高くもなく、長いまつ毛に美しい瞳。凛とした面立ちの少年だった。おそらく道晴と同年代くらいの。だが、衣の色からして道晴と同じ官位か。 「……?そちらは?」 「桜の大臣藤道康様のご子息、道晴殿です。相談を受けていまして」 「初めまして。藤道晴と申します」  藤、と狭井は考え込む。そして、何かが納得のいったように顔を上げた。 「……ああ。藤の御方(おんかた)の」 「……?」  小さな声だったが、聞き取れた単語に道晴は首を傾げる。「藤の御方」は道晴の叔母に当たる人物の呼び名だ。顔を合わせたことはないが、皇に嫁いだ妃の一人である。  何故、叔母を知っているのだろう。風の噂で聞いたのだろうか。 「彰通様、本日はありがとうございました。そろそろ刻限ですので……また明日参ります」 「そうですか、お疲れ様です。明日もお待ちしていますよ」  狭井はぺこりと頭を下げると大炊寮を退出した。 「彼はどういう方なんですか?噂によれば、どこの寮に所属しているかどうかわからないと……」 「狭井殿は三年ほど前から、私の隣で助手という形で手伝ってもらっています。そうですね……見習い、と表現した方が正しいですかな?」 「見習い……」  その言葉に、道晴は考え込む。そして、何か決心したように顔を上げた。 「彰通様。明日、私にも食についてご教授いただけませんか?」 「道晴殿が?構いませんが、どのような理由で?」  道晴はまるで子供の用に目を輝かせながら訳を話す。 「饗応する際に、主催者である私も食について知っておかなければと思うのです。普段、皇族の方々の食膳や饗膳を任されている方々なら、心得などもおありでしょう。神祇に関わる者達を饗応するにあたって、食に関するもてなしの心得を学ばせていただきたいのです」  彰通はその言葉に笑みを浮かべる。なんと楽しそうに自分の案を話す少年か。  これは皇も興味を示すわけだ、と納得する。 「道晴殿の熱意、しかと受け取りました。では、明日の同じ時刻に大炊寮にいらしてください」 「……!ありがとうございます!」  道晴は深々と頭を下げた。これで、少しばかりだが饗応の準備が進んだのだ。  後宮。皇の私室である涼殿に昼餉が運ばれてきた。御付きの女房が膳を整える。 「皇、昼餉をお持ちいたしました」 「ああ。助かる」  近年、大炊寮が手掛ける食が少し変わった。今までは豪奢なものを意識していたのだろうが、最近は趣向が変わったように思う。だが、味は今の方が好みだ。  おそらく大炊頭に中彰通が就任したことが大きな要因の一つと言っても過言ではない。彼は就任の際に皇の好物や食べることができないものなど、くまなく聞き取りを行っていた。それが活きているのだろう。だが、彰通以外にもう一つ。  汁物の中に浮かぶ花型の人参を眺めて、皇は慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。 「たまには、家族で夕餉を共にするのも良いかもしれんな……」  翌日。道晴は夕餉の支度をする彰通の隣で、自前の手帖を開き熱心に書き記す。 「人にはそれぞれ、好き嫌いがあります。ですが、膳を作る相手が皇であっても、皇妃であっても好物ばかり、嫌いなものを除くばかりになってはいけません。食材にはそれぞれ含まれる栄養が異なります」 「なるほど。栄養は肉と野菜では全く別物だから、ということですか?」 「大雑把に説明すればそういうことになりますね。肉は人の身体を強くするのを助ける効果があります。一方で、こういった葉物は消化を良くする効果や健康を維持する効果があります。あとは米ですね。米や穀物は、人が動く時の力の源になります」 「それを万遍なく取ることが重要というわけですね」 「ええ。そして万遍なく食材を使えば、自然と、彩も華やかになるというわけです」  道晴は炭を細く尖らせたもので素早く書き記す。今まで教えてもらった分だけでも既に紙三枚分が埋まるほどであった。 「料理というものは相手の体内に入るものですから、召し上がる方々の事を考えて、臨機応変に対応することが大切です。もちろん、元気でいて欲しいという心を籠めることも大切ですよ」  彰通は話しながら火加減を調節する。その隣では、黙々と包丁を動かす狭井の姿もあった。道晴は少しだけ狭井の方が気になって覗いてみる。不思議な包丁の動かし方をしていた。 「彰通様、器はこちらに置いておきますね」 「分かりました。助かります」  大炊寮の役人が器を並べる。ざっと二百人分くらいか。後宮は皇族と、彼らに仕える女官が大勢いる。その人数分といったところだろう。  彰通をはじめとして料理人たちが器に食事を盛りつけていく。赤い漆塗りの器が様々な食材で満たされていく。  そのうち一つの膳に、狭井が先ほど切っていたものを乗せる。 「これは?」 「こっちは大根と人参、あれは胡瓜です」  漬物の上に乗せられたのは、蝶であった。狭井はこれを大根と人参だと言った。もう一つの器には草のような形をした胡瓜が添えられている。 「!?これが大根と人参!?」  道晴が目を丸くして狭井を顧みる。 「貴殿、これをどうやって作ったんだ!?」 「包丁で切れ込みを入れて、くるっと」  いとも簡単そうに手で再現する狭井に、道晴はぽかんと口を開ける。 「この技は狭井殿しかできないものなんですよ。大炊寮生で挑戦してみたんですが、練習が必要で……」  彰通は苦笑する。おそらく大炊寮生たちが大分苦戦したのだろう。その言葉を聞いたうえで、道晴はもう一度その膳を眺める。他の膳とは違い、まるで本当に蝶が飛んでいるようであった。 「美しい、な……」  その言葉に、狭井が少しだけ嬉しそうに微笑んだ。  そうだ、と道晴がまた何かを思いついたようだった。 「狭井殿!良ければ妖たちに一つ、(じゅう)を作ってはくれないか!?」  思いもよらぬ言葉に、狭井が面食らう。 「じゅ、重……?」  道晴が頷く。 「箱の中に料理を敷き詰めるのだ。まだ饗応の庵が完成していないから、敷物を敷いて夜空でも眺めながら食してもらおうと思っている。きっと貴殿の技があれば、宝石箱のような重が作れると思うのだが!」  目を輝かせながらがし、と手を握る道晴に、狭井は恥ずかしそうに頬を染めながら、一つ頷いた。彰通が何故かもの言いたげな視線を向けている。 「わ、分かりました。その重とやら、作ってみましょう」 「!本当か!?ありがとう!」  幼子のように満面の笑みを浮かべる道晴に、狭井は釣られて笑みを浮かべた。宮の中ではこのように無邪気な人物は稀だ。皆裏には何か思惑があったり画策していたりと、政的な機関が集まるためか、その実態は泥水のように濁っていたりする。  彰通はそっと狭井に耳打ちした。 「よ、よろしいのですか?」 「ええ、大丈夫です。外に出るわけでもないでしょう?……しかし、ふふふ、そうですか。一膳分を調理できるのですね……!」  これまでの気品のある言動とは異なり、どこか燃えているような、楽しそうなのは気のせいだろうか。温和で常に微笑みを浮かべていることで有名な彰通は珍しく、冷や汗を流していた。 「道晴殿、それはいつまでに完成させればよろしいですか?」 「出来次第大炊寮に受け取りにくる!都合の良い日で大丈夫だ」 「では、少し重の中身を考えますので、三日後に」 「ああ。それじゃあ、お願いします」  道晴は狭井に礼儀正しくお辞儀をする。狭井はよし、と息を吐くと彰通の方へ視線を送った。 「彰通様、ということですので三日間ほどこちらに泊まらせていただいても?」 「泊っ……!?いや、それは……」 「大丈夫です。文を送っておきますから」  ですので、早く一室を。と狭井は彰通を急かす。諦めたように、いや、何かを覚悟したように彰通は息をついた。 「わ、わかりました。一番東の部屋をお使いください。人通りも少なく、集中できるでしょうから」 「ありがとうございます。道晴殿、では参りましょう。少し聞きたいことがありますので」 「え?」  狭井はまくしたてると、道晴の袖をつかんで東の部屋へ向かっていく。その二人の背を彰通は苦笑して見送った。 「少し絵を描きますね。重とは硯箱くらいの大きさの箱が良いでしょうか」 「そうだなー……。うん。そのくらいがいいと思う。……というか今更だけど、敬語じゃなくてもいいのか?」 「ええ。ほら、同じ官位ですから」  そう言って狭井は自分の衣を見せる。深縹(こきはなだ)は六位の色だ。 「私はちょっと、癖で敬語が出てしまいますが」 「そうか。ありがたい」 「続けます。その妖はどのようなものを好んでいますか?」 「好みを聞くのは失念していた。だが、今回は人の食べ物が彼らに受け入れられるかどうかを確認しておきたい」 「分かりました。ということは、私が好きに作っても良いのですね?」  狭井が嬉しそうな眼差しで道晴を見つめる。 「あ、ああ。隙に作ってくれて構わないけど」  本当に料理が好きなのだな、と感心する道晴だ。  その時、ごーん、と終業の鐘が鳴った。 「引き留めてしまってすみません」 「大丈夫。次に会うのは三日後か」 「ええ。三日後、楽しみにしておいてください」 「うん。楽しみにしておく」  そう言うと、道晴は手を振って退出した。手を振り返して見送った狭井は、早速思考を巡らせる。 「妖、京に入れないが故に京に入ろうとする者達。おそらく牡丹門や他の門しか、それより内側の様子は見たことが無いはず。なら、京の華やかさを現したほうが良い。花と蝶がやっぱり定番。あとは……蓮根で花を、庭の砂利を米にして、池は出汁を葛粉で固めたものを。いや、重ということは外に持ち出すから箸で掴めるほうが良いか……。じゃあこの案はまたどこかの機会で。食べやすいように白米の上に肉か魚を乗せて……、その横に漬物と飾りを並べて、少しだけ干し果も入れたら喜んでくれるかも……」  ひとしきり悩んだ末、狭井は紙に何かを描き始めた。 「やはり、京の華やかさを野菜の彩で表すことにして、曲線を中心に雅さを……」  ふと思い出す。そういえば大炊寮に宿直する旨を父に伝えていない。 「……先に文を送ったほうがいっか……」  帰宅した道晴は紙と墨を用意し、手帖を開けた。 「さてと……彰通様に教えていただいたことを纏めるか」  料理の心得。食材にはそれぞれ効果があり、万遍なく摂取することが大切。食べる人のことを考えること。肉、魚は身体をつくり、野菜は消化や健康維持、米は活力の源。 「協力してくれそうな妖は……この蜥蜴かな。重を持っていくのは俺だし、複数種族が強力してくれたらいいんだけど……」  あとは狭井の作る、いや人間の料理が妖にとって美味しいと思うものなのか。  饗応、というからには相手に満足してもらえるような内容にしなければならない。それに加えて、道晴には皇の期待、という大きすぎるものを背負っているのだ。  ふと、狭井と彼が作る芸術を思い出す。 「それにしても、美しい技術だったな……。あの凛とした佇まいによく似合う」  彼が協力者として、これからも力を貸してくれるならどんなに頼もしいことだろうか。 「何はともあれ、重の出来が楽しみだ」  そう、道晴は笑みを浮かべながら頷いた。
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