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俺の話
「あらためまして。僕、◯◯郵便局、集配課の須賀といいます」
首にかけた社員証を防寒着の下から引っ張り出して見せながら、俺が名乗ると、店主も「浅川です」と丁寧におじぎをした。
「須賀さん、ですか。この土地の方ではないですね、お名前的に」
眼鏡の奥の優しそうな目を細め、社員証をじっくり見ながら浅川さんが言う。
「はい。出身は神奈川県です。去年の四月にここへ来ました」
「へえ、ずいぶんと遠くから来たものですね!それは何というか、キャリア形成的な理由ですか?」
「そんないいものじゃないです。実は飛ばされて来たんですよ、俺」
気が付けば、滅多に他人に話さないような身の上話みたいなことまで次々と話し出していた。この暖かく寛いだ雰囲気の空間で、彼の包容力に満ちた物腰に触発されたのだろうか?そこのところは分からない。
「入社して配属されたのは大都市の大きな局の保険課でした。そこに三年くらい勤めたのですが、そのなんというか・・メンタルを病んでしまいまして・・・」
「大変でしたね。そういえばノルマとかが厳しいって、ニュースなんかでもよく言ってますもんね」
「はい。で、俺にはもう保険は無理だと思って転勤希望を出しました」
「ほう、そういった制度もあるのですか」
「あります。でも、新たな職場では中途採用のような扱いになっちまいますけど。・・・で、それがたまたま欠員のあったここの局に決まったというわけです」
「そうだったのですか。でも私は立派だと思いますよ、あなたを。身体ひとつで見知らぬ土地に来て、雨の日も風の日も郵便物を配り続けるなど、生半可で出来る事じゃない」
普段、褒められるより叱られる事の方が多い俺にとって、その言葉は心にジーンと沁みた。 日頃感じている不安や不満が消えて失くなるという程ではなかったけれど。
実際、職場が替わっても落伍者の烙印は消えないのだ。自分の名前は常に新人より下に置かれ、重要な役目など一切任されることはない。そんな状況で、どうやって挽回すればいいというのだろう。そんな思いがつい口をついて出た。
「 もう仕事なんて投げ出してしまいたいくらいですよ、人生ごと!」
俺が冗談めかしてそう言うと、浅川さんの目が一瞬、ギラリと光った・・・ような気がした。
「おや。湯が沸いたみたいですね」
ここで浅川さんは席を外し、すぐにまた盆に載せた器具一式を手に戻ってきた。
「コーヒーでも飲んでいってください」
そう言って、慣れた手付きでクル、クルとドリッパーに湯を落とすと、ジュ!という音と共に鮮烈な芳香の湯気が立ちのぼった。
飲まなくたって分かる。これは最高に美味いコーヒーだ。寒さで身体が痺れ、手足の感覚すら無くなっている今の俺にとって、これほど嬉しいものがあるだろうか。
手元だけ動かしながら、浅川さんは続けて言う。
「あなたにとっては初めての大きな挫折だったのでしょうね。でもね、この歳になると分かるのですが、人生なんて上手くいかない事ばかりなのです。しかも本人の実力や努力以前に、運だけで決まってしまう事がほとんどなのですよ」
そう前置きしてから、今度は彼が自身の経験を語り始めた。
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