浅川さんの話

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浅川さんの話

  適度な音量で流れる軽快なジャズのピアノトリオに、ストーブの薪のパチパチ爆ぜる音が時折混ざる。複雑な光源の加減か、向こうの壁に二つの影がゆらゆら立ち、なんだかそれが人の形に見えた。  店内に他の客の姿はなく、道路を通過するヘッドライトの光すら、一度も窓から見えることはなかった。こんなんで商売になるのかなと思いながら、俺は浅川さんの話に耳を傾けている。 「来る時、工事のプレハブとか資材の残置物がたくさんあったでしょう?実はかれこれ十数年前に、バイパス道路建設の話が持ち上がっていたのですよ。ここの道幅を拡張して、トンネルで国道と接続して・・・」  浅川さんは遠くを見つめながら、懐かしむような口調で話し出した。 「なるほど。そうすれば市街地の渋滞や騒音問題が解消されますもんね」 「ええ。この道路沿いに昔から住んでいた人達は、その時に補償金や立ち退き料をもらって引っ越していきました。そうですね・・・百軒くらいはありましたかね」 「それでその時、浅川さんはどうされたのですか?」 「私は、先祖から受け継いだこの土地で、カフェをやってみたいと思ったのです。 バイパスが開通すれば毎日たくさんの車がここを通るようになりますから。仕事帰りのお客さんが高台からの夜景を眺め、自家焙煎コーヒーと地元食材の料理で憩いの一時を過ごせるような・・・そんな店を作るのが夢だったのです」 「それがこの店というわけですね」 「ええ。家族の反対も押しきって、 勤めていた会社の退職金も、なけなしの貯金も、全て注ぎ込みました。それでも足りない分は借金までして。そういう時は自分が失敗するなんて、微塵も思わないものですね。  で、店が完成して・・・そうですね、最初の半年か一年ぐらいはそこそこ繁盛してたんですよ。その頃は既に測量やら事前準備なんかで、毎日沢山の工事業者さんが入ってきてましたからね。私は確かな手応えを感じて、成功を疑いませんでした。  それがある日突然、バイパス計画そのものが頓挫してしまったのですよ!なんでも当初国から県に下りる予定だった補助金が下りなくなったとかで・・・。ちょうど政権が不安定な時期でした。  その翌日にはもう業者さん達は次々と撤退を始めていました。そうかといって、いなくなった地域の住人が戻ってくることもなく。結果、私の店だけがこの寂しい土地にぽつんと取り残されたというわけです」 「それは・・・大変でしたね」  他にかける言葉が見つからなかった。思った通り、きっとこの店は採算が取れていないのだ。それも個人では絶対に抗えない世の中の都合のせいで・・・なんて理不尽な話だろう。 「これが運命の残酷さというものですよ。わかりますか?『全ては運』と言った私の言葉の意味が!」  浅川さんの目に一瞬、激情の光が宿り、すぐにまた消えた。  全ては運か。確かにそうかもしれない。例えば自身の過去に当てはめれば、最初から保険課ではなく集配課に配属されてたら良かったのに、運が悪かったなとか、俺だって一度も思わなかった訳じゃなかった。  ところで、浅川さんの話を聞きながら一つ思い出された事があった。多分、いやおそらく、この店とは関係ない事なのだろうけど。それは昔読んだ何かの雑誌記事だ。    
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