脱出

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脱出

 悪い夢の中にいると知りながら、そこから抜け出せずもがき苦しんだ経験は、きっと誰にでもあるだろう。今の俺もそんな感じだ。 心のどこかで『早くこの領域から脱出しろ!』と俺が叫んでいるのに、俺は行動を起こすことができないのだ。 「私はね、受け入れられなかった、許せなかったのですよ。この冷酷な世界の全てが」  また浅川さんが話し始める。彼が話すのなら俺は聞くしかなかった。 「・・・あの夜もこんなふうに、空気の澄みきった冷たい夜でした。打ちひしがれ、途方に暮れていた私は窓からぼんやり空を見上げていたのです。すると突然、天体が話しかけてきたのですよ!私はたしかに天からの啓示を受けたのです!」  俺の身体はまるで金縛りにあったみたいに動かない。誰か、何でもいいからきっかけを、俺にスタートの合図を送ってはくれないだろうか・・・。 「あの星々の寿命に比べたら、我々人間のものなどミジンコの命、いや、限りなくゼロに近いようなものです。そんな取るに足らない人生の為に、血を流し、痛みに耐えながら走り続ける意味なんてあるのだろうか・・・いや、ない!」    店主はここで一区切り置いて、そうは思いませんか?とばかりに俺の方を見た。そしてまた、 「トンじゃえばいいんですよ!フライ・アウェイです!フフフフフ!!」  いやそれは違うだろ!と心の中で思っても 口に出すことができない。そればかりか、彼の言葉があり得ないシンパシーを伴って俺を侵食しようとするのを感じた。 「須賀さん。コーヒー、どうぞ飲んでください、冷めないうちに」   「は、はい・・・いただきます」  俺の右手がカップに伸びていく。やばい!これを飲んだらお終いな気がする。たしか店主は劇薬入りのコーヒーで自らの命を絶ったのだ。死体で見つかった二人もきっとおそらく・・・。そう思っても、止まらない俺の右手がカップの取手をつかもうとしていた。  店主が囁く。まるで催眠術師のように。 「痛みも苦しみもない、心から安らげる世界は、すぐ手の届くところに、あなたのすぐ側にあったのですよ、すぐ側にね・・・」  もう会えないかもしれないのか?大事な人に。最後の切なる思いが、その人の姿を強く心に想い描かせた。その瞬間――  ピリリリリリリ・・・!!ポケットの中で携帯の着信音が鳴り響いた!瞬間、操り人形の糸が切れ、身体に意思が通った。 「失礼します!さよなら!!」  そして俺は一目散に、脱兎のように店内を走り抜け、入口のドアから外に飛び出したのだった。 「須賀さん、忘れないでください!いつでもあなたの側にありますよ!」  背中に投げかけられたそれが、俺の聞いた彼の最後の言葉だった。
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