太陽系第三惑星のベントス

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今から五十年ほど前、まだ科学が明るい未来をもたらすと信じられていた頃のことです。日が暮れて尚うだるような暑さを残すあの日、私は世間で言う所の宇宙人という物に出会いました。 青白い肌にすらりと伸びた手、足は無く平たい尾が揺らめき、そう、彼女はこの星で言う所の人魚という物に近い姿をしていました。 体は当時の私と同じか、もしかしたら少し小さいくらいでしたが、私が彼女を視界に捉えたのは上を見あげていたときでした。彼女は星空に、青白く光りながらぽつんと浮かんでいたのですから。 叫び声を上げた私に、彼女は語りかけてきました。その声は楽器の音のようで、いかなる言語にも当てはまりませんでしたが、その意味は私の脳に直接伝わってくるのでした。 『危害を加えに来たわけでは無い。我々は調査のためにこの星に降り立っている』 私が顔を上げると、彼女と目が合いました。その瞳は黒目と白目の区別が付かず、只青い球に点々と光がちりばめられ、銀河のようだったことを良く覚えています。 当時、遊星人__今で言う宇宙人__を題材にしたテレビ映画に夢中だった私は彼女に、一体何処の星から来たのかと問うてみました。 すると彼女はバイオリンの弦を擦るような笑い声を上げ、全ての生き物が惑星に定住するという発想は想像力の足りないもののすることだ、と答えました。 当時の私はそれを聞いて、なんとなく下に見られた、という感覚だけがありました。 今にして思えば、地球の海に底生生物(ベントス)遊泳生物(ネクトン)が居るように、彼女は星という物に縛られず、宇宙を飛び回る生き物だったのでしょう。 そんな彼女は地面に足を付けることが無いためか、地球の生物の四肢と言う物に興味を示しているようでした。 私にとっては重力に囚われず空を、宇宙を飛び回る彼女の尾こそ羨ましかったのですが、自分に無いものを持った生き物に興味を持つのは宇宙の何処でも同じなのでしょう。 私は彼女に自分の走る所を見せたり、夜中に学校の飼育小屋に忍び込んで色々な生き物を見せたりして調査に協力するようになりました。 何故形態学や物理学の専門家を訪ねないのかと疑問をぶつけたこともありましたが、彼女からすれば、地球における物理の法則などあまり問題ではなかったようです。 そもそも彼女にとっては、専門家の持つ知識も、私の持つ知識も大差なかったのかも知れません。 私が協力者として選ばれたのも、恐らく地球に来て最初に出会った知的生命体が私だったという以上の理由はないのでしょう。 夏休みの終わる頃、彼女がいよいよ地球を去ると言ったとき、一抹の寂しさこそあれ、そこまでの喪失感はありませんでした。 大人になる頃には宇宙旅行が出来るようになっている、という夢物語をまだ子供達が信じていられた頃でしたから。 今度は私がそちらに行くから必ずまた会おう、という私の言葉を、彼女はあまり信じていないようでしたが。 それでも彼女は私の指に尾の先を緩く絡めて、私の教えた約束の仕草__指切り__を見よう見まねで行ってくれました。
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