雪那(せつな)~悪魔外道の水野忠邦と歴史の影に隠れた雪の殿様~

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 ようやく御用部屋(ごようべや)に入ったものの、水野はどこか覇気(はき)がない。二十畳の部屋に各老中がそれぞれの席に座り、職務に励んでいるというのに、水野の座る首座の席の周囲だけが流れる時間も空気も違う。  畳に着座(ちゃくざ)し、机に向かいつつも眼差しの焦点は像を結ばず、久須美祐雋(くすみすけとし)は、そんな水野の様子を【でくの(ぼう)のようだ】と(ひょう)していた。  久須美は目付(めつけ)だ。見張りと側近(そっきん)を兼ねた役職であるのだが、失脚から一年もたたずに水野が復職して、その場に居合(いあ)わせる我が身の不運を呪っていた。  江戸庶民から蛇蝎(だかつ)の如く嫌われ――【悪魔外道】と称され、内外からも忌み嫌われた水野忠邦。黒いうわさが絶えないこの男にかかわったことで、ありもしない嫌疑にかけられるのではないかと、久須美は頭を悩ませていたのだが、蓋を開ければ、噂に聞いていた苛烈(かれつ)さが()りを潜めて、体調不良を理由に屋敷へ籠り、登城したと思えば魂が抜けたかのように一日中なにもしないでいる。  腹心たちの離反による失脚や、江戸庶民の怒りを目の当たりにして、さすが(こた)えたのだろうが、こんな目に遭っても再び老中首座となった心の変遷(へんせん)は不可解で、うすら寒いものを覚えた。  自分だったら、復職なんて御免(ごめん)こうむりたい心地であり、久須美自身が目付である、己の幸福をしみじみと噛みしめる。そんな時だった。 「雪が」  ぽつりと呟いた水野の言葉に、耳ざとく反応した久須美は瞠目(どうもく)する。  突然、水野が体をくの字に曲げて苦しみだしたからだ。  腹を押さえて汗で着衣(ちゃくい)をぬらし、額に脂汗を浮かべながら歯をガタガタと震わせている。あまりにも尋常ではない様子に、久須美は声を張り上げた。 「い、医者を。誰か! 誰か―っ!」  久須美の声が遠のく中、水野の意識にあるのは、夜闇の中で降りしきる雪を熱心に眺めていた部下の姿。老中首座である自分を失脚に追いやった、土井利位(どいとしつら)の姿が浮かんで消えた。 ◆  力士のごとく大柄な体躯(たいく)を見て、誰も土井利位を雪華図説(せっかずせつ)の作者だとは思わないだろう。十代の頃から二十年におよぶ研究をまとめた図説は、土井が自ら筆を執り、(よど)みのない繊細な筆運(ふではこ)びで、八十六種類の結晶が描かれていた。  当時の書物は高価であり、手に渡るのは限られた上流の民のみ。雪華図説に感激した彼らは、お抱えの職人に雪華図説を渡して、自らの持ち物に雪華の意匠(いしょう)(ほどこ)し始める。  着物に茶器に調度品。花のように広がりながらも、緻密かつ雅やかな雰囲気の雪華紋(せっかもん)は、多くの人々の目に留まり、江戸で新たな流行を作り出した。  手ぬぐい、看板、茶菓子に、判子。土井自身も雪華をあしらった小物(こもの)の開発に携わる――まさに雪華三昧(ざんまい)の日々。  ついたあだ名が【雪の殿様】であり、【悪魔外道】の水野とは大きな違いだ。  後年には続雪華図説を刊行し、趣味にも職務にも邁進し、実力も人望もある、なにからなにまで水野とは正反対の忌々しい存在。  年齢は水野より五つ上。性格は控えめで春の日差しのように穏やかでありながら、有事の際には現場を指揮する胆力を持ち、水野を失脚させたのちは百姓や旗本たちを救済しようと措置を講じた。  そんな土井の姿が下々におもねるように思えて歯がゆく、自分を失脚させてやったことが、どうしてこのような商人のごとく卑しいものなのかと、怒りで気が狂いそうになる。  土井も水野も本家の跡取りとして切望されなければ、本来はその座に就くことがなかった日陰者のはずだった。  しかし土井家は幕臣家系であり、家臣に領地を任せて幕府の指示に従って奉職することが決定しており、実力があれば老中に就任できるという恵まれた境遇。  対する水野家が治める唐津藩は、裕福な部類でありながら、その実態は外国船対策として長崎警固役(ながさきけいごやく)が課されており、国防という重責を担うからこそ幕府の重役に就任できない――見えない了解があった。  幕府から仕事が割り振られるものの、自身が幕府の重臣として活躍するには唐津藩自体が邪魔だった。水野が出世の為に取った手段が、出世城として名高い浜松城のある浜松藩への国替(くにがえ)え。  現在で言うなら長崎から静岡への大規模な引っ越しだ。家臣限定の引っ越しとはいえ、石高が高いほど召し抱えている人数が多く、この時点で唐津藩は二十五万石、浜松は十万石と、家臣たちの生活が一気に困窮することは分かりきっていた。暴走する主人をいさめようと陳死する家臣もいたが、水野の強硬な国替えは、強い忠誠心の証明だと幕臣たちに評価されてしまい、多くの犠牲と怨嗟と軋轢を解消しないまま、水野忠邦は重臣の道を切り拓いてしまった。    この男は、出世をするためにはなんでもした。方々(ほうぼう)賄賂(わいろ)を贈っただけではなく、貰った賄賂を周囲に配ることで、自分に向けられる不満を緩和させて、その時々の力がある人間に取り入り、国替えの際に唐津の一部を幕府に捧げ、部下と自領の民を犠牲にして権力の階段を駆け上がってきた。好きな読書も自制し、和歌を作る趣味の時間もすべて犠牲にして、ただただ権謀(けんぼう)に駆けまわる日々を積み上げて、将軍の補佐役である老中首座の座を目指してきたのだ。 …………。  なぜそこまで、権力に固執しているのかは、水野自身も分かっていない。側室の子の出生ゆえか、己の気質か、幼い頃に家督を継ぐことが確定し、母から引き離されて、生まれ育った江戸の地を去ることになったことが起因しているのか。どれも当てはまっているように見えて、どれも違うと水野は分析する。 ◆  悔しいが土井の実力は本物だった。水野を失脚させて、代わりに老中首座に座った土井は、弱者救済だけではなく、万年赤字の幕府を束の間でも黒字へ好転させたのだ。それは水野には成し遂げられなかった偉業だ。  しかし運がなかった。在任中に起きた江戸城本丸の火災で、将軍の家慶から再建のための資金調達を任されたのだが、十分に資金を集めることが出来なかったことが将軍の不興を買い、諸外国の問題においては、老中と海防掛(かいぼうがかり)を兼任した彼の養父である、土井利厚(どいとしあつ)と同様の活躍を期待されたのだが、水野以上の政策を打ち出せないことで周囲を大きく失望させた。  向き不向きなんて関係ない。いくら実力が伴っていても、周囲の求める期待に応えなければ、その場から引きずり降ろされる。  それは水野だけではなく土井も同様だったのだ。 ――どうすれば、こやつの心に痛手(いたで)を負わせられるのだろう?  久々に江戸城へと登城を果たした際、幕臣たちはわざと質素な装いで出迎えてくることを水野は予期していた。  復職を承諾して、水野が起こした最初の行動は裁縫職人の手配。  自身が来る黒羽二重の着物を(あつら)え、従者たちすべてに新調の着物を着せて登城させた。  そのきらびやかな美服(びふく)を着た一団は、木綿の着物を着た幕臣たちの中で否応ない存在感を放ち、同時に大きなわだかまりを生む。  水野の行動は、下々のみならず将軍や大奥にも贅沢を禁じた人物とは思えない、理解不能の奇矯(ききょう)なふるまいであり、出迎えた家臣たちは度肝を抜かれて唖然としたものの、この矛盾きわまる行動がなぜ起こったのかを推移して、表情を曇らせた。  この男は、自分のしていることが理解していないのだ。 ――ククク……。良い反応だ。  愕然とする幕臣たちを見て気分を良くした水野は、このまま土井のいる御用部屋へと向かい、これから起こるであろう逆転劇を想像して、心を静かに躍らせる。この時代を救おうと改革を断行した自分を裏切り、武士の誇りを捨てて町民におもねる卑しい男を征伐し、この手に真の秩序と調和を手に入れるのだと。  だが。 『あぁ……』  辞任を告げた瞬間、土井の顔に感情が蘇り、雪解け水のようにじわじわと広がっていく様を見て、ある種の衝撃を覚えた。 ――なぜ、悔しくないのか。活躍の場を奪われたのにもかかわらず、この男は、なぜこんな、晴れやかな顔ができるのか。  権力闘争を繰り広げてきた水野にとって、役職を取り上げられることは死に等しいのに、土井は逆に目を活き活き(いきいき)とさせて、口元に笑みさえ浮かべていた。ようやく解放された、清々(せいせい)したと、言外(げんがい)に態度から伝わってきた。  土井は力士のように立派な体躯(たいく)を持っているものの、心労が重なると肉がつく性質(たち)らしい。  最後に会った時は、土井の体全体が達磨(だるま)のようにずんぐりとして見えて、気品を感じさせる口元と優しげな目元の他に、餅のような白い頬が艶やかな光沢(こうたく)を放っていた。  まるで雪達磨(ゆきだるま)だなと、記憶がさらに過去を深堀する。  水野の行った倹約令(けんやくれい)で、縁起物(えんぎもの)を買えなくなった庶民たちは雪で達磨(だるま)を作っていた。職人のように達磨の顔を描くことは叶わず、各々の思い描く達磨を作成していたと、市中に放っていた密偵たちが報告していた。  報告をしてきた時の密偵たちの顔には、取り繕いつつも主人を批難する眼差しが確かにあった。  なぜ、そこまで町民たちを追い詰めるのか。と。  水野は心の中で、こう返す。 ――そこまでする必要があるからだ。と。 『どうか』  熱に浮かされて空回る意識が、庶民の雪達磨と土井の姿を重ねて、横たわる水野に音もなく迫ってくる。  
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