一 悪い先輩

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一 悪い先輩

 ハンドルを切って、コーナーを曲がる。ギリギリのラインだ。既に後方の車両は遥か彼方にある。このまま行けば、振り切れる。 (へへっ、今度こそ、俺の勝ち……っ!) 「あ、航平。電話鳴ってるぞ?」 「今それどころじゃねーんだよ!」 「おー。総務部の河井さんか。仕方がないな、忙しいんだし」 「えっ!?」  その声に、思わず振り返る。吉永がニヤリと笑って、コントローラーを握る。 (しまっ……) 「男の真剣勝負に、女とは良い度胸だなァ!? 行くぞ、航平!」 「あっ、テメ、アイテム禁止って言っただろうがぁっ!」 「知らねえなァ!? 勝てば良いんだよ、勝てば!!」  後方から追い上げてきた赤い車両から、妨害用の爆弾が投げられる。慌ててコントローラーを操作し、ハンドルを切るも――。 「クソッ……! 曲がれえええっ!」 「はっはっは! ザマァ!」  爆弾は青い車両の側面にヒットし、花火を散らした。反動でクルクルと車両が回転し、操作不能になる。その真横を、赤い車両が颯爽と抜き去っていった。 「あっ!」 「お先ー」  赤い車両がゴールを通過し、『ゴール』の文字が画面に表示される。青い車両がその後に続いた。 「おいテメェ! アイテム禁止って言っただろ、吉永っ!」 「負け惜しみかァ? ダッセーなぁ、航平くんよぉ。大人しく、今日の買い出し行って来いよォ?」 「この、糞やろうがっ……」  一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、吉永はニヤニヤしているばかりで、効果など無さそうだった。 「っ、そうだ、電話はっ!?」  そう言えば着信があったのだと気を取り直し、スマートフォンを掴む。河井さんからの電話があったと期待して画面を開き――。 「河井さんじゃねーだろうがっ!」 「アハハハ!!」 「何だよ畜生! この番号、保険屋じゃねーかっ!」  いつも世話になっている保険屋からの電話だ。多分、保険内容の見直しのお知らせってやつだ。大抵、掛かってくるときはそんな内容だった。  ゲラゲラ笑う吉永をジロリと睨む。大体、何で俺が総務の河井さんを狙ってるの知ってんだ。ようやく電話番号を交換して、まだろくにやり取りもしてないっていうのに。 (最悪だ、コイツ)  溜め息を吐き出し、睨み付ける。  緩やかなパーマをかけた、軽薄そうな見た目の男。それが、吉永律(よしながりつ)だ。吉永は俺、久我航平(くがこうへい)の六つ年上の先輩で、独身男子寮である夕暮れ寮に暮らす寮生でもある。社会人になって寮で暮らすようになってから、俺は大抵の遊び――麻雀にパチンコ、競馬、酒にキャバクラ。そう言うものを、この先輩から教えられた。楽天的で気分屋で、性格が悪いこの先輩は、所謂そういう、『悪い先輩』と言う奴だ。遊びもサボり方も、全部教えてくれたうえで、俺を使い走りにする。 「くそ……。で、何にすんの」 「キムチ牛丼とチーズ牛丼。並で」 「はいはい」  牛丼かよ。面倒くさい。内心そう思いながらジャンパーに手を伸ばす。夕暮れ寮は食堂が併設されているが、土日は食堂がお休みとなる。そのため、食料を調達せねばならない。俺と吉永は大抵は外食だが、外に出るのが面倒な時は賭けで負けた方が買いに行くというのがいつもの流れだ。ちなみに勝てた試しがない。理由は吉永が汚い手段を使うからだ。  夕暮れ寮の周辺にへ店が少なく、一番近いのがコンビニだ。次に地元の食堂があるが、牛丼となると少し遠い大通りまで出なければならない。配達を頼むことも出来るが、高くなった分は俺が払うことになるのでそれは癪だ。 (自分はそんで、スマホだもんなぁ)  鼻息交じりにスマートフォンを弄り出す吉永をチラリと見て、ハァとため息を吐く。イライラすると余計に揶揄われるだけだ。ここは平然を装ってさっさと買い出しに行くのが吉だろう。この人は俺が反応するのを喜んぶような奴なんだから。 (ふっ……幼稚なヤツ)  心を落ち着けて一歩踏み出したところで、足の裏に何か硬いものを踏んで躓きそうになる。ゴリっと、足の皮が引っ掛かれた。 「いっで!!」  乱雑に散らかった部屋のせいで、何かを踏んだらしい。 「何やってんだ?」 「くそっ、何だこれ――」  原因を手に取り、顔を顰める。心当たりがあるのか、吉永が「ああ」と眉を上げた。 「何すかこれ。アナルバイブじゃねーか」 「そうそう、これなー」  吉永がバイブを手に取り、スイッチを入れる。電池が入っていたらしく、バイブは淫靡にうねうねと動いた。 「コレ、鮎川のヤローに渡す遊びしてたじゃん」 「あー。新人にやらせるアレね」  吉永の言葉に、そのバイブか。と思いつく。夕暮れ寮の住人に、何をされても怒らないことで有名な『仏の鮎川』と呼ばれる男がいる。この男を怒らせてみようと吉永が躍起になっていた時期があるのだが、その時に鮎川にアダルトグッズを押し付けると言う、「中学生男子か」というような遊びをし始めたのが、この吉永律なのだ。その後その遊びは夕暮れ寮の通過儀礼のようなものになり、「新人は鮎川にアダルトグッズを渡すんだぞ」と習慣化したものの――。 「鮎川がよー。もう送ってくんなって、返してきたんだよ」 「え? そうなの?」 「しつこく渡そうと思ったら、わんこが噛みついてきてさー」 「あー、なるほど」  わんこ、というのは鮎川の舎弟になったという、岩崎という新入社員のことだろう。鮎川がヤンキー崩れみたいな岩崎を手なづけたというのは、夕暮れ寮では割と有名な話だ。 「せっかく買ったのに。無駄にすんなよなあ?」 「そんなに無駄が嫌なら、自分のケツにでも突っ込んだら」  心底どうでも良いな、と思いながら、財布ポケットに突っ込んで扉に手を掛ける。さっさと買いに行こう。いい加減、俺も腹が減った。 「――なるほど」  扉が閉まる直前、何か聞こえた気がしたが、俺はそのまま牛丼を買いに外へと出たのだった。
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