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今日も店の前でお姉さんがタバコを吸っていた。
喫煙所なんてないから、タバコの吸い殻は見えないところに捨てられる。
誰が片付けていると思っているんだ。
その場に捨てずに持ち帰ってくれれば文句はないのに。
「何見てんのよ」
「何も見てないよ、目が合っただけじゃん」
ぎらりと睨む。
最初は怖くてすぐに逃げていたのだが、この町にはこんな人たちしかいない。
それに気づいてしまうと、どうとも思わなくなった。
今では何を言われようと、完全に無視して作業を進めるくらいには慣れてしまった。
「そこにいる奴、どうすんの?」
「何の話?」
「みんな知ってるわよ、アトラスのガキをかくまってるんだってね」
キリシマの肩が少しだけ跳ねた。
カウンターの真横にいるから、店内がよく見える。
あのガラの悪い連中がここまで来たら、すぐに気づかれるかもしれない。
「かくまってるっていうか、コイツが勝手に隠れてただけだよ。
俺は何もしてないよ」
「本当に何もしてないんだったら、さっさと追い出しなさい」
それは本当にそうなんだけど、それができないでいる。
このまま逃がしたところで無事に帰れない可能性があるからだ。
てか、他の大人はどう思っているんだろう。
あの連中に追いかけられていることとか、ここに毎日来ていることとか。
この状況を知っているなら、なんか考えていそうなもんだけど。
「あそこの学校、金持ちが多いから敵に回すと面倒なのよねえ。
昔から陰湿だし、マジやってらんない」
「へえ、そういう学校なの? 店長も脳が足りないって言ってたしね」
軽く小突かれる。
キリシマの学校は私立アトラス学園とかいう名前らしい。
店長の言っていた通り、金のかかる学校にふさわしい立派な名前だ。
「何でこんなとこにいんのか知らないけどさ、そのうちバレるわよ。
今日も変なのが来てるしさ……アレ、同じ学校のやつでしょ?」
「そりゃあ、同じところに隠れてんだもん。気づかれないわけがないよ」
「他人事みたいに言ってるけど、真っ先に狙われるのはアンタなんだからね。そこんとこ分かってる?」
ガラの悪い連中はだらしない顔でお姉さんをチラチラ見ている。
何を考えているんだか知らないけど、やめたほうがいいと思う。
ここの女の人たちを見ると、夏の夜を思い出す。
夜中に白い布を吊るし、虫をおびき寄せて捕まえる。
明るい光に釣られてやってくる虫たちの様子があまりにもおもしろかった。
一緒に来た女の子は虫を気持ち悪がって、近づきすらしなかった。
目の前にいるお姉さんは、まさにその夏の虫たちだ。
明るい光に群がり、やがて捕まる。その後は、どうなるんだろう。
自分たちの場合は、かごに入れて持ち帰ったり、その場で逃がしたりする。
捕まえても世話をするのが難しくて、すぐに死なせてしまうのがほとんどだ。
人間の場合はどうするんだろう。
せっかく捕まえたものをすぐに逃がしたりはしないのは、何となく分かるんだけど。周りの大人に聞いても、笑ってごまかすだけで答えてくれない。
自分の意志でやっているわけでもないのは、何となく分かる。
このお姉さんもそうなのだろう。
好きでここにいるわけじゃない。
「あと何回、ここに来られるかしらね」
「しらねーよ、俺に聞くな」
カウンターの中をちらと見て、お姉さんは店に戻っていった。
その鋭い視線にキリシマは表情を曇らせる。
アイツらはいつ来てもおかしくない。
その時はその時だ。知らないフリをして大人しく差し出せばいい。
「あんなの気にしなくていいよ。
いつもあーやって脅してくるんだ」
「そうなの?」
「あのお姉さんね、夜から仕事なんだ。
昼間は寝てるか俺に当たり散らかしてるかのどっちかでさ、やってらんないね」
お姉さんの客は夜にならないと来ない。
今日来るかも分からないのにいつも待っている。
店長はぶつぶつと文句を垂れながら、そんなことを言っていた。
「お前はさ、ああいうお姉さんってどう思う?
この前、あんまり好きじゃないって言ったら、ひっぱたかれたんだ。
アンタみたいなガキにはまだはやいってさ」
俺は椅子から降りて、キリシマの隣に座る。
どうせ、誰も来ないんだ。ここにいても問題ないだろう。
「どう思うも何も……そうだな、ちょっと怖いかもしれない。
学校にはああいう子、いないしさ」
「そうなの? お前を追いかけてる連中もそうだけど、金持ちってあんなんばっかりだと思ってた」
「ああいうのはほんの一部だよ。
態度が悪いから、先生たちも困っているみたいだけど」
毎日こんなところにまで来ているんだから、執念だけは無駄に強い。
いつもここに逃げ込むこいつも似たようなもんだと思うけど。
「本当にすごいんだよ。
暴力をふるわないだけで、いつも笑顔で喧嘩してるんだ。
くだらない話を自慢しあったりしていて、俺にはよく分からないんだけどね」
「なにそれ、そっちのほうが怖くない?
裏でなんかやってんじゃねえの、そいつら」
「さあ、どうだろう。
よくない噂はちょくちょく聞くけど、本当かどうか分からないし」
「それ、絶対に知らないほうがいいヤツだよな。
毎日喧嘩ばっかりしてんのはどこも変わらないのかな」
「そうかもしれないね」
少しだけ悲しそうに笑う。
なんでこんな奴がそんな殺伐とした空間にいるんだ。本当に意味が分からない。
ここにいる間だけでもいいから、穏やかに過ごせるといいんだけど。
悲しいことに俺には何も思いつかない。
「それじゃあ、もう帰るね」
「……大丈夫か? 途中まで送ろうか?」
「大丈夫だよ。
それに、見つかったら怒られちゃうし」
奴は無理に笑って帰って行った。
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