4.疼き

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4.疼き

「少し……いや……だいぶ前から」  ふうぅ、と震える息が、瀧澤の胸を温める。 「おまえ、違ったよ。ぼんやりして……そんで、……っ、今日、は……」  声が途切れる。また鼻を啜る音がした。  まさか泣いているのか?  驚いて、瀧澤は芝草の肩をつかんだ。  顔を見たい。泣いてるなら……  どうするんだ? と自問しつつ芝草を持ち上げようとする。  しかし細身ではあるがけして華奢ではない男は、紛れもない男の力で頑なにしがみついている。 「おまえ、心ここにあらず、って、……そんな目、してた」  動かぬまま、胸元に顔を押し付けたまま喋る息が、胸元を温める。 「なにか……誰か、想ってる、んだなって……そんな目、してて。いっ、いいんだ……分かってる。おまえ、……いい男、だもんな。……良い奴だ、もんな」  震える息が胸元に漂う。 「ふっ……ほっ、惚れる女……っ、何人で、もいる、出てくる。……分かってる……っ」  また、ズッと音がして、しゃくり上げる息と共に、しがみついていた力が緩んだ。  はあっ、と息を吐いた芝草はククッと笑い、息が肌を擽る。 「…………女、できた、んだろ? いいんだ、そりゃ……そっ、うなりゃメシは女と食う。……そうなる掃除、も洗濯もっ、……女、が……店に、……もう来なくっ……、っ、なら最後っ、に……っ」  フウッ、と吐いた息はさっきまでより勢いよく、しかしやはり少し震えていた。 「……っ、想い遂げるかって、な。自分への、クリスマスプレゼントだ、なんてな。……ごめん」  瀧澤の脳を、困惑が占領していく。  どうなってる。  こんなもの、どうしたらいい。どうしたものか。  さっきから胸を締め付ける疼きが収まらない。  それどころか心臓が早打ちして止まらない。むしろ胸の疼きは強まるばかり。  こんなのは初めてだ。  そんな感情のまま、ようやく口をついた言葉は 「おまえ、イったのか」  最悪だった。 「……っ……ごめ……」  殆ど息だけの言葉と共に、ヒクッとしゃくるような息遣い。それに連動するように、瀧澤自身を包む部分が細動した。思わず息が詰まる。 「っ、そう……言われてもな」  謝罪なぞ要らん。それよりだ。  コイツはイったかも知れないが、コッチはまだなのだ。  隘路の中でいきり勃ったままのモノは、未だ継続して放出を求め、訳の分からない胸の疼きも相俟って、射精感は強まるばかりである。  しかもさっきから芝草が泣いたり喋ったりするたびに隘路が蠢くのだ。  泣いてるトコに無体を働くのもなあと我慢していたが、胸が変に締め付けられる上に継続して刺激を受け続けたモノは、もっと強い刺激を欲して脈打っている。 「生殺しか」  手を伸ばし、ギュッと尻を掴んだ。 「は? なにし……」  筋肉の張りが指を跳ね返す。  ただ柔らかいだけでは無い感触、そして滑らかな肌触り。  これがあの、白い尻――― 「やめ、やめろっ」  狼狽えた声と共に芝草は離れようと動く。モノを包み込んだままのソコは、絶妙にイイ刺激を与え、急激に滾るものがこみ上げてくるのを自覚する。  仰向けで乗っかられたまま、瀧澤の手は自然と尻に伸びて撫でさすり、やわやわと揉み、ギュッと掴む。  この尻は白い。  さっきまで煽情的に動いていた、あの尻だ、という事実が脳裏を滑る。 「ばっ、離、せ、……っ」 「なんでだ」  瀧澤を包む熱。  手から逃れようと抗う動き。  伴う隘路の蠕動。  すべて情動に直結する。 「なんで……っ、って、離せって……っ!」  言葉は嫌がっているが、包み込むソコは貪欲に欲しがっているようだ。  ……もっと欲しい。  この気持ち良い場所を、もっと突き上げたい。  瀧澤は身を起こし、体を入れ替えようとした。しかしソファを並べただけの場所は狭く、芝草のケツが床に落ちる。  埋め込んでいたものが抜けた。 「いたっ」  この喪失感。物足りなさ。  完全だったものが不完全になった、そんな不満に苛まれつつ見下ろす。 「なにすんだ、ばかやろ……」  弱々しい抗議の声。  片腕でソファに縋り、少し息を弾ませた、不満げな顔。  確かに芝草だ。  だが目が惹きつけられる。  涙に濡れた頬。色づいた唇。潤んだ瞳。  まずい、まずいぞ。  なんでそんなに……  同じ年のくせに、ヒゲ生やしたオヤジのくせに、こいつ  ……こんな顔しやがって。  ―――衝動だった。  片膝をソファに載せ、芝草の太ももを片方腕で掬い上げる。足を大きく開いた芝草は不安定な姿勢に慌て、残る腕で瀧澤の腕を掴んだ。 「っ、……済まんっ」  持ち上がった尻に、さっきまで収まっていた場所に  滾ったものを押し込む。ソコは濡れていて、容易く瀧澤を呑み込んでいく。  腰を揺するように進めながら、唸るような音が喉から漏れる。 「ぇ? あ……? たき……」  まずい。気持ち良い。やばい。  ここが。  こいつの、芝草の中が、とんでもなく…… 「なに……うぁっ」  残る足を担ぐように肩に乗せ、一気に根元まで突き込む。 「ぅあっ、おいっ、なにっ……」  腰を引き、突き入れる。気持ち良い。  動揺露わに涙の乾いていない目を見開く芝草に 「黙ってろ」  それだけ返し、腰を使った。  動きはどんどん激しくなる。 「ぇあっ、ちょっ、んく、おい、はっ、ぅあ、おち……っ!」  不安定な姿勢の芝草は、ソファから落ちまいとして縋るように瀧澤に抱き着いて来た。抗議の声と嬌声が交互に瀧澤の耳を打つ。  瀧澤は唸るような声を漏らして動き続ける。  やはり、目眩しそうな程気持ち良い。 「んば……っ! や、めっ、このば……っ」  色づいた唇が抗議に開く。  白い歯と、蠢く舌。  また、胸がきしむ。痛みではなく疼くような。これはなんだ。  気付いたら唇を塞ぎ、吸い上げながら、夢中で腰を使っていた。  知識にはある。  けれど今まで経験していなかった。  だからどこか馬鹿にしていた。  恋だの愛だの、そんなものは女子供の幻想だと。  肉親の情の方が、よほど強い感情だと。  だがおそらく。  今この胸の疼きにつける名前があるとしたら、それは…… 『愛しい』  脳裏に浮かんだ言葉を確認するように、瀧澤は夢中で動く。  かつての妻にすら、こんな風に胸が疼いたことなど無かった。  初めて覚えるような快感の中、芝草を抱きしめ、唇を吸い上げ、首根を、肩口を、噛む。  なんで俺は、芝草に  ひたすら混乱に包まれたまま、身体は放出を、満足を求めて動き続ける。  いつしか芝草も箍が外れたように声を上げ、瀧澤に腕を回して抱き着き、キスを求め、鼻を鳴らし……  それに応え、いや瀧澤から貪るように唇を合わせ、抱きしめ、腰を打ち付ける。  肌の打ち合う乾いた音。  隠微な濡れた音。  獣のような自分の息。  艶めかしくも耳に心地よい、芝草の声と息遣い。  今は無理だ。  なにかを考えるなんて無理だ。  ただ、この行為を終えたら、そうしたら  少し冷静になって、きっと話せる。    * * *  聞いた瞬間、反対した。  再婚だと?  バカなことを。  頭ごなしに言い放ち、相手の男を遠ざけようと、足繁く母の元に通った。  そのうち母が体調を崩して入院。すぐに退院したが、衰えを感じた瀧澤が一緒に暮らそうと言えば、母はくすくす笑った。 『もう子供の世話はしたくないなあ』  それからも体調が芳しくないだろう、心細くはないかと仕事の合間に見舞いに行った。掃除も洗濯もまともにできないが、せめて側にいて守ってやろう。 『俺が母さんを守る』  そんな思いで母の部屋に行けば、共に料理をしている男がいて、あっけらかんと迎え入れた母に紹介された。  これからの時間を共に過ごしたいと思う相手だと。  母が嬉しそうに見上げる傍らの男は、早く妻を亡くし男手一つで子育てを終えたのだという。  微笑む母に、俺は怒鳴った。  何を言うんだ母さん。  分からないのか、騙されてるんだ。いや言い寄られて困っているんだろ。俺が蹴散らしてやる。  出ていけ、俺が母さんを守る。  自分以上に母を大切にできるわけがない。  相手の男を信用などできるわけが無かった。  離婚後ほとんど実家へ顔を出さなかったにもかかわらず、瀧澤はそう断じ、頑なに反対し続けた。  それ迄と打って変わって母のもとへ足繁く通い、男が来たら追い返す。  母は瀧澤を拒みはしなかった。  脱ぎ散らかしたワイシャツを洗濯してアイロンを掛けてくれるし、瀧澤の好きなビールを用意し、瀧澤の好きなつまみを用意して待っていた。  ある日、瀧澤が脱いで放った靴下を拾いながら、母は困ったように笑った。 『もういい年なんだから、自分のことはちゃんとしなさいよ』  すまんすまんと言いながら、瀧澤は母がそうするのを当り前に思っていた。  世話を焼かせるのも親孝行だろう。  ほら見ろ、母には俺が必要なんだ。  それでも胸の奥にくすぶる何かに苛まれ、芝草の店に通った。  何も言わなくとも芝草の顔を見ていれば心は凪いだ。  仕事終わりに顔を出し、男と共にいる母を見ることもあった。  男と母で造ったという料理をつまみ、男を睨みつけ、母には何度もやめておけと言う。    だめだ、俺は母さんを守るんだ。  父さんと約束したんだ。   * * *  そして今日、クリスマスイブの夜。  呼ばれて母の元へ顔を出すと、母は男と嬉しそうに手を取り合い、籍を入れたと言った。  再婚したと、そう言ったのだ。  思わず怒鳴り声をあげた瀧澤から守るように、男は母を抱き寄せ、瀧澤に向かい立つ。 『君のワイシャツや靴下を、私は洗濯したよ。一緒に料理をして、一緒に掃除をしたよ。君は何をした? 病み上がりのお母さんに、なにをさせた?』 『いいのよ。この子は小さい時からずっとこうで』 『いいや、私はもう遠慮しないよ。守るというなら、せめてお母さんに負担をかけないようにしなさい』  男の手は母を守ろうと添えられていた。その目は母を慈しんでいた。  男を見上げる母の目は、見たことのない色を帯びていた。 『浩志、あたしのことは、もう良いのよ。この人がいるんだから』  ―――なんでそんな幸せそうなんだ。  ―――そんな満ち足りた顔、俺に見せたことないじゃないか。 『あんたも幸せになりなさい。ちゃんと面倒見てくれる、いいひとを見つけて』  母の言葉は、瀧澤を無力な高校生に戻す。  無理だよ母さん。  俺を必要とするようなやつは、もういないんだ。  嫁だって俺を見限ったんだ。  俺は駄目なんだ。一人じゃ何もできないんだ。母さんだって俺が必要じゃないんだろ。  祝うなどできなかった。  気づいたら部屋を飛び出していた。  吹き降りの雪片に頬を叩きつけられながら、歩く肩は落ちた。  ああ、父さん。  俺は約束を守れない。いや、俺に誰かを守るなんて無理だよ。 『おまえが、お母さんを守れ』  瀕死の父がなにを思って息子にそんな十字架を課したのか、瀧澤には分からない。  ただそのとき、なんの力も無い高校生は無力を悔やみ、芝草にすがって泣くしかなかった。  ―――もう二度と  ―――誰かを守ろうなど思うものか。  行き場を無くし、一人暮らしの部屋に戻る気にもなれず、瀧澤はこの店に来た。  店の装飾に、そうかクリスマスかと自嘲が湧いた。  けれど、思えたのだ。  ここにきて、顔を見て。  ……芝草がいる。  そう思えたのだ。  ―――おそらく、自分は  脳の片隅でそんなことを考えながら、瀧澤はひたすら腰を動かす。  そしてこの伊達男が、いったいどんな顔をするのだろう、などと思いながら。  その顔を見たら、また胸が疼くのだろうか、と想像しながら。  瀧澤は言った。 「嫁に、来るか。芝草」  目を見張った芝草の顔を見ながら、暖かい締め付けの中に、  瀧澤は欲望を放出した。    《完》
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