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3.惑い
「……なにを」
視界を塞がれ、きしむように漏れた声は、ようやく音にかき消されない程の音になった。
それに返ったのは、やはり密やかな吐息。
熱の籠もったそれに、なぜだかドキン、と。
心臓が跳ねた。
「ホント悪いな。すぐ終わる……とは、……言えねえけど」
ため息と変わらないほどの、声。
心臓の早打ちが止まらないまま、ペニスが手で支えられ、先端が温みに触れ。
「……女だと思って……」
耳を澄ませなければ音楽に紛れてしまいそうな、ささやかな声。
我ながら呆れるくらいイキリ勃っているモノが、ゆっくりと、狭く熱い場所に飲み込まれていく。
「う……」
思わず声を漏らしていた。
挿入するという行為自体、ひどく久しぶりだ。目眩が来そうに気持ち良い。
「しばらく、そのまま……じっと、してろ」
芝草の言葉と絶対的な快感に混乱は加速し、覆われた布の下で、瀧澤はキツく眉を寄せた。
ときどき腿に触れるのは、芝草の足か手か。体温が高い。いや、冷たいものも……
隠微な水音が響き、また一段と深く銜え込まれたモノは、優しく滑る、暖かい場所で締め付けられ。
はぁぁ。はぁぁ。はぁぁぁぁ。
深い深い、呼吸音が降る。
視覚を奪われたがゆえに、ただでさえ敏感になっている聴覚と触覚が、どんどん研ぎ澄まされていく。
妙に冷静な部分が、ベッドじゃない、店内にそんなものは無かった、などと考える。背の半ばや伸ばした手の先に段差を感じ取り、いくつかあったソファを並べたのだと推測する。……が、まずい、萎えない。気持ちいい。
はあ、ふう、
慎重な呼吸が降ってくる。
ときおり触れる肌が熱い。瀧澤も、じっとり汗ばんでいる。
徐々に、より深く包まれていく場所が瀧澤をキュウッと締め付ける。
「っ……く」
視界が遮られているからか、久しぶりだからか、分からん。分からんが、気持ちいい。とんでもなく気持ち良い。
耳と体感から取り込んだ情報に惑わされ、興奮している、
のかも知れない。
腰に体温が触れ、重みを感じる。
全て飲み込んだのだ。
重みはゆっくり、ゆっくり、動き始める。
「……ああ」
降る声が、感極まったように震えている。
軽薄なように見せて、実のところ非常に安定感のある男。
何があろうと皮肉にも見える笑みで躱し、声や表情には一切出さない。
それが芝草であるはずだ。
その芝草が、こんな声を出すなんて。
これは本当に芝草なのか。
それとも全く別の、隠微な生き物なのか。ぞくっと何かが背を走る。
重みが消え、また重みがかかる。その度ごとに新たな快感が腰から脊髄を昇る。久々の感覚に熱くなる体と、怖れに冷える心。
気づくと腕を伸ばしていた。
視界を塞がれ、聞こえる声や息遣いは……肌に感じる熱も、全く芝草とは違う。もっと確かに芝草と分かる、そんな感触が欲しい。そんな縋るような思い。
艶めかしい吐息を吐く、熱と快感を与えるこれは、違う生き物なのではないか。
だが芝草だったなら、俺に悪いことをするはずがない。芝草なら怖れる必要などない。
指先がシャツらしき布に触れる。指はさらに先を、更なる感触を求めて触れた場所から指を滑らせる。
肌だ。しっとりと汗ばんだ、肌。これが……芝草なのか?
「んっ……なにし……っ……」
動揺露わな掠れ声が耳を打つ。
ああ、芝草だ。これは焦ったときの芝草だ。
安堵と共に、本能が求めるまま指先を滑らせ、少し身を起こして手のひらで触れた。思いの外滑らかだったことに心臓が鼓動を高めるのを自覚する。そのとき脳裏に浮かんだのは―――さっき見た白い尻。
同時に強く自分を襲う非常に強い感覚……紛いなき快感。
だがこれは芝草なのだ。驚きも恐れもないが、それより分からんのは自分だ。隘路を出入りする自分のモノは、ひどく気持ちよいものに包まれてはっきりと屹立している。芝草なのに。俺は感じている。
「くっ」
ゾクゾクする。萎える気配の無いモノは、さらに力を蓄えた。
こんな行為がひどく久しぶりだからか、視覚を奪われているがゆえに過敏になっているのか。
「は、……は……んっ」
芝草の息が荒くなっていく。瀧澤も吐く息に熱が籠もっていた。
身体が若干倒れたらしい。指だけで無く、肌に触れていた手のひらに体重がかかる。確かめるように手を動かせば、汗ばむ肌の下、柔らかく動く筋肉が感じられる。
それも、情動を増幅した。
こんな欲は、もう薄れたと思っていた。
もう枯れた。もう二度と、誰かを欲することはない。
誰かを守りたいなどと思うものかと。
そう……思っていた。
「ふ……はぁ……」
少し上擦った声がブルージーなギターのリフと混ざり合う。
「……ん……っ……」
射精感が高まり、自然に喉が震える。
自分がなにを考えているのか分からない。
いや、なにも考えていないのか、混乱しているだけか。混乱している自分に理由を与えたいのか。だが、どうでも良い、と思っている自分もいる。
人肌や性的快感に飢えていた、だけかも知れない。ただ、この快感を追いたいだけ。
―――しかし。
混乱の渦中で、瀧澤は思う。
――――これは、芝草だ。
腐れ縁の、親友の……。コイツのやることに理由をつける必要があるか?
―――あるわけが無い。
芝草は衝動的な行動とは縁遠い男だ。見た目や言動で誤魔化してはいるが、理性的で慎重で、一時の衝動で過ちなど犯さない。
そういう男だ。
動きが緩慢になったかと思えば激しく上下し始める、はっはっと耳を打つ息遣いは、どこかくぐもって聞こえた。
快感を追って確かな像を結ばぬ脳の奥で、チカッと光る、なにか。
『キス、……してみる……?』
―――高校時代の、あの日。
――――そうだ。
人生で初めてキスした相手は、こいつだった。
ククッと笑いに喉が震える。
なんで笑っているのか分からない。
分からないのはなぜ視界を塞がれているのか、だ。どこにそんな必要がある……そうだ、この重みは、あの白い尻なのだ。
そう思ったことを自覚する前に、顔にかかっていた布を取り払っていた。
「っ……!?」
瀧澤の上に尻を乗せて膝を開いた芝草は、両手でくちを押さえていた。
勃ちあがったものはぬらぬらと濡れて、動く度に揺れている。
「なぜ、そんな」
驚いて聞いたが、芝草はくちを押さえ目を逸らしたまま僅かに首を振る。
ひどく汗をかいて、前髪が額に張り付いて、顔が真っ赤だ。伏せた目は横を見ている。
なんで俺を見ない?
そう思っていると、芝草は腕を伸ばした。瀧澤の顔の横にあった布を手に取る。顔が間近に来たのに、まだ瀧澤を見なかった。
それどころかまた目を隠そうというのか。
瀧澤は思わず手首を掴んでいた。
腹筋を使って身を起こそうとしたがうまく行かず、舌打ちと共に残る手を伸ばす。
芝草の片手はくちを押さえたまま、伸ばした手から逃れようと身を捩る。その動きで、内壁がキツく瀧澤を絞り上げた。
「くっ」
思わず声が漏れ、腰が勝手に下からズン、と打ち上げてしまう。
「……んぅっ、っ……!」
声にならない呻きと共に、くちを押さえたままの芝草が倒れかかる。力が抜けたような身体を、伸ばしていた瀧澤の手が、背に回って囲い込むように受け止めた。
「なんで、くち抑える」
言いつつ芝草のくちから手を引きはがす。
「はっ、よせ、馬鹿野郎」
また腰を打ち上げると、「ぅあ、ん……っ」鼻に抜けるような甘い声が漏れる。
「なぜだ、芝草」
「馬鹿が……っ、名前、なんて……呼ぶな、ぁあっ、この」
芝草が動かないので、瀧澤は続けて腰を打ち上げる。するとそれまでコッチを見ようとしなかった目が、睨むように瀧澤を見据えた。
なぜかとてもホッとする。
今にも涙が零れそうなほど潤んでいる芝草の目をまっすぐ見つめつつ、腰を打ち上げる動きは加速していく。
「なんで、くちを、抑え、てた」
「ぁあっ、ンな、萎え、たら、……ぅんっ、くぁ……」
縋るように身を倒した芝草を、弛まず打ち上げ続ける。途切れ途切れの声に嬌声が混じり、情動を直撃する。
「んくっ……こっちが、くあ、あぁ、愉し……めなく……は、あぁ……っ」
潤んだ目で睨まれ、甘い声に耳を打たれ、締め付ける内壁にもたらされる悦に衝動を持って行かれ、腰の動きを止めることなどできななくなっていた。
「なんで、萎える、なんて、思う」
それでも問いをやめない。
必死に応えようとする芝草が、あまりに……煽情的だから。
あの芝草が、高校時代から、自分などよりよほど冷静で大人な芝草が、涙目で唇を噛んで、必死に声を抑えようとしている。
「ぅあっ、やめ、……ぁ、おぃ……だっ」
濡れた額に張り付く髪。首を振れば汗が散り、髪が乱れる。腰を打ち上げるごとに艶めかしい声が響く。
「言えよ、芝草、ほら」
瀧澤は衝動が命じるまま、さらに激しく腰を打ち上げる。
「あぁっ……! はぁ、ぁぁぁあっ」
ひときわ高い声を上がり、内壁は痙攣のような蠕動を起こして呑み込んだ雄を苛む。
「……ふ……っ」
危うく持って行かれそうになり、瀧澤は意志の力を総動員して腰の動きを止めた。
「は、はぁ、はぁ、はぁ」
ぐったりと、力を抜いた芝草の身体を、瀧澤は両腕で柔らかに抱きしめる。
「言えよ」
くちもとに触れる髪に、無自覚な口づけをしながら問う。
荒い息しか返ってこないことに焦れて、瀧澤はダメ押しのように腰を突き上げた。
「ぁんっ、ばっ……やめろ、馬鹿」
まだ色っぽくはあるが、確かに芝草の声だ。
瀧澤はなぜかとても安堵する。
「言えよ、芝草。なんで萎えるなんて思ったんだ」
継いで問う声は、我ながら妙に甘ったるくなっていた。
「……はぁ……」
芝草の、熱の籠もった吐息が胸にかかる。
「おい、言えって」
ゆらりと頭が上がり、瞼を半ば落とした芝草の顔が見える。瀧澤の背に回っていた手が上がり、汗で額に張り付いていた髪を気怠げにかき上げる。
「なんでって……そりゃ」
また、はぁ、と息を吐いて、唇の狭間から現れた赤い舌がぬらりとそこを舐めた。
胸を締め付ける疼きに、動きそうになる腰を意志の力を駆使して抑えている瀧澤の眼前で、芝草の瞳が泳ぐ。またこっちを見ないのか。
「オッサンの声、……なんて……聞きたく、ないだろ。………見たくも、ないだろ……………だから……」
そこで声を呑むようにくちを閉じた一瞬、芝草の身体に力がこもり。
「……だから……?」
刹那、締め付けられた自身に眉を寄せながら、なんとか息を整える。
「女、だと思って、いれば……萎えない、だろ」
芝草らしくなく声が揺らいでいた。
その瞳は、やはり瀧澤を見ようとしない。
なんでだ。こんなに近くにいるのに、なんで目を合わせようとしない。
瀧澤は宥めるように髪を撫でる。
残る手は背から肩へ、そして暖めるように頬を覆った。親指が意志に拠らず動いて、まだ濡れている唇をなぞる。さっき赤い舌が舐めた唇はしっとりと潤い、ひどく扇情的だ。
親指は自動的に頬を、顎をなぞる。そこにはヒゲがあった。
のしかかられたままの瀧澤の腹には、未だすっかり柔らかくなってはいない男のものが触れている。その先端から、滑りを持った液体が溢れてそこを濡らしているのも、分かった。
らしくない声を出し、らしくもなく動揺し、らしくないほど色気を放出していた生き物。
けれどこれは芝草だ。
なのに。
なぜ。
腐れ縁の友人に、ヒゲのある男に、なぜこんなに
……胸を締め付けられるのか。
判然としないまま左手は芝草の髪を撫で続け、右手は頬を覆ったまま、親指が唇やヒゲをなぞるように触れている。
眼前の濡れた唇が僅かに開き、白い歯がのぞく。その狭間から、ため息とは違う息が漏れた。
また、心臓がトクトクと打ち始めていた。
依然として戸惑いはある。
なぜなら屹立したままのモノは、芝草の懸念が杞憂だと知らしめるかのように、萎える気配も無いのだ。
これが芝草なのだと、同じ年の男なのだと、これだけ確かめたのに。脳の機能がどうかしているのか、暖かく締め付ける場所で、未だ脈打っている。
目を合わせない芝草の唇が震え、覆っている頬がヒクッと痙攣した、と思った刹那。
頭部が瀧澤の胸へ落ち、頬に触れていた手は対称を失って戸惑い、所在なく髪に落ちた。
「……ごめん……」
胸元から、ずずっと鼻をすする音が聞こえる。
「……ごめん……、ごめん、俺ずっと……」
途切れそうにささやかな声音。声音の頼りなさと反比例する力強い手が、瀧澤にしがみつくように肩を、腕を掴んでいる。
「ずっと……おまえのこと、好きだった」
語尾が震えていた。
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