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一人暮らしを始めて
佐々木菜々は、大学生になったのを機に家を出て独り暮らしを始めた。
大学は実家からでも通えるのだが、片道2時間かかる。
さすがにそれは辛いし、せっかく頑張って、希望する大学に受かったので親を説得して念願の一人暮らしを手に入れた。
心配性の両親は、女性専用のワンルームマンションを借りてくれた。
無理なアルバイトもしないように言われている。
昨今、若い学生がうっかりアルバイトをすると危ない目に合う事もあるので、世間知らずで家から巣立ったばかりなので、せめて、20歳を過ぎてからアルバイトをするようにと厳しく言われていた。
でも、生活費は結構かかるので、菜々はできるだけ自炊をして、親に迷惑をかけないようにしようと決めていた。
家賃の他には月々5万円の仕送りをしてもらった。洋服は一通りそろえてもらっているし、食費だけだったら十分だろうと思った。
周囲の友達と、時々遊びに行くお金もそこから賄えた。
2年生まで我慢すればアルバイトもできる。それまではこの金額で、ありがたく生活させてもらおうと思った。
大学生も1年生は授業数も多く、慣れるまで結構大変だった。
母親に一通りの家事は教わっていたが、料理はあまり真面目に教わっていなかったので、味噌汁の作り方からいきなり電話で聞くような有様だった。
「ねぇ、おかあさん、お味噌汁ってさ、お味噌入れればいいんだよね。」
「食べたい野菜を先に煮るのよ。お出汁は『ほんだし』で良いわよ。」
「野菜が先かぁ・・・」
こんな調子である。
ある時、煮物を作ろうとして、ちょっと目を離したすきに鍋を盛大に焦がした。
「うわぁ~、どうしよう。これ。お鍋もうだめかなぁ。」
菜々が困って独り言を言っていると、ドアフォンが鳴った。
カメラを見ると引っ越した時にご挨拶に行ったお隣のおばさんだった。
「は~い。」
なんだろう?と思いながらドアを開けた。
「こんにちは。突然ごめんね。お鍋焦がしちゃったかな?」
「あ~、臭いますよね。ごめんなさい。お鍋真っ黒です。火事にならないように気をつけます。」
てっきり苦情かと思って、思い切り謝った。火事には本当に気をつけなければいけないし。
「あ、文句言いに来たんじゃないのよ。お鍋焦げたの困ってるかな?と思って。」
「あ、えぇ。これ、もう捨てなきゃダメですよね。」
「あらら、もったいない。これくらいだったらちゃんと落ちるわよ。テフロン
だからお水かな。」
焦げて食べられなくなった煮物はとりあえず捨てて、お隣のおばさんはお水を入れて沸騰させ始めた。そして、沸騰したら火を止めた。
「このまま一晩おいておきましょ。明日の朝、柔らかいスポンジでこすれば落ちるわよ。」
そう言って、にっこり笑った。それから
「今日のおかず焦げちゃってなくなっちゃったわよね。もしよかったら私の作った豚汁はどうかしら。」
「え?いいんですか?豚汁大好き。」
菜々は、お腹が空いていたのでお世話になった上にずうずうしくもそんな言葉をスラリと言ってしまった。
いった瞬間に『しまった』と思って、
「いえいえ、そんなご迷惑な。」
と、言いなおしたが、お隣のおばさんと目が合って、思わずお互いに吹き出してしまった。
「私も独り暮らしだし、お鍋に分けられないからよかったら食べにくる?」
「ありがとうございます。」
菜々は、もう、そこは素直にお礼を言って、炊いたご飯は持参してごちそうになることにした。
お隣は、学生の菜々の部屋とは違って、落ち着いた感じだった。
ワンルームに一応テーブルを置ける広さのキッチンがついた同じ間取り。
奥の部屋にはベッドとパソコンデスクがある。
「今すぐ温めるわね。」
そう言いながら豚汁に火をつけると、お隣の小さいお鍋からひじきの似たのを盛りつけ、冷蔵庫からはサラダと、サラダチキンを出してきた。
そうして、何も言わずに、お皿に盛ったサラダを一度ボウルにあけるとサラダチキンをカットして、サラダを二人分、小さなサラダボウルに盛りつけなおした。サラダだけだと、一人分だったので、かさ増ししてくれたのだ。
「お手数かけてごめんなさい。」
菜々が改めて恐縮すると、
「あら、昨日の残りとサラダは盛りなおしただけよ。一人で食べるより楽しいし、ありものだけなのに逆に夕食に誘ったりして申し訳ない位よ。」
そんなふうに優しく言ってくれるのだった。
豚汁が温まり、夕ご飯になった。
豚汁は味噌仕立て。奈々の家も味噌仕立てだが、当然味は少し違う。
でも、豚汁もひじきもとても美味しかった。ひじきなんて自分で煮たことはなかったので奈々がそういうと、
「よかったらお暇な時にでも教えるわよ。案外簡単よ。作り置きもできるしね。」
そうカラッと返してくれた。
部屋の様子が丸見えなのはお隣のおばさんも分かっている。
菜々は
「お仕事はお家でされているんですか?」
と、パソコンデスクを見ながら聞いた。
「あぁ、そうね。家ですることが多いかな。実は小説を書いているの。」
「え?すごい。小説家さんなんですね?ペンネーム教えてほしいです~。」
お隣のおばさんは少し困ったような顔をしていたが
「『菜々』って言うのよ。」
と、答えた。
「わぁ~、偶然。私と同じ名前ですね。っていうか、私読んでますよ。同じ名前だから興味を持って。ほんわかしたお話が多くて好きです。」
「あ・・あら、そうなの?同じ名前なのね。読んでくださっているなんて嬉しいわ。」
その日はそんな感じで夕食を美味しくいただき、洗い物を手伝っておいとました。
「おじゃましました。美味しかったです。ごちそうさまでした。」
「いいえ~、こちらこそ。よかったらまた来てね。」
「ありがとうございます。」
帰る時に表札を見ると『小林』と書いてあった。
『お隣のおばさんではなく、小林さん。ペンネームは菜々さん。』
新しい情報を頭に入れて、菜々は自分の部屋に戻った。
鍋を焦がした時の臭いがまだ残っていたが、これも、隣のおばさん。いや、小林さんに教わった方法で撃退した。
「濡れタオルを振り回すと、タオルの水分に臭いが吸着されて少しはましよ。」
そう言われていたので、さっそく、少し大きめのタオルを緩めに絞って部屋でぶんぶん回した。
タオルはそのまま洗濯機に。
確かに臭いが薄くなった感じだ。
『明日の朝は少し早く起きて、お鍋をこすらなきゃ。』
そんな風に思って、目覚ましを少し早くかけて眠りについた。
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