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その日は久々に休みが合ったので、二人で会おうという話になった。
二次団体とはいえ、紫雲会の次期会長候補と言われる徳網さんが一人で外出することは滅多になく、僕とのデートはいつも付き人のヒロくんが同行する。
この日もヒロくんが運転する車の後部座席に二人並んだ僕らは、どんな映画を見よう、何を食べようなどと他愛ないことでわくわくしていた。
龍義会さんの高級セダンは後部座席もゆったりとした広さがあるのに、僕と徳網さんは膝が触れ合うほど体を密着させて座る。お互いのスマートフォンを覗き込む理由で体を寄せ合っているけれど、本当は片時も離したくないと思っているのが奥底にある理由。少なくとも僕の方は。
交差点で信号待ちをしていた時、楽しい会話を遮るようにヒロくんのケータイが鳴った。「すみません」と断ってから、ヒロくんは電話に出た。その声は少し不機嫌だった。
「石田サンが、また何か相談事があるって泣きついてます」
スマホを片手にウンザリしながらヒロくんが言った。
「石田が? 代われ」
徳網さんが電話に出ると、携帯電話の向こうで涙ながらに叫ぶ男性の声が聞こえた。
「く、組長ぉ、こんなときにすんません」
「構わねぇよ。それよりどうなんだ、美奈さんの具合は」
「ちっとはマシになったんすけど、まだ高熱が続いてるんすよ」
「そうか。一番辛ぇのは美奈さんだろうから、側にいてやれよ。こっちの仕事は心配すんな」
「有難ぇです」
電話の向こうで赤ちゃんの泣き声が聞こえた。すごい声量で、徳網さんの隣に座っていても聞こえるくらいだ。泣き声にかき消されまいと、石田さんの声も大きくなる。
「……で、病院……って、……日くらいだろうって」
「おい、さっきからてめぇの声、全ッ然聞こえねんだけど。大丈夫か?」
「はあ、すんませ……、……ないだ……れた、赤ん坊……して」
赤ちゃんの泣き声がすごすぎて、携帯電話の音が割れている。
「お前さ、赤ん坊の面倒ひとりで見れんのか?」
それから何回かのやり取りを経て、ようやく電話を切った徳網さんはヒロくんに指示をした。
「ヒロ、今日の予定変更だ。映画館行って、終わったらオーベルジュで飯食って、帰りに石田のアパートに寄る」
「わかりました」
ヒロくんが頷くのを確認してから、ちらりと僕に視線を投げた。ほんの少しバツの悪そうな色を滲ませながら。
「悪いな、センセイ。ちょっとバタバタするけど」
「構いませんよ。それより石田さんて人、大丈夫なんですか?」
その台詞を待ってましたとばかりに徳網さんは愚痴をこぼす。
「ああ、あいつは本当にトラブルの多い男でな。同棲してた女が妊娠して、入籍してぇけどこのままじゃ女房と子ども養えねぇってんで、俺が仕事の世話してやったんだ。それがまた全ッ然使えねぇ男でよ。あがり症で接客はできねぇ、腰抜けで用心棒もできねぇ。で、なんとかホテルの従業員に収まった」
「けど」と言うので、愚痴はまだ続くのだろう。僕は黙って続きを待った。
「赤ん坊が生まれたと思ったら、今度は女房の美奈さんが急性腎盂炎で入院だとよ。で、せっかく慣れ始めたとこだってのに、仕事休ませてほしいって電話だった」
「そうなんですか。なんていうか、本当にトラブル続きですね」
聞いているだけで疲れる話だ。
「徳網さん、石田のオッサンに甘すぎるんじゃないですか」
珍しくヒロくんが強い口調で言う。運転中に彼が僕たちの会話に口を挟むこと自体が珍しいので、彼もよほど石田サンとやらに対して我慢していることが伺える。
「言われなくてもわかってる。けどよ、石田ひとりならその辺で野垂れ死のうと構わねぇよ。でも赤ん坊に罪はねぇだろ」
そうだろう、徳網さんならそう言うだろう。脳裏から溢れる言葉を押さえるように、片手で額を抱えた。
徳網さんのそういうところが好きだ。不意を突かれて内心ドキドキする。乱暴な口調でそんな優しいことを言われたらますます好きになってしまう。
「いまのは反則でしょ」
心のツイートが聞こえたのか、ヒロくんが「ですよねセンセイ」と振ってくるので、思わず声が裏返った。
「センセイだって、せっかくの休日に他の男のアパートなんか行きたくないッスよね」
「まあ、ね。でも、それを放っておけないところが徳網さんのイイトコロっていうか」
「ほらぁ。センセイ、相当ムリしてますよ」
言いたい放題のヒロくんに、徳網さんがキレ始める。
「わーかったよッ! 夜はセンセイの言うこと何でも聞く! それでいいだろ!!」
ちらりと僕の方を見る目が何かを語っていて、僕にはそれが何なのかすぐにわかる。わかるから、赤面した。
夜と言わず、今すぐ押し倒すことができたらどんなにいいか。
不埒な妄想を発動させる僕の隣で、人形のように真っ直ぐ前を向いて座っていた彼の口から舌打ちが聞こえた。
「言いたい放題言いやがって。ヒロ、後でぶっ殺すからな」
「どうぞどうぞ」
いつものやり取りなのか、ヒロくんは動じる様子もなく前を向いたままハンドルを操作する。
「ほう。ボッコボコにされんのと風呂に沈められんの、どっちがいいんだよ」
「でっかい檜風呂に入ってみたいっす。できれば徳網さんもいっしょに」
「ぷっ」
僕の失笑が車内に響いた。
「センセイ、このバカ診てやってくれ」
「えっ、ちょっとヒロくんは専門外かなぁ」
「俺限定ッスか」
「ばーか、ちげぇよ。センセイは俺限定なの」
「こんなときに惚気ないでくださいよ」
どうなることかと思ったけれど、なんとか貴重なデートの一日は楽しく過ごせそうだなんて思っていた。この時までは。
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