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14-26
21時。
我が家に帰る前に、近所のレストランで晩ご飯を食べてきた。疲れているから手早く食べて、寄り道せずに帰って来た。緩やかな坂の住宅街を車が進んでいく。ライトに照らされている家や道路標識は、すっかり見慣れたものだ。
「うちに帰って来たって感じだよ」
「まだ一年も経っていないぞ?」
「もっと前から住んでいる気分だよ。黒崎さんが気を遣ってくれているからだよ。ご近所づきあいとか……。寂しくないもん」
「いくら俺でも普通のことはする」
「そういうタイプじゃなかっただろ?デート相手が会場に来ている確率が……、あんな数字の人が」
ほんの冗談で口にしたことなのに、黒崎が無言になった。言い返してこないことが怪しいと思い、本当にそうなのだと察した。
「マジなのかよ。会場にいたの?」
「それはない。来ていたとして何もない」
「ふーーん?」
「それが答えだ。何度も言わせるな」
「拗ねてるの?俺から苛められたから?」
「ああ……」
「可愛いことをするなよ~。ヒャーーッ」
さすがに運転中は危ないから叩くことができない。愛情うちわでパタパタと顔を扇いだ。黒崎の眉間に皺が寄っている。我が家の門が見えてきて、運転席から門の操作をし始めた。
ガーーー。
森の中には小さな灯りが付いている。お義父さんとアンが待つ家が見えている。ゆっくりと進んで家の近くまで行って車から降りると、木々の匂いが鼻先をくすぐった。冷え込んだ空気が気持ちいい。砂利を踏んだ音が響いている。
「寒いねえ……」
「早く入ろう。忘れ物はないか?」
「大丈夫。お義父さんところへ先に行こうよ」
「お前は家に入っていろ。俺がアンを迎えに行く」
「一緒に行きたいんだ。報告もしたいし」
黒崎にすがりつくようにして歩いていると、足元で何かにつまづいた。この小道には灯りがなくて、月の光が頼りだ。黒崎は夜目が利く。暗闇でも問題なく移動できる。
「……夏樹。そこは通るな。こっちを歩け」
「水たまりがあった。よく分かるねえ~」
「このルートに灯りを用意する。何かあった時にも便利だ」
「この雰囲気がいいんだよ」
「転ばないなら、そうしてやってもいい」
「小さなやつがいい。歩道並みじゃなくていいからね?」
「想像以上に明るくさせてやる」
「森じゃなくなるんだよ~」
「……繁華街のようにしてやる」
「やだってば!」
言い合いをしていると、夜空の雲が切れていることに気づいた。満月も薄曇りがなくなり、会場を出た時のようにクリアに輝いている。
「黒崎さん。オリオン座が見えるよ。ベテルギウスは、オリオンの脇の下の部分にあるんだ。クルクル回っている時みたいだね」
「やってやろうか?」
「オプションだよね?」
「……早く消費しろ。気が変わる」
「せっかちだねーっ」
どうしてこうも意地悪なのかと文句を言っていると、お義父さんの家の玄関が開いた。灯りの向こうには人影がある。そして、小さな影がやって来た。
「アンー、ただいま。今日は俺の方に来てくれたんだね。明日はささ身が食べたいの?それでもいいんだよ~」
頬ずりをしながら玄関を入ると、お義父さんが笑顔で迎えてくれた。ただいまと声をかけると、おかえりと返って来た。それだけのやり取りでも、お互いの気持ちが十分に伝わると思った。
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