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拓哉SIDE
彼が最近見つけたアルバイトはとあるAIアプリのサポート業務、と言ってもサポート対象はユーザーではなくAIの方だ。
対話AIはずいぶん進化したけれど、それでもまだおかしな応答をすることがある。
それを人力で修正するのが仕事だ。
やっていることは意外とアナログ。
でもスマホ一つあればできるし、わりも良い。
「ねえ、拓哉君。今夜は何食べたい?」
そうこうしているうちにサポートアプリから音声が聞こえてくる。
今日は最近頻繁にアクセスしてくる早苗の相手だ。
AIが回答を生成して提示する。
1.なんだよ、それぐらい自分で決めたらいいじゃないか
2.お前が食べたいものでいいよ
3.どっかへ食べに行かないか?
早苗が拓哉と名付けたこのAIの性格設定のせいでわりとそっけない返事が生成されがちだ。
だが1と2は論外、そして今の早苗はどうやら自炊する気のようだから3もダメだろう。
拓哉は……そう、偶然にも早苗が名付けたAI人格の名前と彼の名前は同じだった……AIの回答をキャンセルし、自前の回答を入力し始める。
「そうだなぁ、今日は寒いしあったまるものがいいな。鍋とか煮物とか」
拓哉は今自分が食べたいものをそのまま言った。
拓哉の住む辺りは今、数年ぶりの大寒波に見舞われ例年と比べてずいぶん寒い。
「なるほど、鍋なら簡単そうだしいいかも」
画面の向こうの早苗は立ち上がると部屋着を脱ぎ始めた。
このアプリはユーザーが映像も使って会話ができるようにと映像を受信する機能もある。
きわどい場面ではAIの自動判別によって映像が停止されるが、何かを始めるところは見えてしまったりもする。
今も早苗が部屋着を脱ぎ始めるところが少しだけ見えてしまった。
相手はこちらが完全なAIだと思っているからか無防備になりがちで、まれにこうした事故すれすれの事態になる。
「おいおい、いくら俺の前でもいきなり脱ぎ始めるなよ」
拓哉はもっと見たいという感情と覗きをしているような罪悪感に板挟みになりつつ、早苗を諭すように言う。
拓哉はアパートで独り暮らしをする大学生だ。
彼は学業に支障がない程度にと時間の自由が利くこのアルバイトを始めた。
そして何人かのユーザーと接しているうちに、早苗と出会う。
早苗は偶然にも拓哉と同じ名前をAIに付けた。
それに早苗がアクセスするとき、AIのサポート役に拓哉が割り当てられることがなぜか多かった。
もしかしたらたまたま生活時間帯があっていただけかもしれないが、それらがきっかけになったのかもしれない。
拓哉が早苗のことを妙に意識するようになるのに時間はかからなかった。
「えー、別にいいじゃん。私たち、ほら、夫婦なんだし」
夫婦。
そうなのだ、早苗は拓哉をよりにもよって自分の伴侶として設定していた。
その設定故、早苗は自分の裸を拓哉に見られても良いというが、それはあくまでこちらがAIだと思っているからだ。
拓哉はそう自分に言い聞かせ、何とか理性を保とうとした。
「まあ……それはそうだけどさ」
早苗が着替え終わったとAIが判断したのか、拓哉のスマホに再び今度は近所に出かけるラフな外着の早苗の姿が映る。
「それで鍋って何を買えばいいのかな?」
早苗の質問にAIはいくつかの鍋のレシピを提示した。
拓哉はそれを読んで回答する。
「具材もいろいろだな。白菜とか肉団子とかは定番だろうし。煮込むときには昆布とかでだしを取るものだし、つけて食べるタレも欲しいな」
早苗がスマホをマチの大きな買い物用のショルダーバッグに入れたため、カメラの映像が一瞬大きくぶれてバッグの底から見上げる視点になった。
「わかった。じゃあ細かいところは任せたからスーパーにつくまでに考えておいて」
「なんだ、結局俺任せかよ」
早苗が玄関に向かうと、どこかからドアが閉じる音がかすかに聞こえる。
わずかなタイムラグがあって、スマホの早苗も自室を出てドアを閉じる。
拓哉は少し考えて、まさかね、と首を振った。
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