保護犬と食堂とわたし

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それから,さらに3日が過ぎた。 ようやく熱が鎮まり,少しずつだが食欲も湧いて,食べられる量も日に日に増えてきた。 朝の薬を取り出そうと,ピルケースをカバンから出して,ふと辺りを見回す。芽生に用意された和室が,自室よりも広い事に気づいた。 壁側に大きい桐箪笥(たんす)が2つ置かれており,窓には大正時代に流行った色ガラスの,センスの良さが際立っている。 部屋の中央には,樫の木の一枚板で出来たローテーブルが艶々に磨かれていて,汚れている箇所が見当たらない。 後々に聞くところによると,芽生に用意された部屋は,商家に勤める従業員のための部屋で,2~3人が共同で利用していたと教わった。 箪笥の反対側には,布団と真隣に押し入れがある。家から持ち出した荷物は押し入れに入れてあるらしい。 整理の苦手な詩織の事だ,雑然と置いてあるのかと思って開いてみると,上段の左側に衣装ケースが置かれ,右側にはハンドメイドで使う生地や毛糸のストック用の布箱があった。 下段には()の子を敷いて通気性を良くし,芽生にとって必要な書籍が閉まってあった。殆どが,動物関連の書籍と趣味の本がメインだ。 15歳の高校1年の女の子が,興味を持つモノは一切無い。 その本たちは12歳の頃から古本屋を巡ったりして集めたり,姉や母親の手伝いをして買った真新しい本も,そこにしまわれていたのだ。 トントンと,廊下の向こう側から誰かが扉を叩く。やって来たのは,お盆に昼ごはんのおかずを乗せた幸誠の姿が見えた。 「熱は下がりましたか,芽生さん?」 幸誠は,元教え子の芽生に『さん』付けをする。教職に着いてからの習慣だったらしいが,その癖が今も身に付いて離れない。 芽生も芽生で,変わらず幸誠を『幸誠先生』と,呼び慕っている。 「先生,食堂・・忙しいんじゃ,ないです,か?」 心配する芽生を余所に,いやいや~と笑いかける。雅と詩織が切り盛りしているし,常連客の勝手知ったる食堂事情に,手伝ってくれるんだと,幸誠は笑いながら言う。 「湖々菜(ここな)さんと光弥(みつや)くんが,とても心配していたんですよ。」 「ここちゃんと,みっちゃんが?」 湖々菜との出会いは,小学3年生の2学期に父親の転勤でブラジルからやって来た日系ブラジル3世の女の子。 日本語は理解できるモノの,話すのが苦手なため,なかなかクラスに馴染めず一人ぼっちだったのを,芽生の片言のスペイン語で語りかけたのがきっかけで,自然と話すのが上手くなっていった。 光弥は,赤ん坊の頃からの腐れ縁で,同じ保育園で育った,兄弟も同然の仲。 パソコンやネットにも詳しくて,母親の運営する保護犬・保護猫カフェでの活動を,動画配信として世間に認知させたら?と,意見してくれたのが光弥だったのだ。 芽生と湖々菜と光弥は,『あの日』に起こった出来事の首謀者として,町内を騒然とさせた。勿論,両親や姉たちにも迷惑をかけたし,母の兄である伯父には,3人とも拳骨を頭に喰らった。 『どうして大人を頼らなかったんだ』 あの時の伯父の言葉が, 今でも頭に響く。 助けてと叫んでも,色んな理由をつけて大人は無かった事にしてしまうのなら,自分たちで自分のやれる事を成し遂げようと,3人は誓ったのだ。 ペットベッドに寝転び,2人のやり取りに耳を向け,楽しそうに尻尾を振るアッシュの身体を擦る芽生。 「連絡をしたくても,芽生さんが拒否しているって。病気の事が理由かい?他にも理由が?」 幸誠の問いかけに,首を左右に振る。まだ答えてはいけない。『ア レ』が,両親を不仲にさせる原因であるが,この事で家族や幼馴染みの2人に,万が一の事が逢ってはならない。予期せぬ事が起こる可能性も,視野に入れておく必要がある。 今は未だ,こんな身体とこころの状態で,応戦は出来ない。『ア レ』がもし,可能性の枠内で仕留めて来るとしたら,確実にわたしを標的にする筈だ。 相手の手の内が見えてこないのに,対策を練られないのが居たたまれない。芽生は布団の中で拳を握る。まだ気は熟してはいない。時が満ちるまでは,動いてはいけない。
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