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灰色の瞳に映ったものは
日を跨ぐ少し前,辺りは静けさに飲み込まれ,外は誰もいないのか,些細な物音さえも闇に掻き消されていく。
この静けさの中で身を置くと,1日の仕事の疲れと気疲れから解放されていく気分になる。
この場所に人間は,自分ひとり。幾つかの金属製のゲージには,数匹の子犬たちが入っており,肩を寄せ合って眠っている。
この子たちは,僕が大切に育てた。無くてはならない子たちばかりではあるが,れっきとした『売り物』の子なのだ。
販売を目的として,この場所に存在するこの子たちはお客様たちが選び,店を後にしていく。ずっとの家族が出来た喜びは一塩だ。でも,僕は一抹の不安を覚えてしまう。
世間では,動物虐待する輩が後を絶たず,ニュースで情報を知る身となる僕は,ゲージで眠る子たちと重なってしまい,胸が苦しくなってしまう。
あの子たちは,人の言葉を理解できる。人の言語で話が出来なくても,想いは伝わってくる。遠い昔に教えてくれた,あの女の子の受け売りだけど・・・
僕は床にあぐらを掻いて,2匹のパピーが必死にご飯を貪る姿を眺めている。
ある雨の日,店の裏側にあるゴミステーションで肩身を寄せて震えていた2匹の兄妹を放っておけず,温かなタオルで身体を拭き,他の子たちが食べるご飯を与え,店のオーナーに知られる事なく育てていた。
店の経営に翳りが見え,不安が一層増してきていた。スタッフのひとりが,僕が内緒で育てていた2匹を暴露し,全員から殴る蹴るのリンチを受けた。
僕が我慢すれば平気な事だし,ましてやあの子たちに危険な目に遭わそうもんなら,こっちだってやられてやる必要はないんだ!
ボコボコにやられ,口の脇から滲み出る血を指で拭う。口の中に広がる鉄の味が,何時までも残ってしまう。
お店のリーダー格の男は,オーナーに子ども達の廃棄を僕にさせようと,笑いながら進言をしている。冗談じゃない!子ども達の命を何だと思っているんだ。
あの子たちにだって,赤い血が流れているし,毎日を必死に生きている。彼奴らは,一緒に世話をしていた仲じゃなかったのか?情が沸かないだなんて,哀し過ぎる。
オーナーは僕に向かって,到底有り得ない言葉を吐いた。
「いいか,俺たちは動物の販売で生計を立てているんだ。売れ残っているヤツを,どうにかして売るのがお前の仕事の筈だ。大きくなったヤツらは価値が低くなる。そういう店でお客様は買いたいと思うか?」
オーナーの非条理な言葉に,ぐうの音も出ない。人気種でも,大きくなった子どもたちと,あの2匹を,人の来ない山奥へ廃棄しろと吐き捨てた。
痛みと悔しさで,息が出来なかった。
オーナーと他のスタッフは僕に店の掃除を押し付け,さっさと帰って行った。
掃除をしながら,止めどもなく流れる涙と嗚咽が店中に響く。悔しさとやるせ無さ,店の全ての人間に悪意を芽生えさせた。
期限は1週間。それまでに廃棄しないと,彼奴らがどんな嫌がらせをしてくるか,目に浮かぶ。
僕は,何のために仕事をしているんだろう。犬のお世話がしたくて学校で勉強し,今まで頑張ってきたツケがこの様だ。
膝を抱えて丸くなる。ご飯を食べ終え,満足した2匹が心配して寄ってきた。
つぶらな瞳が僕を映す。遊ぼう遊ぼうと,身体の周りにじゃれ付いてくるその姿に,2匹を抱きかかえて泣き出す。
「お前たちは何も悪くないのに,本当にゴメンな。悪いのは,全部僕たち人間の怠慢が招いたせいだ」
涙が止まり落ち着いた頃,抱きかかえた腕の中で2匹が安心して眠っていた。こんな時に良いなと呆れるけれど,少し冷静を取り戻してきた。
すやすやと眠る2匹を見つめ,僕は子どもたちを行く末を頭から捻り出さなくちゃいけない。それも,1週間でどうやって?
その時,携帯から音が鳴り出した。動画配信を知らせるベル音だ。画面を開いたその先にあるのは・・昔,動物イベントで知り合い,犬を譲渡してくれた,お店の娘さんだった。
流れる映像に,僕は一筋の光明を見いだしていた。彼女なら,子どもたちを救ってくれるんじゃないかと。
彼女に申し訳ないと思いつつも,子どもたちを危険に晒すより,保護して貰う方向に持っていけば,あの子たちは確実に平穏を望めるのではないか。
そうとなったら,やる事は決まっている。彼女に確実に子どもたちを見つけて貰う。時間と日時と行動パターンを調べ,絶妙なタイミングで渡す事にしよう。
僕は暗い室内で,決意を固めた。店のみんなを敵に回し,守るべき存在を助ける為に,危険な賭けを起こそうと,躍起となるのだった。
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