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散歩大好きなマイヤーは,嬉しさのあまりに飛び跳ね,小さな尻尾がピコピコと揺れ動く。
ゼンは,まだ眠たい様のだろう。
大きな欠伸を欠いている。
キャンプ用の折り畳み式カートに3匹の子どもを乗せ,ハーネスを着けたマイヤーとゼンと共に,ゆっくりと歩幅を合わせた散歩を楽しむ。
遠く離れた場所に一台のハイエースが,視線の先にある芽生たちを窺っていた。
子どもたちに囲まれて,笑いながら歩く芽生の姿に,青年はホッと胸を撫で下ろし,それと同時に後部座席で眠っている幼気な子犬たちを複雑な眼差しで見つめている。
停めていた車にエンジンを掛けると,青年は留まっていたその場を後にし,芽生たちより先に目的の場所へ移動する事を優先した。
車の振動が指先に伝わり,その余波が身体へと広がっていく。
青年は,子どもたちとの最後のドライブが,まるで永遠の別れを思わせるかの如く,そして青年の起こした行動が,一滴の水を落とし波紋を方々へと広げるとは,今は未だ誰も知らない。
時は同じく,青年が車を目的地へと移動させている頃,ひとりの男が犬たちを連れた少女を見つめていた。
その顔は醜く歪み,悪意が宿るその瞳は,今にも心臓を射貫いてしまいそうな勢いだった。
「部屋の中で,ずっと引き籠っていれば良いものを。邪魔な小娘と母親さえ居なければ,彼奴らさえこの商店街から消えてしまえば・・」
7月にもなると,夏が本格的にやって来る。景色はどの季節とも違った色合いに映り込み,芽生はキラキラしているその瞬間が好きだった。
しかし,身体を壊した今ではその景色や色でさえも綺麗には見えずじまい。こころのフィルターが,全てを灰色に写してしまう。
そんな灰色の瞳に僅かな色を宿す事が出来たのは,アッシュたち・・子どもたちのお陰だった。
芽生は,近くを流れる川の傍にある土手の道を,散歩コースのひとつとして利用している。
大型犬であるアッシュとゼン,中型犬のマイヤーにも長時間の散歩は有効で,運動不足解消として土手の下に草で覆われた河原で,天然のドッグランとして遊ばせる事も,子どもたちはストレス発散になっている。
青年は芽生が来る前に,河原の草薮の中に隠れていた。
聞こえてくるのは,川に生息する小鳥たちの囀りと青年の乱れた呼吸が響く。
周りを踏み締め,物が置けるだけのスペースを作り上げる。土手へ上がると,車から大きい段ボールを運び出し,斜面をゆっくりと降りて行っては,草薮に置いていく。
用意した全ての段ボールを運び終えると,最後の段ボールを開け,すやすやと眠る2匹の兄妹たちに別れの挨拶を口ずさむ。
「じゃあな2人とも。お世話出来るのも,これで最後なんだ。きっとあの子が,彼女がお前たちを護ってくれる。チャッピーとユキネ,他の子どもたちを幸せにしてやれなくて,ゴメンな」
再び溢れ出る涙を拭い,青年は土手を上がっていく。後ろ髪引かれる想いは残るが,ここに留まっていては,考えに考えた計画が無駄になってしまう。
青年は,ひとりの少女にこの無謀ともいえる計画を託し,その場を後にした。何時か,青年の元に辿り着ける事を。その淡い期待は,昔聞いた言葉の中に潜んでいた。
『もし,どうしてもピンチになったら,神様は運命を引き寄せてくれるよ。どんな手を使うかは,わたしも分からないけどね・・』
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