保護犬と食堂とわたし

3/8
前へ
/29ページ
次へ
車を走らせる事10分。目的地は,住宅街から少し離れた場所にあった。 元々は,大正時代に商家を営んでいた場所にリノベーションを行い,古きよき古民家風の食堂へと生まれ変わっていたのだ。 丁度,食堂は昼間の営業時間が落ち着いた頃で,お店から出てきたお客さんは皆,とても満足した面持ちで各々の場所へと戻っていく。 駐車場に車を停めると,ドアを開けた芽生とアッシュを後部席から降ろした詩織が,荷運びを手伝ってくれた。 何度となく訪れていたおばあちゃんのお店を,呆然と眺める。ここが新天地であり出発の地なんだと,芽生は小さく呟く。 その一方では,アッシュが何だか楽しそうに尻尾を振り出し,今にも食堂の中へ飛び込みそうになるのを,リードで抑え込む。 興奮で力の加減を知らないアッシュを,芽生は(なだ)める様に落ち着かせるのに必死だ。 「芽生,みんなが待ってるわよ!」 詩織の言葉を聞いて,芽生は小さく頷く。今日から,ここがワタシの世界。新たな箱庭となる場所で身体を癒そう。 時間が掛かっても良い。体調が良くなったら,『ア レ』を何とかしないといけない。いまは未だその気配は伺えず,嵐の前の静けさにも似ていて,怖いくらいだ。 「時間が経てば,やがて種は芽吹く。芽吹いた若葉は,どんな花を咲かせるのかしらね?」 芽生は空を仰いだ。空は何処までも青く,これから始まる新生活と,回復する見込みの見えない病気との共存。少し先の未来に起こるであろう面倒事を想像すると,全ての体力と気力が削がれてしまう。 芽生は,食堂の扉の前に立ち止まる。心臓の音が,緊張のせいか小刻みに鳴っている。足は,鉄か鉛が入ったかの様に重く,何時までも動こうとしない。 大丈夫よ!と,先に荷物を運んでいた詩織が戻ってきた。困った顔をしつつも,固く握ったアッシュのリードを解きほぐして持ち替え,片方の手で芽生の手を優しく握る。 その手の温もりは,芽生に安心感を覚えさせた。小刻みに動いていた心臓は落ち着きを取り戻し,小さく息を整えると,1歩食堂の中へと足を踏み入れたのだ。 暖簾(のれん)を潜った先に見えたのは,とても懐かしくて暖かい,本当に暖かくて帰りたかった場所だった。 「おかえり,芽生」
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

11人が本棚に入れています
本棚に追加