保護犬と食堂とわたし

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「おばあちゃん・・」 視線の先にいたのは,芽生の父方の祖母である(みやび)。常に笑顔を絶やさない人で,この地域の小学校の教師を長年就いていた。 祖父の伊吹(いぶき)が死去した後に開いたこの食堂に,当時の雅の教え子が今でも食堂にやって来ては,他愛もない話をしたり,子供の時分の話をしては懐かしんでいた。 食堂の中は,おばあちゃん直伝の豚肉の生姜焼きの匂いに,両親と姉・小さな弟と5人で口の中いっぱいに頬張って食べた記憶が(よみがえ)る。 笑いが絶えない家庭だったのに。今はそんな記憶さえ掠れて,泡と化して消えてしまいそうだ。 突っ立っている芽生に,雅は昼ごはんを出すから近くのテーブルへ向かうように諭した。 入り口の看板には生姜焼きの名が書かれていたのを見ていたので,てっきり生姜焼きが出てくるかと思いきや,芽生の目の前に出されたのは。 「ポトフ・・・?」 深めの器に出されてきたのは,熱々の湯気が立つポトフに,丸型のパンが数個乗せたお皿を用意してくれていた。 看板には,ポトフの名は何処にも見当たらず,お客さんの誰しもが同じポトフを食べてはいない。 器に乗せられた野菜たちの配置に,記憶の引き出しの鍵がガチャリと動いた気がした。 何だろう?何処かで見た覚えがあるのに,(もや)が掛かって見えやしない。 大きめにカットされた人参やじゃが芋,形を崩さないように切ったキャベツと,長めのソーセージ。 それと,大豆がたっぷりと入ったポトフに,芽生は懐かしさを感じた。 フォークを掴むと,人参を刺して口の中に入れていく。ひとつふたつと野菜が口の中に入っては咀嚼をし,野菜の甘さを味わっていく。 鶏と余り野菜を煮込んで作ったであろうスープが,余計な味を邪魔させないし,ソーセージから滲み出る旨味も,アクセントとなっているからか?見事なハーモニーを醸し出している。 「美味しい」 芽生の小さな声に,誰も聞こえてはいない。足元に座り,食べやすくカットし味を薄めたポトフと,ご飯で作ったおじやを堪能したアッシュが,お皿を綺麗に舐め尽くしているのをみて,小さく微笑んだ。 「〇〇と食べたモノ,何だか似て・・る」 急に視界が消えて暗くなり,芽生は意識を失った。近くに座っていたお客さんが雅を呼び,倒れた芽生に駆けつけた詩織と雅が2階へと運び,布団の中に横にさせた。 「雅ママ,芽生どうしちゃったんだろう?」 不安がる詩織を前に,雅は答えを出せず思案していた。雅の教職人生の中で,こういった事例がないのもあって,対処の仕方が分からなかったと,口に漏らす。 「たぶん,緊張していたのかも知れません。ポトフを食べた事で緊張が緩み,意識を失った。理由にはなりませんかね?」 厨房から現れた男性の声の方へ,2人は顔を向ける。声の持ち主は,7年前まで小学校の教師をしていた,芽生の担任でもある冴島 幸誠(さえじま こうせい)その人だった。 「芽生さんは,こころの病になったと聞いています。原因は,僕たち全員分かりません。それでも,あの子には立ち直って貰わないといけない,そう思って詩織さんがここへ連れてきたんでしょう?」 幸誠は,詩織の素早い行動力と率先力に,舌を巻いた。しかし,その先を考えていない詰めの甘さが,どう影響するかが判断できない。
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