保護犬と食堂とわたし

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芽生の無表情の顔が,眼の動きが,多くの事を想定して考えているのを,幸誠は分からないでいた。 新入生として入ってきた芽生の,幼かった頃のあの笑顔はもうない。 元教え子の芽生に救って貰った,あの時の恩返しは,きっと今返さないといけないんじゃないか。 お盆の食事が,冷めてしまう前に食べさせなくてはと思った幸誠は,食事へと誘った。 「さぁ芽生さん。ご飯が冷めてしまいますよ温かなうちに召し上がれ」 お盆に入っていたのは,鶏がらで作ったスープと生姜の千切りを加え,茹でておいた鶏肉をほぐして煮込んだ鶏粥だった。 茹でたキャベツと搾菜(ザーサイ)の漬け物を和えたものと,だし巻き卵が組み合わされていた。 生姜と鶏肉の匂いに,堪らずお腹がギュギュ~と鳴り響いた。顔を真っ赤にした芽生に, 「頂きましょう,芽生さん。鶏粥の味が知りたくて気になっているですから」 急かし気味の幸誠にせっ突かれ,やれやれと思う芽生。子供みたいに,キラキラとした眼で見られると,何だか食べづらい。 木製の(さじ)で,鶏粥を掬う。口に含むと,鶏ガラスープの味が口いっぱいに広がり,鼻に抜けていく生姜の香りと舌に伝わる辛みが,実に良い。 キャベツの食感と,搾菜の程よい塩味も良いし,風味付けに胡麻油を加えたのが分かる。 だし巻き卵は,たぶんおばあちゃんの作だ。ギリギリの柔らかさに仕上げるのに苦労したんだと,おばあちゃん遠い目をしてたっけ。 「キャベツと搾菜のは,詩織さんが作ったんですよ!」 えっ!と驚く。調理の仕事は就いた事がないって聞いてはいたが,隠れた才能が開花していたんだ。詩織には失礼だが,改めて感動する芽生に, 「意外だって顔をしてますよ。雅先生が1から教えたんですから。上手にならなきゃ,時間の無駄・・おっと,この事は内密に」 母親からは,詩織の不器用さを物語る失敗談を聞かされていた。失敗を繰り返しても,努力を重ねた結果が,詩織の人生を切り開いてくれたんだとも,言っていた。 雅と詩織・そして幸誠の想いや愛情が,お盆の中の食事に込められている。 昼の営業の忙しい最中は,人の手が必要だ。それなのに,誰からも責められる訳でもなく,与えられた食事を前に芽生は涙が溢れた。 こころの奥に隠していた想いが,熱くなる。そう思ったら,芽生は匙を掬っては味わい,流れる涙を拭いもせず,ただひたすらに食事を味わう。お米のひと粒も残さない様に。 食事がすむと,芽生は手を合わせた。 「ご馳走・・さま,でした。先生,とても・・美味しかった,です」 芽生の喋り方に,異変を感じた幸誠。 昼の営業をそっちのけ,芽生を車に乗せて総合病院へと走らせた。 担当した医師によれば,発熱が数日続いたのが原因で脳に影響を及ぼし,言語野に異常を起こしたんだろうと。 ゆっくり話せば,日常会話にも問題はないとの判断から,薬は必要ないと言われた。 ただし,心療内科への通院は行ってくださいと,念を押される。 診察室から出てくると,長い髪を雑に束ね,怠そうな面持ちでコンビニご飯を入れた袋をぶら下げて歩く白衣の女性に,目が行った。 「リリィ先生!」 芽生の言葉に振り向くのは,心療内科に勤務する医師で,芽生の主治医。 すり足で歩くリリィ先生が近づくと,質問責めに合ってしまい,幸誠が代わりに事情を説明した。 リリィ先生は扁桃腺を触り,喉の腫れを指摘した。 「あのポンコツ,何処に目を付けているんだか。解熱剤はまだあるのか?喉も腫れているみたいだし,先生がこっちで処方してあげるよ」 診察を行った医師に向かい,ポンコツ扱いするリリィ先生。プリプリと怒る仕草に,芽生はクスッと微笑む。 「リリィ先生・・ありがとう。喉,ちょっと,痛かった。お薬・・欲しい,です」 ちょっと待っててねと,小走りしながら去っていくリリィ先生に,やや呆れ気味な表情を浮かべる幸誠。 「何だか変わったお医者さんだね」 「リリィ先生・・優しい。それに,患者さんに,親身になって・・くれる,よ。世の中の,全ての先生・・敵に回しても,あの先生は味方」
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