ナンジャモンジャの木の下で

6/6
前へ
/6ページ
次へ
 勇気は重い瞼を開ける。  もうずいぶん長い間、眠リこけていたような気分だった。  けれども、眼前に広がる景色の中に自分が立っていることに気付くと、意識が一気に覚醒していく。  どこまでも澄んだ青空。ふっくら高く広がって虹色に染まる雲。その下にある青く澄んだ湖の水鏡には、空の情景が色鮮やかに映し出され、その彩度は意思を持っているかの如く、力強く胸に迫ってくる。  目に映るもの全てが、まるで呼吸しているかのような。こんな生き生きとした場所は、今まで見たことがない。  「いったいここは・・・」    勇気は一歩づつ踏み出してみる。やわらかい土を踏む感触。瑞々しい若葉のにおい。  どこからともなく、なんとも言えない優しい風が体を撫でては通り過ぎていき、ハッと我に返る。  いや、待て。俺は何をしていた?  確か、爆発した敵艦の砲弾の破片が胸に貫通して、肺が破裂して呼吸ができなくなったはず。それなのに痛むどころか風が心地良く、体がまるで軽い。  恐る恐る手で胸元を探り、勇気は愕然とする。  嘘だろ?被弾した分厚い特服と救命胴衣が、ズタズタに裂けて大きく開いているというのに、胸の傷が跡形もなく消えている。  そこでようやく、自分の体が無傷の状態であることに気付く。そんな事、あるわけがない。信じられない。眠っていた記憶も、どんどん戻っていく。  俺はあの後すぐ佐藤さんを追い、敵艦に突撃して機体ごと木っ端微塵になったはずだ。  まったく現実的でない状況なのに、何故か冷静に俯瞰できているのが不思議だった。  俺は明晰夢(めいせきむ)でも見ているのか?  だとしたら、佐藤さんは?稲辺さんは?    不意に風向きが変わる。今度は追い風になり背中を強く押され、まるで勇気の疑問を掻き消すように、彼が視線を向ける先へ真っ直ぐに拭き抜けていく。  風の道しるべを辿ると、青い湖の湖面にさっきまでなかった一本の大きな木が佇んでいる。  白いフワフワの綿雪のような花が垂れ咲き、ユラユラと静かに揺れていた。  「あの木は確か・・」  湖面から真っ直ぐに伸びた、ナンジャモンジャの木。風にやわらかくそよぐ白い花。  まるで穏やかに微笑んでいるようだった。今にも語りかけくるような気さえする。  途端に白いフワフワの花が、空へと一斉に風に舞い上がる。  その時、勇気は全てを悟った。  ──俺はあの時・・死んだんだ。  細長い花弁がくるくると踊っては、やわらかく風の軌道を描き、あてもなく空に揺蕩う。  それはまるで、走馬灯のように回りだす。  編隊飛行で、佐藤と稲辺と大空を駆けた日。  稲辺に怒鳴られ、佐藤に励まされた日。  基地の飛行場で彼らと始めて出会った日。  あの木の下で、泣きべそをかいた勇気を見つめるなっちゃんのやさしい笑顔。  冷たくなったなっちゃんの手を握り、泣きながら誓った日。    記憶がどんどん巻き戻っていく。ゆらりと目の前の景色が揺らいだ。瞼の縁から不思議と熱くもなく温くもない、透明の雫が頬を伝う。  どうしようもなく懐かしくて、ただ嬉しくて。    安堵の波が、体の内側から押し寄せてくる。    会いたい、会いたい、会いたい。  稲辺さんに、佐藤さんに、共に死んでいった仲間たちに、そして・・      気付くと勇気は湖面の上を駆けていた。足元で水の波紋が弾けて広がっていく。  ──ナンジャモンジャの木の下で、また会おう  風に流れていく白い花弁が導く先には、安らかな微笑みを浮かべ佐藤と稲辺、先立った仲間たちが勇気を待っていた。  彼らは愛する人と共にいる。    そして、その向こう側に愛しい人が、微笑んで手を振っているのが見えた。  左目をキュッとつむった懐かしい笑顔。  勇気は両腕をひろげて、その人の名を呼んだ。 おわり  
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加