ナンジャモンジャの木の下で

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 三角屋根の兵舎の窓の外から、ようやく傾きかけた夏の日差しが、半地下の部屋の壁を橙色に染め始めていた。   鳴り止まない蝉の声を掻き消すように、上官の圧のかかった声が兵舎に響く。  「これから名を呼ばれたものは前へ! 第1軍隊、稲辺昭雄 上飛曹(いなべあきお じょうひそう)」  「はっ!」  「第2軍隊、佐藤宝 中尉(さとうたから ちゅうい)」  「はっ!」  「第3軍隊、小岩井勇気 少尉(こいわいゆうき しょうい)」  「はっ!」    寝起きするだけの殺風景な団体部屋に、薄暗い灯りを落とす豆球。ピンと張り詰めた空気の中、威勢よく返事をする3名が2列に並んだ隊員の列から離れていく。  眉間をきつく寄せた上官が、彼らから寸分も目を逸らさずに告げる。    「明朝0630(まるろくさんまる)を期して出撃。九州の南西側から侵略してくる米艦隊にむけて、特攻攻撃を敢行する」    張り詰めた空気が、微かに動揺に揺れる。  名を呼ばれた3名は覚悟を決めているのか、ただ一点を見つめ、そのあとに続く上官の言葉を黙って待つ。  「貴様ら! 如何なることがあっても操縦桿を離すな。みな心を一つに、敵艦の懐に突撃せよ!」  「はっ!!」    彼らは呼吸を合わせ、上官に硬く敬礼する。  あぁ、遂にこの時が来てしまったのか。いつか来るものとわかってはいた。その日のために、今日までどれほど血ヘドを吐いて、特攻訓練をしてきたことか。  けれども、いざ出撃命令が下ると我が国の特攻作戦は本当に行われるものなのだと、今さらながら実感する。  太平洋戦争末期。劣勢の中もがき続け、もうこの国の万策は尽きた。初めから物的戦闘力に勝る米国に、この国が勝てるわけなどなかったのだ。  勇気は、ふるえる拳をギュッと握りしめた。  そして彼は、まだ一つも覚悟ができていなかった己の弱さを思い知る。  
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