1.憧れとお節介

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「厨房に新しい人が来たでしょう。その子が作ったのかしら、この醤油」  灯は鯵を飲み込み、醤油に少しだけ浮いた魚の脂をまた箸でつつく。 「豊作が新人を出しゃばらせるにはまだ早い気がするが。初日だろう?」 「そうね。ねえ、鼎さん、なにか聞いている?」  部屋の隅に控えていた鼎に、母が尋ねた。 「いえ。存じあげません。呼んできましょうか」  鼎はすっと部屋を出て行こうとする。 「いや、いい、いい。不味いならともかく、美味いのだから」  父は食事にはうるさいが、注文がある場合は料理の前に言う。豊作さんは注文通りに作ると信じているから、想像していた味と違っても、滅多に文句をいうことはない。 「今度の土曜日いらっしゃるのも薩摩の方じゃなかった?」  尋ねて、母がニンジンの浅漬けをシャクシャクと噛みしめる。 「ああ、薩摩の御仁がひとりと、帝都育ちが三人だ。みんな唄自慢だから三味線のお師匠も呼ぶよ」  父が猪口を軽くあげると鼎がすっと酒を注ぎに来る。宴会の件は灯には好都合だった。賑やかであればあるほどいい。 「鹿介も呼びますか」  母が兄の名前を出した。  兄は帝都大学でずっと自然科学の研究をしている。今の専門は生物学だが、地質学や気象学などにも興味がある。  この春からは教授の研究室で寝泊まりすることも増えた。  ずっと書物と首っ引きだが、たまに詩吟も唄う。 「そうだな。鹿介が来られるなら場も和む。自然科学の最先端の話を聞くのも一興だしな」  まだ子供扱いの灯はお座敷に呼ばれることはあまり無いが、愛想がよくて話し上手の兄はよく宴席でも活躍する。 「じゃあ、研究室に電報を打ちますよ」  母が軽く手をあげて鼎を呼び、お茶を注ぎ足してもらいながら言った。
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