1.憧れとお節介

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「まったくもう」  母・秋乃が苦笑いをし、窓の外ではまた皐月の風が笹の葉をさらさらと心地よく揺らした。 「修一郎(しゅういちろう)も正座が苦手なんですよ。体が固くて」  紫倉夫人が菓子鉢から箸でお饅頭を秋乃の懐紙に載せた。  紫倉夫人の口から出た名を聞いて、灯はわずかに動きを止めた。  秋乃はそっと懐紙を畳に置く。 「先日お見掛けしましたよ。無事にお勤め先が決まってよかったですね」 「ええ。河野様のおかげですわ。逓信省も河野様の推薦ならと。去年までは学問の道に進みたいなんて言っていましたけど、今はほとんど家にいないくらい、仕事に打ち込んでいますよ」  紫倉夫人はいつの間にか、何事もなく茶を立てている。  紫倉修一郎はこの家の長男だ。  灯の二つ年上の十八歳。学問に優れ、性格も穏やかな修一郎は、五年前までは灯の許嫁だった。  だが、修一郎の父が起こした会社が倒産しかけ、一時期は没落の危機に陥っていたため、親同士で話し合い破談となった。  破談になるまでは、灯と修一郎は何度か大人たちを交えて遊んだり、食事をしたりといった機会があった。  今でもたまに手紙のやりとりはするが、最近はいざ顔を合わせると灯は修一郎と何を話していいかわからず困ってしまう。  今日は家にいないらしい、と知って灯はほっとする反面、ひょっこりと顔を覗かせることがないと分かってなんだか残念に思うのだった。
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