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スミが見兼ねて帳面の表紙を閉じる。
「結婚の話はもうやめて。お父様も乗り気ではないと言ってくれたし、牢獄のなかみたいな気分になるんだもの。おスミさんはもう下がって大丈夫よ。着物は自分で仕舞います」
スミを下がらせると、灯は引出しから豆菓子の包みをだして、ひとつ口に含んだ。
先日、藤の花を見るために、亀戸天神まで足を伸ばした母の手土産で、砂糖の衣を纏ったサクサクとした豆菓子が、藤色の小さなきんちゃく袋に入っているのである。
ちまちまと盛り付けられた懐石料理で、お腹は膨れたものの、何だか食べた気がしなかったのだ。
今後の『秘密計画』に向けて、滋養をつけておこうと、灯はひとり微笑みながら、もうひとつ豆を口に入れる。
家族には内緒で、果たしてうまく行くだろうか。灯の胸には、なんとも言えない高揚感がじわじわと湧いてきた。
夕食は屋敷の中でも広く、庭に面した洋間に家族が集まって取る。
父や秋乃が社交で出掛けている日もあるが、今夜は祖母を含めて四人が揃った。
仕事の時は洋装の父も、今は着物に着替えている。
やや丸顔の若作りで、八の字に切りそろえた豊かな口ひげが無ければ、学生とも見間違えられていただろう。
いかり肩でがっしりとした体型だが、五十路を前にやや下腹が出てきた。
料理は金属製のワゴンに載せて厨房から運ぶスタイルで、父、祖母、母、そして灯の順に料理が並べられる。
灯の好きな筍は、椎茸と一緒に煮物になって供された。
華やかな絵柄の小鉢に盛られて、鰹出汁のいい香りが鼻をくすぐる。
庭はもうかなり暗くなっており、窓の外はもう花の盛りを終えたツツジの茂みが黒い影を作っている。
各々の部屋は電燈とランプを併せて使っているが、この洋間は優美なガラスのシャンデリアの電燈が室内を照らしていた。
女中頭の鼎がみんなの飲み物を注ぎ終わるのを合図に、食事が始まる。
「いただきます」
全員が箸を持ち、揃って手を合わせる。
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