終わりまで

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終わりまで

 桜色と空色の夫婦茶碗は忘れ去られたまま、時が過ぎる。  次第に食器棚の奥へと押しやられ、前方に収納された食器類が頻繁に取り出されるのを、うらめしげに眺め続ける毎日だ。時の流れも曖昧な日々が続く。無聊を慰める術もなく、ただ微かに届く物音や会話だけを楽しみに過ごす。  室内の景色はわからないものの、音は時の経過を教えてくれる。娘の舌足らずな喋り声が次第に達者になり、幼児言葉のお喋りは教科書の朗読や九九の暗唱へと変わる。素直だったその言動がやがて反抗的になり、夫婦喧嘩も増えた。  何年過ぎたかわからない。今日は静かだなと思ったある日。妻が食器棚の前にやって来て、じっと奥を覗き込み、疲れ果てた様子で私を取り出した。  彼女は赤切れの痛々しい手のひらで私を撫でる。ずっと前、この手に初めて包まれた時、彼女の指は白く細く滑らかで、爪には上品な色を乗せていた。しかし今やそれは過去のものとなり、私に触れるのは働き者の母の手だ。  彼女はしばし思案して、空色の茶碗も取り出した。半ば埃を被っていた私と空色の相棒は、久方ぶりに洗剤を浴びて身綺麗になる。少しして玄関扉の開閉音が鳴り、ぶっきらぼうな「ただいま」がぼそりと飛んできた。つんと澄ました「お帰り」が迎え撃ち、その声を発した妻は炊き立ての白米を桜色と空色の上に盛りつけた。食卓は一汁三菜の健康的な和食であり、魚の焼き色も野菜の切り口も理想的。新婚の頃とは比べ物にならない。  しかし夫婦間に流れる空気は決して好ましい変化を遂げてはいなかった。かちゃかちゃと、箸が食器に触れる音ばかりがリビングに反響する。空色の茶碗から白米がほぼ消え去った頃合いで、妻が言った。 「おかわりは?」 「少し」  どこか気まずそうな声音だ。艶やかな白米が空色の上にこんもりと山を作る。妻から手渡された茶碗を見つめ、夫は言った。 「ユズが上京してから初めての夕食だけど、夫婦二人きりで過ごすのは何だか気恥ずかしいものだな」 「二人でゆっくり話すのは、もう何年振りかのことだから」 「初心を思い出すために、結婚祝いの夫婦茶碗を?」 「あ、これのことはちゃんと覚えていたのね」 「当たり前だろ。まだ記憶は確かだよ」 「どうかしらね。この前なんか、眼鏡を探しながらおでこに眼鏡くっつけていたし」 「あの日は疲れていたんだよ」  妻が笑い、夫も笑う。三人暮らしから二人暮らしになった夫婦は再び、夫婦茶碗を毎食使うようになった。  上京した娘は、毎年年末になると帰って来る。最初の数年は楽し気に、通っている大学の話をした。何年目かには、社会へ出ることの苦しさを吐露し、さらにしばらくすると幼さの消えた頬に芯の強い笑みを浮かべるようになった。  ある年、まだ残暑が厳しい晩夏の夕に、娘は若い男性を伴い帰って来た。私たち夫婦茶碗は食器棚の最前列から様子を窺った。 「娘さんと結婚させてください」  上擦った青年の声がした。  それからしばらくして、一人娘が結婚式を挙げた。式の折、娘から贈られたというペアのマグカップが、私たちの隣にやって来た。夫婦は娘夫婦からの贈り物をたいそう気に入ったようで、私たちの定位置が食器棚の奥へと少しだけずれた。新入りマグカップはシックな色合いのペアであり、上質だがどこか控えめな印象がある。私は彼らを温かく受け入れることにした。  さて、結婚後、娘の帰省時期は毎年末。大晦日の数日前に、彼女と夫、そしてある年からは双子の男の子が一緒にやって来て、家中を賑やかすようになる。娘の一家は年が明ける前に慌ただしく去って行く。 「ユズが独り身の時は、三が日までずっと一緒にいてくれたのになぁ」 「仕方ないでしょ。あちらのお家にもご挨拶しないとね」  明るく返した妻だが、その声には、立派に自立した娘に対する誇らしさの内側に確かな寂寞を秘めていた。  夫婦茶碗は毎日食卓の上で夫婦を見守った。  元々大食いな(たち)ではないものの、年を取るにつれて妻の食は細くなる。しゃもじから下りて来る白米の量が減り、おかずの彩も少なくなった。 夫は家事が苦手で、皿洗いをすれば米粒が食器に残る。私を洗うのはもっぱら妻の仕事だ。彼女は茶色い染みの目立ち始めた手のひらで、毎日毎日スポンジを握った。  疲れた様子はあったものの、重病の気配はなく健康だった。  その妻がある日、突然消えた。  新婚の頃、彼女が消えたのは里帰り出産のためだった。しかし、人生も終盤に差し掛かったこの時期に、旅行でもなく突然姿を消すなど、好ましい事態ではないことは明白だった。  妻が不在の間、夫は一人で慣れない家事をこなそうと努力していたが、やがて気力を失ったように自炊をやめてしまった。そうしてしばらく経った後、夫も家から姿を消した。  桜色と空色の夫婦茶碗は静寂の中、時が過ぎるのをひたすら待つ。  忘れ去られたようにただひっそりと過ごすのは慣れたことだった。しかしこの時は、過去のどのような孤独とも異なる、言い知れぬ不安が家中を満たすようだった。  凍り付いた時の中、これまでのことが思い出される。  私の最初の記憶。配送業者の車に揺られ、べりり、と段ボールからガムテープを剥がす音がした。初めて触れた彼女の指先は若く滑らかで、透き通った瞳は未来への希望に輝いていた。  やがて娘が生まれ、世界の中心が切り替わり、インテリアも食卓も時間の流れ方すら変化した。その度に夫婦は共に悩み、(あやま)ち、乗り越えて、一人娘を立派に育て上げた。  仲睦まじい夫婦の日常は、幸福に満ちていた。もちろん、日々の全てが優しいだけではなかったが、不機嫌も怒りも失望すらも、今となれば全てが宝石のような思い出の一つであり、長い夫婦生活の煌めきであると感じられた。  晩年、年老いて一回り小さくなった夫婦だが、皺だらけになっても妻の手のひらは働き者で、脂肪がついても夫の手のひらは不器用だった。  夫婦の全てを見守ってきた。だがそれももう、終わりを迎えようとしている。  その日、久方ぶりに部屋の空気が揺れた。娘が一人きり、実家に帰って来たようだ。  悄然とした面持ちで、思い出を噛み締めるように壁を撫でてたり戸を開いたりする。その様子から、私は全てを察した。  やがて娘は食器棚の前で立ち止まり、ガラス越しにじっと中身を見つめた。父とそっくりな二重が、ペアのマグカップに注がれる。それからゆっくりと瞳が揺れて、桜色と空色の夫婦茶碗を映した。娘が小さく息を吞む。何かに導かれたような動作でガラス戸を開けて、若かりし頃の母とそっくりな滑らかな手のひらで私を包み込んだ。 「お父さんとお母さんが天国へ行ったの。仲良く、ほとんど同じ日に」  それでは、残されたどちらかが悲しみに暮れる間もなかったことだろう。なんだかんだと仲睦まじかった二人らしい最期だと思う。幸福な、終焉だ。  何ら特別なことのないありふれた日々だったが、私は二人を見届けた。私にとって、二人の毎日は世界を構成する全てであった。しかしそれも、もう終わる。そのことを理解した時、自我が急速に薄れていくのを感じた。  私は夫婦茶碗の片割れだ。人は、本来ならばこのようなモノに、精神など宿るはずがないと言うだろう。だがそれは人の思い込みであり、確かに私は意思を持っていた。  私も人間と同じように、自らは何者だったのだろうかと壮大な問いを抱く。死を間際にして自らの存在意義を疑問に思うのはままあることだ。  私は何者だったのか。答えは出ないのだが、一つだけ確かなことがある。私は、なすべき役目を終えたのだ。  まるで使命のように、夫婦の始まりから終わりを見届けて、やがて精神の沈黙へと還っていく。  どうか忘れないで欲しい。何気ない日々の頑張りを、人生の一章を、見守るモノがそこにいる。何の変哲もない一人一人の人生は、私たちモノにとっては特別な輝きなのだ。 「じいじとばあばのお茶碗だよ。割らないように、大切にね……」  柔らかな声がする。断片的な意識の中で、しっとりとした声を聞く。  私はこれからも、この家族の元で茶碗として暮らすのだ。見守るべき二人がいなくなり、ただの無機物となり果てた後も、ずっとずっと。 <完>
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