始まりから

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始まりから

 モノには精神が宿る。たとえ、言葉を発することができなくとも。  付喪神と呼ばれるソレは一般に、長い年月を経た骨董品に宿ると考えられている。しかし時には、真新しいモノにも意識が芽生えることがあるらしい……。 「わあ、素敵なお茶碗!」  暗闇の中、運送業者の手により上下左右に揺られるだけであった私の世界は、べりり、という開封音と共に一瞬にして色づいた。  曇りのない新品の電球から発せられる白光が、真新しい白い壁紙を照らし出している。その真ん中に、若い女性の顔が浮かび上がった。彼女は肌荒れ一つない手のひらで私を包み込み、持ち上げる。  きらきらと輝く彼女の瞳には、桜色の茶碗が映っている。それが私の姿である。 「こんなに良いものを貰ったんだから、米食べないとなぁ」  彼女の隣から男性の声がした。彼は、先ほどまで私が入っていた箱の中から空色の茶碗を取り出して、目を細めて色んな角度から眺めている。  私は夫婦(めおと)茶碗の片割れだ。どうやら、この新婚夫婦の家に贈られて来たらしい。言葉を発することができないので、私の相棒にあたる空色の茶碗が何を思っているのか、知ることはない。  さて、私の出番である食事時。  新婚の食卓に並ぶ料理は色鮮やかだ。若妻は時々、珍料理を生み出したり魚を黒焦げにしたりするのだが、夫は何があっても笑い飛ばすような大らかな人物だった。  二人は日々、穏やかに愛を育んだ。仲はすこぶる良い。  そのせいか、時々、食後に私の上に白米の残り粒を付けたまま愛を囁き合って、気づけば食卓から消えて翌朝になる。そんな時、私の全身はかぴかぴになり良い心地はしないのだが、二人の幸せそうな顔を見れば、許してやろうという気分になるものだ。  そんなある日、私の定位置である食器棚の正面に、大きな白い花束が飾られた。どうやら二人は、結婚式を挙げたらしい。夫婦は輝くような笑顔を浮かべ、肩を寄せ合いそれを眺めている。今宵もきっと、私はかぴかぴになる。  それから時が過ぎ、突然私の出番が激減した。食事の度、空色の彼と同時に食卓に並んでいたはずの私は、まるで忘れ去られたように独りきり食器棚に取り残されるようになったのだ。空色の彼に、何が起こっているのか聞けたら良いのだが、あいにく伝え合う言葉を持たない。事情を知るのは、数ヶ月後、妻が久しぶりに私の上に少量の白米をのせてくれた晩である。 「久しぶりのお米って美味しいね」 「もう食べても大丈夫そう? 悪阻(つわり)のことは良くわからないから、我慢しないで何でも言って……」  妻のお腹はふっくらと丸みを帯びていた。  何か月か経ち、突然妻が消えた。夫は一人きり、妙にそわそわした様子で日常を過ごし、何日かしてから大慌てで家を飛び出した。その後数日経っても二人は帰って来ない。まさか私たちは捨てられてしまったのだろうか。不安になった頃、やっと玄関扉が開き、ふわりと明るい気配が家中を満たした。 「ほらユズちゃん。ここがお家だよ……」  二人は三人になって帰って来たのだ。    その日から、家の中は途端に賑やかになった。昼夜を問わず、赤ん坊の泣き声が響く。お米を炊く気力が無くなったのか、食卓に並ぶのはもっぱらパスタやパンとなった。自ずと、私たちは再び棚の飾りと化す。  食器棚のガラス越しに眺めるリビングは、以前よりもずっと雑然としている。モノトーンで統一されていたはずのシックな室内は、気づけばパステルカラーやキャラクター物に蹂躙されて、愛らしい雰囲気を醸し出している。 それもこれも全て、三人目の家族である幼い女の子の影響だ。  娘はすくすくと成長し、一歳になる頃には私たち夫婦茶碗も次第に食卓に出されるようになっていた。娘が乳離れして、離乳食の完了期に入った頃には茶碗の出番は元通りの頻度になる。間近で家族の様子を見守ることができ、私は充足感に満たされた。けれど、そんな日々は長くは続かなかった。 「ユズちゃん!」  突然響いた硬質な物体の落下音。それと折り重なるようにして、妻の悲鳴が空気を切り裂いた。 「大丈夫? 怪我はない?」  切羽詰まった声とは対照的に、娘はきょとんとした顔をしている。  どうやら食事中、娘が腕を振り回した拍子に空色の茶碗を弾き、床に落としてしまったようである。  何が起こったかわからない様子の娘だが、母の剣幕に不安を覚えたらしく、次第に顔を歪ませて、とうとう大きな泣き声を上げた。どうやら心理的衝撃から涙を流しているだけで、外傷はないようだ。「良かった」と呟き娘をあやす妻の横で、夫も同じように安堵の息を吐く。それから、床に転がった茶碗を拾い上げる。空色の身体には白い雲のように亀裂が走っていた。   事件からしばらくして、夫婦はプラスチック製の食器を買い揃え、私たちは再び棚の飾りになってしまった。
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