109人が本棚に入れています
本棚に追加
「もう、いいんだよ、怪我しても。」
「何、何言ってるの、」
「もう、嫌なんだよねえ。」
「何?嫌なことって。
だって、留学して、プロデビューして、嫌も何も・・・。
あっ、耳のこと?
大丈夫よ、自分の音だけでしょ?
それに、治るでしょ。
ああ、焦ってるの?珍しい、弱気?
大丈夫よ、治るよ。」
思わず律の左腕を摩っていた。
律は私の摩る手を、そっと外し、そのまま握った。
そして、ぐっと、少し引き寄せ、私を見下ろした。
駅へ向かう人、駅から出てきた人が、私達を邪魔そうに一瞥して避けて通るけど、それを気にすることができない。
私は咄嗟に俯いた。
日陰でも、まとわりつく真夏の熱のせいか、妙に息苦し。
「ドイツのコンクール前に、東京シンフォニーとやることは決まっていた。日本での本格的なデビューになるからって、スポンサーも付いた。
マネジメントしてる人、母の知り合いでね、やり手で、結構なスポンサーを見つけてきたよ。
で、その人も、スポンサーも、言うんだ。
是非、コンクールでは一位を、って。一位と二位じゃ、チケットの売り上げ違うからって。
あはは、言ってくれるよね。」
握っている手のひらは、どちらのかわからない汗で湿ってきたけど、
どうでもいい。
突然の律の話に、私は混乱している。
何を言うべき?
どう声をかけたら正解?
「やだなあ、音葉、黙っちゃって。
あれ?困らせた?
音葉、本当に、真面目だね。」
そう言って、律は手を離し、
ごめんね、ここでいいよ、と言って、私をそこに残して、行ってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!