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前日練習の最後、武内さん、律、私から明日に向けて一言ずつ、となった。
武内さんは、
「音楽は、音を楽しむ、と書きます。ありきたりですが、明日は、ステージを楽しむ、曲を楽しむ、そして、みんなで作る合奏を楽しんで下さい。」
「「「「はい!」」」」
生徒達の既に緊張した返事を聞き、武内さんは、緊張で楽しむ余裕ないかも知れないけどね、と軽くわざと、戯けて揶揄うように笑った。
次に律が、みんなの前に立った。
「この、一か月、ここでみんなの音に囲まれ、話をして、楽しかった。
僕は、小さい頃からピアノのだけで、部活の経験ないんだよ。もし、僕にもこんな経験あったら今とは違っていたかな。
さっき武内さんが言った、音楽を楽しむ、ということ、僕にはわからないんだよね。
僕は、今までステージに立ちピアノを弾くことに、緊張も、楽しいという気持ちも持ったことがない。
だから、明日教えて欲しいんだ。音楽が楽しいものだと言うこと。」
予想外の律の告白に、生徒達は鎮まりかえってしまった。
明日、本番なのに、そんなことを・・・、という気持ちで、その後、私は、この状況を切り上げるための言葉と、ありきたりな話だけを並べ、生徒達を帰宅させた。
武内さんは、律に、ただ、大学の本間先生が顔出すように言っていた、とだけ伝えた。
私には、
「明日、是非、音葉ちゃん自身、楽しんで。」
と、帰っていった。
私は、このひと月で習慣付いてしまって、いつものように律を送る。
二人とも無言で歩く。
「音葉、少し、話しない?」
無言の意味に気づいてか、律が、そう誘い、あの洋食屋に入った。
「さっきはごめん。生徒達にあんな自分のこと話して。明日本番なのに混乱させた。」
二人の雰囲気で、女将さんはいつものように揶揄ったりせず、アイスコーヒーを持って来てすぐ奥に行ってしまった。
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