傍に居るためならなんだってしよう

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傍に居るためならなんだってしよう

 昼下がりの執務室で、サプフィールは決裁書類を目の前に思案に暮れていた。昨夜のスピネルの言葉通り、彼をここに呼ぶよう指示を出している。ある程度の予想はしていたが、執事には猛反対された。どうやら、朝食の時にまたやらかしたらしい。何を考えているんだ。そう呟いてサプフィールは深い溜め息を漏らす。 「ご主人様、よろしいですか?」 ノックの後に執事が声をかけてきた。スピネルを連れてきたのだろう。サプフィールは書類を適当に片付け仮面を身に付けると、入れ、と答えた。 「…お連れしました。」 執事は苦虫を噛み潰したような顔をしている。本当に何をしでかしてくれたんだ。サプフィールは気付かれないように、小さく溜息を漏らす。 「ああ。下がっていいぞ。」 「ご主人様、しかし…!」 「下がっていい。いや、下がれ。」 自分を心配してのことなのだろうが、とは思う。だが、スピネルは二人で決めると言っていた。それを反故にしたら、…多分。いや、きっとスピネルはここから居なくなってしまうに違いない。サプフィールは、執事へのフォローをどうするか考えながら退出を迫った。  命令されれば従わないわけにはいかず、渋々といった表情で執事は退出していった。 「はは、怖えな。睨んでったぜぇ。」 へらへらと笑いながらスピネルは執事の消えていったドアを見ていた。 「…気楽なことだな。」 「ま、昨日の今日でオレの態度が変わったら警戒されるだろうからな。」 「ああ… それもそうか。…いや、それにしたって… 今後のことを考えると頭が痛いのだが。」 執事には何かと協力してもらう機会が多くなるだろうに、あれほど嫌われてしまっては。サプフィールは頭を抱える。ま、どうにかなるだろ。と、こちらが気を揉んでいるのが馬鹿らしくなるほど軽く言う様に、本当に一緒に居たいと思っているのだろうか、とサプフィールは腹立たしく感じる。 「とりあえず、誰もいないことだしその仮面外せばいいんじゃねえかな。」 いつの間にか執務机の向かい側に立っていたスピネルがサプフィールの仮面に触れた。 「ん? ああ。」 拒否する理由も無く、サプフィールは仮面を外す。 「で、どうするつもりなんだ?」 何か考えがあってこの状況にしたのだろうと、サプフィールはスピネルの言葉を待つ。 「オレな、あの戦争中に銀狼って呼ばれてたんだが、知ってるか?」 「銀狼? ああ、当然知っている。五英雄の一人じゃないか。お前だったのか。」 急に何を言い出すのか、と思いつつ幼子だろうと知っているだろうその名を、今スピネルの口から聞くとは思わずサプフィールは意表を突かれた形になった。  『銀狼』と呼ばれる傭兵がいる。と、戦争も終盤に入る頃、人口に膾炙された存在があった。彼が剣一振りで敵陣に切り込むとそこに道が出来るのだと言う。遠巻きに見れば踊るように敵を薙ぎ払い、近くで見ればまるで狼が食い千切るように敵を倒すその様を以て、銀狼と呼ぶのだ。そう、まことしやかに噂された。  一時、前線を離れたこともあったと言うが、その時期は軍が劣勢になっていたとも言われている。前線を離れていた時期とは、そう。利き腕を失った時期であるが世間にはそれは知られていない。  そうしてその功績から、勝利と終戦を導いた五英雄の一人に数えられている。五英雄は戯曲や小説、童話などのモデルにされていることもあり知らぬ者などいないと言ってもいい存在だった。彼らは一人一人が常人では成しえないだろう戦果を挙げていたこともあり、それぞれ領地やそれなりの地位を与えられたと伝えられていた。 「たった五人の存在が、こうも戦況に影響するものかと当時は不思議に思っていたのだが。」 ふと、昨夜みたスピネルの身体つきを思い出す。確かに、あんなに鍛えてあるなら(あなが)ち噂だけだと否定できるものではないのかもしれない。 「まあ、噂には尾鰭やら着くがな。銀狼ってのは、今でもそこそこ箔が付くんだぜぇ。」 「それはそうだろうな。先の戦争での功労者と聞いている。そうか、お前の髪の色… それで”銀”狼か。」 この銀色の髪が踊るように戦場を舞うのか。と、サプフィールは想像してみる。その足元には屍が並んでいるだろうに、故に不謹慎だと思いながらも、その様を一度見てみたかった。そう思う。 「オレを雇え。」 「は?」 いきなりの話しにサプフィールは間の抜けた声で聞き返していた。銀狼の話から何故、スピネルを雇うことになるのか。 「オレを、護衛でもなんでもいいから、雇え。銀狼の名を出せば、大抵の奴は納得する。あの執事は反対するだろうが… 兵士長だとかが納得すりゃ黙るだろ。」 「そういうものか…?」 そう言えば、常備軍には何名かあの戦争に参加した者たちがいたな、とサプフィールは思い巡らせる。確かに、彼らのような者には銀狼の名は影響力はありそうではある。 「まあ、執事にはその方がいいかもしれない、けど… それでも納得するかは…」 あれほど毛嫌いしている相手を雇うと言ったら、下手をしたら彼が辞めると言い出しそうだ。とサプフィールは思う。 「なら、一ヶ月とかの期間限定でもいい。一ヶ月の間に成果を出してやるからよ。」 「随分と自身有り気だが…」 大丈夫なのか? とサプフィールの目が言っている。 「信用ねぇな。ま、今みたいな平常時でどう結果出すのかって話でもあるが。要は訓練で他の兵士たちに引けを取らないところと、まあ、生活態度が改まったところさえ見せれば納得はするだろう。どっちも大した問題じゃないしな。」 ああそうか。自堕落な生活はわざとしていたようなもので、本来のスピネルは真っ当なんだった。十年前の姿を思い出しながら、妙な説得力にサプフィールはスピネルの案に納得しかかる。 「でも…」 「なんだよ。他になんか問題でもあんのか?」 「護衛も全て常備軍に編成されているんだ。常備軍の兵士から優秀なものを護衛として配置している。…だから、兵舎での生活になるんだ。」 「まあ、そうだろうな。」 サプフィールの言葉に、スピネルはさらりと同意する。自分の伝えたいことが全く伝わっていない、そう感じたサプフィールの頭にかっと血が昇る。思わず彼は叫んでいた。 「兵舎は! 本館から離れてるんだ。それに、十年前からの知り合いだったってことを、公表しないんだろ? そうしたら一緒に居れなくなるじゃないか!」 「…。はは、そんなにオレと一緒が良いのか。」 スピネルは笑いながらサプフィールの頭を撫でる。 「こ、子ども扱いするな!」 「なあ、今までの十年に比べたらよ。本館と兵舎なんて距離は無いようなモンだぜ? だってそうだろ? お互いがどこに居るのか、どうしているのかがすぐに分かるんだ。」 「そうだけど、でも…!」 「しょうがねぇなぁ。それなら、夜、バルコニーのドアを開けといてくれ。そうしたら、アンタの部屋に遊びに行くからよ。どうせ昼間はアンタも仕事があるだろ?」 そう言うスピネルの顔が少し嬉しそうに見えるのは、気のせいなのだろうか。と、半ば頭に血が昇ったままのサプフィールはぼんやりと考える。 「確かに、仕事はある、けど。」 「な、とりあえずお試し期間だけでもな? なるべく早く、執事たちの評価をひっくり返してやるからよ。」 実際問題、スピネルの案以上に自然な代案はサプフィールには無かった。職権乱用でスピネルを傍に置いたら、きっとこのピオッジャ領は駄目になる。という事も、サプフィールには理解できた。理解したくはなかったけれど。 「あぁそれと、オレが実はアンタと知り合いだったってのは、言わない方がいいだろうな。色々面倒なことになるだろうし。」 「…分かった。」 昨夜といい、結局スピネルに押し切られた。とサプフィールは頬を膨らませるのだった。
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