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初恋が実らないと言うのなら、力尽くで実らせるまでだ
叔父の部屋に突撃してから後は、早かった。叔父も認めたことだし、外堀は完全に埋まったと判断したサプフィールは、スピネルに計画を全て話した。その時のスピネルの顔と言ったら。鳩が豆鉄砲を食ったような顔、と言う表現を聞いたことがあるが、それはこのスピネルの表情を言うのだろう。少しばかり、愉快な気分になった。いつも余裕のあるスピネルが自分よりも遥かに大人に見えて悔しいと思っていた、それが少し融けたようだった。
「領主辞めるって、何言ってんだ、アンタ…!」
漸くサプフィールの言葉を理解したらしいスピネルが、動揺を隠そうともせず問い詰めてくる。
「言ってなかったかもしれんが、おれはフィルマメント領主の息子だ。ここは父方の叔父の領地でな、正統な後継者は従兄弟のルフトだ。」
なんにせよ納得して自分に付いて来て欲しいと考えているサプフィールは、一から説明することにした。
「…あー、ルフトってあれか、あのぽやっとした…」
スピネルはサプフィールの言葉を反芻しながら、彼の従兄弟の顔を思い浮かべる。頼りないヤツだなあ、と思ったくらいで特に関わることもない相手だったこともあり印象は薄めだ。
「フィルマメント領は先の戦で壊滅したこともあって、叔父は優しすぎる自分の息子ではなく、おれを後継者にしたんだ。」
故郷に思い入れが無かったわけではない。むしろ復興したいとは思っていた。ただ、ずっとスピネルのことが忘れられず、もう一度会えるとしたらこのピオッジャ領に居る方が良いのではないかと判断した。だから後継者指名も受け入れた。が、サプフィールはこのことについてスピネルに話すつもりは無かった。何もかも詳らかにする必要はないと思っている。スピネルを追い込むような内容ならなおさら。
「最近の報告で、フィルマメント領に領民が戻りつつあるとあった。それなら、おれは領地に戻りたい。両親も弔いたいし… 生まれた地を復興したい。」
これも本音だ。一番はスピネルと気兼ねなく一緒に居たい訳だが。
「そうか… アンタの物を放棄する訳じゃないんだな?」
「どちらかと言うと取り戻しに行く、と言った方が正しい。」
「そうか、なら良いか。勿論、オレも連れていくよな?」
「当たり前だ、ばか。」
「だよなあ!」
さっきまでの緊張感が切れ、いつものようにスピネルが笑う。その顔に、サプフィールはほっと一息ついた。少し、緊張していた。説得に失敗したら、という不安がようやく消えたとサプフィールも笑う。
「なあ、お前はなんでおれが何かを放棄するのを嫌がるんだ?」
じゃれ合いながら、ふと、サプフィールは今までの違和感を口にする。
「大事なものが無くなるのはしんどいだろうが。オレは、アンタがしんどい思いをするのは嫌だからなぁ。」
優しく微笑んでそう言うスピネルに、サプフィールの胸は痛んだ。大事なものを無くして深く傷ついたからこその、その言葉だと言うのなら。
そんなに大事なものが何だったのかなんて野暮なことは聞くつもりはないけれど。だけど、そんな悲しい微笑みは見たくない。
「…おれが無くしてしんどいのは、お前だけなんだからな、覚えとけ。」
「…! そうかよ、じゃあ心配ねぇなあ。」
嬉しそうに、それはそれは嬉しそうに笑うスピネルに、サプフィールの胸は熱くなる。これで良かったんだ、そう確信する。元々領主の座に執着は無かったのだから、こうしてスピネルと一緒に居ることが出来るようにして正解だったのだ。
彼のために。自分のために。
スピネルを説得して次の日には叔父の立会いの下、ルフトやレオを始めとして使用人たちにも代替わりについて告知する。秘密裏に準備を進めていたとはいえ、様々なことを引き継ぎ領地経営に影響が出ないようにすることを考えると一か月は短かったかもしれない、とサプフィールはこっそり思う。
「まあ、どうにかなるだろう。」
ぽつり、と呟くと少し疲労の跡が見える叔父と視線がかち合った。慰留されても仕方がなかったかと思いつつ、スピネルと一緒にいる方が優先度が高いな、と思い直すのだった。
「ちょっと、勝ち逃げするつもり?」
離れた場所でルークの、珍しくヒステリックな声がした。視線を向けると、スピネルがルークに詰め寄られている。レオとアイザックがルークを宥めているが大変そうだ。そう言えば、手合わせを続けているが誰一人スピネルに勝てていないのだったな、とサプフィールは思い出す。
まあ、相手は護国の英雄の一人なのだし、潜り抜けた修羅場の数からして桁が違うのだから当たり前のことだとサプフィールは思うのだが、ルークにすればそう納得できるものではないらしい。それに加えてスピネルはへらへらとした調子で躱すから、余計に腹が立つのだろうなぁ、とサプフィールはルークを生暖かい目で見守った。
しばらくは訓練に時間を取られてしまうのだろうが、それも旅立つまでの一か月だと思えばサプフィールも広い心で許せるな、と思い至る。やはり一か月で良かったのだ。何か問題が起こっても、叔父は元気なのだから大丈夫だろう。
あの日、叔父に縋ったのは自分だけれど、あの別れ方だけはやっぱり納得できていない。だからこれはちょっとした意趣返しみたいなものだ。全部を丸投げにして行く訳ではないのだから、これで痛み分けということにして欲しい。言葉にするつもりはないけれど、なんとなく叔父もそう思っていそうだとサプフィールは考えていた。
「楽しみだなぁ、アンタと二人、旅に出るのは。」
「そうだな。」
そう、二人で指折り数えて一ヶ月。あっという間なのか、待ち焦がれたのか。漸く旅立ちの日がやってきた。
サプフィールの叔父一家やレオ達に見送られて、二人は館を後にした。十年前に比べて二人とも成長したけれど、それでも目的のフィルマメント領は遥かに遠い。
道のりは、十年前を巻き戻すようなルートを選んだ。サプフィールが。思い出をなぞりながら、あの日伝えられなかった感謝と好意をスピネルに伝えたいと思ったからだ。だから、馬車や馬を準備することはできたが、敢えての徒歩を選んだ。
「ああ! それなら長くアンタと二人で居られるな!」
徒歩で、と伝えた時にスピネルにそう言われて、そう言ったスピネルの楽し気にキラキラ輝く目に、サプフィールの胸が高鳴った。そうだけど、そうじゃなくて、でもやっぱり二人きりの時間は嬉しいと、サプフィールも笑顔で返した。
初恋だったんだ、と、今なら分かる。誰かが、初恋は実らないと言った。だから、もしかしたらあの日、あんな風に別れなければならなかったのかもしれない。だけど、今は。もう子供じゃないから、力尽くでこの手に。良いじゃないか、だってスピネルは楽しそうに笑っている。力尽くで実らせたって、きっと誰も困らない。おれの、この初恋を。
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