ルナーリア大陸に広がる戦禍

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ルナーリア大陸に広がる戦禍

 大地の全てを巻き込んだ戦乱が起こった。世界が壊れる、そう思われるほどの。  きっかけは些細だったのではなかっただろうか。ありふれた理由、たかが地方領主同士の侵略戦争だったか。それとも相続権の争いだったか。あるいは内紛だったかもしれない。一地方での戦争だったはずのそれが、いつしか大陸全土を巻き込んだ。もう、切っ掛けになった諍いなど思い出せないほど、戦禍は拡大してしまった。  戦が続くほどこのルナーリア大陸の土地は萎えていった。当然だ。耕す者は減り、略奪する者が増えるのだ。それに伴い、人の心まで荒み切ってしまった。人々の目からは生気が失せている。いつ命を失うか分からぬ恐怖と、終わりの見えない戦に疲れ果てたのだろう。  終わりが見えない。そうだ。いつ果てるとも知れぬそれは、次第、次第に戦禍を広げ、犠牲者を増やすばかりで、希望など抱けない。明日をも知れぬこの戦禍だけがここにある。  誰もが嘆き絶望し、やがて諦めが()ぎる。死にたい訳ではないのだけれど。けれど、この戦争を止める手段も無くて。ただ、絶望に心を折られこのまま果てるしかないのだと胸を締め付けられながら、生き延びる事だけを目標に生きることしかできなかった。  失われる命が数え切れない程ある中、それでも命が尽きてしまうこともは無く。僅かながらにも子を産み、育て、諦めと絶望に塗れながらも人々は『いつか』という言葉に縋って生きていた。  だが、無常にも戦火は広がるばかり。幾つのも命が消え、村が田畑が焼かれ、都市が蹂躙され続ける。  いずれ終わりを迎えるこの戦禍も、今はまだ収束の気配が無いまま大地を呑み込んでいる。戦禍が収まり、平和になるまであとどれほど待てばいいのか、この世の誰にも分からない。  この戦争が長引く理由は分かり切っていた。少なくとも指導者たちは理解していた。決定打を持つ者が、国が、存在しないからだ。拮抗する戦力では、誰も終止符を打てない。今さら誰も望まぬ戦いでありながら、負けを受け入れた後を思えば大人しく引き下がれるはずもない。そうなれば後は、不毛だと知りながら戦い続ける以外、道は無い。だが、その不毛さをただ甘んじている訳でもない。それぞれの勢力は、戦局を支配するべく水面下で腐心していた。 善意も悪意も、野心も慈悲も、何もかも吞み込んで、人々の思惑の外側で牙をむくかもしれない力にすら縋りながら。  このほどついに戦渦に呑まれた領地があった。その地、フィルマメント領の領主には幼い息子があった。黒髪に翠の瞳が特徴的な、利発な子だと評判の少年だった。その息子の存在が、彼を更に悩ませるのだ。 『この子まで犠牲にはしたくない』と。  彼の顔に刻まれた皺が一層深くなった頃、ついに一つの決断を下した。息子だけでも逃がそう、と。領主は息子に、まだ戦の気配の無い叔父の領地へ向かうように告げた。戦線が容赦なく領地を侵している今、いずれは篭城戦も余儀なくされるだろう、と彼が予測したからに他らない。 『…歯痒い。齢十にも満たないおれでは、戦力にもならないのか。』 その旨を言い聞かされた彼の息子・サプフィールは、その幼い胸を痛めた。父の顔に刻まれた疲労の色を拭う事も出来ない自分に、己の無力さが恨めしいと子供心に思い悩んだ。  せめて。 せめて、少しでも父の心労を減らす為に、とサプフィールは慣れ親しんだ城を離れ、叔父の元へ向かうという父の指示に従うことに同意した。  父から与えられた十分すぎる路銀と、身の回りの着替えなどの荷物とを持たされサプフィールは一人、従者に囲まれ旅立つ。父は戦場で指揮を取る為に城に残り、母はもう少しだけ父と共に残り傷付いた領民の為に出来ることをすると、息子に告げていた。  幼い息子だけを逃がすこの旅が長くなることを鑑みた領主は腕の立つ護衛を就けた。  だが。…忘れていたのだ。彼らは。 この世界の全てが疲弊してしまっていることを。少しでも楽をしたいと、危険を冒さずに生き延びたいと、そんな手段があるのなら悪魔にさえ魂を売れるのだと。こんな血生臭い世の中で誰もが心のどこかでは、考えている事を。  虎視眈々と。息を潜め、獲物が隙を見せるのを待っている。…そうだ、たとえば、今この瞬間。親の、領主の手を離れた幼子がたった一人になる。身を守る術も無いのにやたらと財産を持ち歩くような存在など、そんな輩にとっては獲物でしかない。  そんな不穏な空気に気付くことなく親子は一時の別れだと、ただ挨拶を交わすのだった。いずれは母が合流し、そうして父が迎えに行くとどこか楽観的な言葉で絞め、領主夫妻は息子の旅立ちを見送った。  サプフィールは馬車の窓から外の景色を眺める。慣れ親しんだ景色が、どんどん過ぎ去っていく。やがて領地を出、見知らぬ森に差し掛かった。 ガタン、と、不自然に馬車が揺れ、けたたましい馬の(いなな)きに何事かと思う間もなく従者に引きずり出されて初めて、その年齢に見合わないほど頭の回転の良かったサプフィールはすぐに自分達の愚かさに気付いた。 裏切りだ。と。彼は幼さには不釣合いな冷静さで辺りの様子を伺い、思う。 『二手に分かれたか。積み荷を馬車ごと奪い逃げる者と、…おれを仕留める者と、に。』  鈍色の切っ先をつき付けられ、余裕から来るのだろう裏切者の下卑た笑い顔に囲まれ… サプフィールは無様な死を、覚悟した。 静かに、瞼を閉じようとした。その時だった。 ひらり、と、銀の糸のような残像の後に、赤い花が散っていくのが視界の端を翳めた。 そしてお世辞にも褒められたものではない、断末魔の悲鳴が続く。
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