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十年分のすれ違い※注意:この回からじんわりとR15入ります※
不意に、ふわり、と頭を抱きしめられる。相手がほんの少し震えていることに、スピネルは気付く。ますます訳が分からない、とスピネルは頭を悩ませる。この行動から察するに、そういう事でいいのだろう。だが、動きが拙い。躊躇いと言うか、戸惑いと言うか、恐れのようなものさえ抱えているように感じる。
「なあ、アンタ。いいのか?」
スピネルは自分の頭を抱きしめたまま、それ以上動こうとしないサプフィールに聞いた。先に進めるのは問題ないが、後で難癖付けられるのだけはゴメンだ。
微かに頷いたのを確認したスピネルは、もういいやめんどくせえ、とサプフィールをベッドに引きずり込んだ。
『なんつうか、そもそも慣れてねぇな。経験ゼロってわけでもなさそうなんだが…』
キスをして、残った手で頬や背中を撫で、相手の反応を確認しながらスピネルは考える。ホントに訳が分かんねえな。抵抗するつもりもなさそうだが… どうしたいのかが、さっぱり見えてこない。
まあ、いいか。なすがままってんなら、好きにさせてもらうか。スピネルは、気持ちを切り替え淡々と行為を進める。昼間はやけ酒の途中で乱入されて不完全燃焼だ。美味い飯で気分が晴れるような苛立ちではない。腹の底ではまだ、苛立ちと不愉快と後悔とが渦巻いている。それを吐き出すにはある意味うってつけの行為だ。
サプフィールは、これで良かったのかと今さら後悔染みた気持ちに苛まれていた。重ねた唇は、熱はあるのに冷たかった。片腕だから、なんて理由にはならないだろう。自分に触れる手に、あの頃の優しさが無いのは。何か、他の事に気を取られているのが、なんとなく分かる。
何かを探してんのか?(何を?)
何かを忘れてぇのか?(何をだ?)
ふてぶてしいフリして、本当は泣いてんじゃねえのか?
『この、火傷…』
サプフィールは自分の頬にある火傷の痕にそっと触れてみた。あの時、出会ったあの時からコイツを信じていれば良かったのか。コイツの言うこと聞いて宿で大人しくしてりゃ良かったのか。
『どれも今さらだな。』
火傷の痕から、スピネルの肌に指先を移す。熱を帯びて、汗が滲んでいる。なのに、こんなにも遠くに感じる。
『おれも、ヤキが回ったな。こんなことで、おれたちの関係がどうにかなる訳もないのに。』
もう一度唇を噛んだ。
ふと、スピネルの体が離れた。なんだ? と言う前に、カーテンが開けられる。とっさにサプフィールはシーツで身を隠す。
「なんで隠れるんだ? 火傷かなんか気にしてんのか? 別に気にするほどのことでもねぇと思うがな。火傷も傷も見慣れたもんだぜ、伊達に傭兵やってたわけじゃねえ。」
そう言いながら、スピネルはベッドに戻る。
「…今日はもう戻る。」
シーツに身をくるんだままサプフィールはこの場から逃げ出そうとするが、
「なんだ、喋れんじゃねぇか。」
そう言いながらスピネルはサプフィールをベッドに引きずり戻す。
「なんで、こんな、」
「コトの最中に、なーにを考えてんのか気になってな。」
シーツをひん剥きながら、スピネルは言う。失礼だとかは言わないぜぇ、なんせオレは買われたんだからな。ただの好奇心だ。そう言う彼の手は止まらない。
「そんなの、お前だって…」
「あぁ? テメエからコナかけといてそりゃねぇだろうがよ。は、別に隠すほど酷くもねぇじゃねえか。」
サプフィールの体に散らばるように残る火傷の痕に、スピネルは言う。もっと酷い傷も火傷も見てきた。それだけ前線の有様は酷かった。生きてさえいりゃ、めっけもん。当時の仲間がそう言っていた。そりゃそうだ、と笑って答えた記憶がある。
生きてさえいりゃ、めっけもん。オレも、今でも、そう思う。
おれだって知ったら、そんなことも言えなくなるくせに。両腕で目元だけは隠したサプフィールは再び唇を噛んだ。まだ、覚えている。あの時、おれが大火傷を負ったと知った時の顔を。
「顔も見せな。いいじゃねえか、減るもんじゃねえ。」
単純な力だけなら、今もスピネルの方が上だ。それでも片腕しかないので力ずくでもほんの少しサプフィールの腕を動かせただけだったが。
瞬間。月の光に、サプフィールの翠の瞳が光る。すぐに目を閉じたが、その僅かの時間でもスピネルが認識するには十分だった。
翡翠のような色の瞳。
「あ? ジャー… ダ?」
弱々しい声を残して、スピネルは固まった。
月の光だけでは判別できないが、確かにこの火傷の痕は古い。随分昔のものだろうことは、スピネルにも分かった。黒い髪、そして、翡翠のような瞳。ずっと会いたかった。何ができるわけでもないだろうに、それでも。…ずっと、あの日からずっともう一度会いたいと希っていた。
「…どういうことだ?」
ようやく絞り出した声は、かすれている。他人のような声だと、スピネルはどこか人ごとのように考えていた。今までの十年が脳裏を駆け巡って、そうして、
「アンタ、オレをバカにしてんのか?」
何も答えない相手に、苛立ちが勝りつい声を荒げる。
「違う!」
ここにきてサプフィールががばりと身を起こした。初めて視線が合った、と血が上った頭でスピネルは考えていた。
「…どうしたらいいのか、分からないんだ。」
薄暗い部屋の中、スピネルの瞳に怒りが浮かんでいるのを見て取ったサプフィールは、肩を落とし言う。どうしたらいいのか、今も分からない。スピネルをバカにしようなどと思ってもいない。それは紛うことなき、本音だ。
「どうしたら、お前はおれの傍にいてくれるんだ?」
泣きたくなるのを堪えて、サプフィールは問いかけた。
「あ? 何言ってんだ、アンタ。そもそも十年前…」
オレを切り離したのはアンタら二人だったはずだ。報酬と言う名の手切れ金を一方的に送り付けて。あんなおかしな額は見たことが無い、どう考えたってもう係るなって突き付けてきたとしか思えない額だった。
「あれは! あのまま、おれと一緒に居たら、お前が倒れるんじゃないかって!」
…あんな態度が正解だとは思ってなかったけど、あの時も。力の無い声でサプフィールは続けた。
「あ、あー… ちょっと待ってくれよ。なんか色々噛み合ってねぇ気がしてきたぜ。もう今までのことはいいや。今さら十年も前のことを持ち出しても、ややこしくなるだけだからよ。」
サプフィールの言葉に居を突かれた形になったスピネルは、髪をかき乱し深呼吸のように深く息を吐いた後に、サプフィールに言った。そして続ける。
「結局、どうしたいんだ? なあ、気付いてるか? あの酒場からこっち、今ようやくオレの目を見て話したんだぜ? アンタ。」
「…無視するつもりじゃなかったんだ。なんて言ったらいいか分からなくて。お前が… 女に囲まれてるの見たら、イラっとして… つい、連れ帰った… どうしたいとか、全然考えてない。」
今思い出しても、不快だ。黒髪のキレイどころばかりで周りを固めて、へらへらと。ああそうだ、引き離したかったんだ。あの女たちから。
すねた子供のようにそっぽを向いたサプフィールに、
「お、おお… なんだ、嫉妬か? なんてな、はは…」
スピネルは軽口をたたく。このままだと、期待してしまいそうだ。十年、同じ気持ちだったと。そんな、妄想にしたって笑えねえことを。
「嫉妬…?」
サプフィールは首を傾げる。少し考え込んで、ああそうか、と呟いた。
「嫉妬、嫉妬だ。お前の隣にいるのが、おれじゃないのが気に入らなかったんだ。」
腑に落ちた、と言わんばかりにすっきりとした顔でサプフィールは言った。
「…お前は女の方がいいんだろうけどな。ジャーダのことも女だと思ってたんだよな。やっぱり、女じゃないし、…なんで、おれだって分かったんだ?」
「…いや、確かに女の子に間違えたのはオレだがよ。けど、あの時、テンペスタの医者から聞いて知ってたからな。…アイツ、なんつったと思う? 女の子じゃなくて良かったですね、だとよ。怪我に男も女も関係ねぇっつうの。」
そう言えば、帰ってきた次の日に部屋の外で何か話しているようだったな、とサプフィールは当時を思い出していた。スピネルの言う通り、確かに怪我に男も女も関係はない、無いが。女でこの火傷の痕は死にたくなるんじゃねえだろうか、とサプフィールはぼんやり考えた。ふと我に返り、
「怒ってないのか?」
とサプフィールは尋ねた。
「何を?」
「何を、って… おれ、お前に男だって言わなかっただろ。それに…」
「ああ、別に怒るほどのことじゃねえだろ。いいとこの子供ってのは会った時から分かってたしよ… そういう子供が初対面の信用できるかも分かんねえ相手に情報全部教えんのもそれはそれで心配だぜぇ。多少は警戒心あったんだなって感心したけどな。」
こいつもどっかずれてるんだよな、とスピネルの答えを聞いてサプフィールは思う。少なくとも、この件でスピネルに軽蔑されることも嫌われることもなさそうだと安堵するのだった。
「じゃあ、お前はおれが男だって分かっても一緒に居てくれたんだな。」
嬉しそうにサプフィールは呟いた。
「まあ、そうだな。」
「…やっぱり、怒ってんじゃねえのか。」
ふい、と視線を逸らしたスピネルに、サプフィールは詰め寄った。これから一緒に居れるんじゃないかと、喜んだ傍からこんな態度はあんまりだ。
「待て、頼む。」
今度はスピネルが視線を合わせないように目元を手で覆う。
「待てって、何を…」
「あのな、あんまり傭兵つうか軍に居た時代の話はしたくねえからそこは端折らせてくれ…」
言わなきゃ分からねぇんだろうな、とスピネルは溜息を吐いた後、そう言った。
「分かった。」
「最初に言っとくけど、十年前はホントに善意だったからな。」
そうして念を押すようにスピネルは言う。
「言われなくても知ってる。」
「…そうかよ。お前と別れた後、傭兵に戻ったんだけどな、ああ、その後正規軍に入ったんだけどな。…まあ色々あったんだよ。…相手にもよるけどよ、あんまり相手の性別に拘りが無くなっちまったんだよなぁ、オレ。」
バツが悪そうな顔のスピネルは溜息交じりで、言葉を濁しつつ告白する。
「…つまり?」
こいつにしては歯切れが悪いな、とサプフィールは首を傾げる。
「なあ、アンタそれわざと?」
「何がだ。」
「あ、いやいいです。…あんまり可愛い事されると困るんだよ。この状況で。」
スピネルは肩を落とす。手も出せないのに、こんな状況で生殺しもいいところだ。
「困るって…」
「…。アンタ、男とは無くても、女とはヤったことあるよな? じゃあ、わかるだろ、これで。」
スピネルはサプフィールの手を取ると、熱を持つそこに当てる。
「…。おれが可愛いってのは分からねぇが。お前はおれでこんなになるのか。」
ぞくり、と背中を這いあがっていくものがあった。もっと。触れたい、触れていたい、触れて欲しい。そう、背中を駆け上がった何かは言っているようだとサプフィールは思う。そうして手で触れたまま、スピネルに問うた。
「ソウデスネ。」
ただただ居たたまれず、スピネルは乾いた声で答える。
「お前はおれでもいいのか?」
「オレのこと虐めて楽しいか? …ああ、もうしゃあねぇな。十年、ずっとアンタのこと考えていたよ。心配していたのか、執着なのか分からなくなったのはもう何年も前だ。愛だとか恋だとか言うつもりもねえが… バカみたいだろ? 気が付くと少しでもアンタに似た影を探してるんだ。気が付くと、綺麗な黒髪のやつばっかり相手にしてるんだぜ?」
そう言われれば、あの酒場でスピネルを取り囲んでいた娼婦たちも不思議と黒髪ばかりだった。偶然では起こりえないだろう確率だ。と、そこまで考えてサプフィールは自分の頬が熱くなるのを感じた。
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