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一緒にいたいと思うのは、結局おれだけってことか
あと、どれくらいこうしていられる時間が残っているんだろうか。
もう随分と時間は経ったはずだ。と、スピネルは考える。サプフィールが隣で眠っているが、使用人たちが起きだす前に彼は部屋に戻っていないといけないだろう。
…その後は。
自業自得とは言え、昨日半日でだいぶ嫌われたはずだ。特に執事には。
『ここがオレの部屋じゃなきゃ、まだ言い訳はできたんだがなぁ…』
スピネルは小さく溜息を吐いた。まず考えるのはサプフィールのことだ。自分のことはどうにでもなると思っている。
まさか、ピオッジャの領主だったとは。そりゃあ見付からねぇワケだ。あの時の叔父さんの自己紹介をずっと信じていた。商人だとばかり思っていたから市街地を中心に探してきた。商人と領主では身分が違い過ぎる。完全に捜索の範疇外だった。
それを考えると、今ならあの叔父の態度も理解できる、とスピネルは思う。ガキの傭兵、それも身元のしれねぇフリーの傭兵なんざ、そりゃあ領主クラスの連中からしたら信用できねえよな。尤も、素性が知れねぇのは、今も同じか。
「オレは、お前が無事だったんならそれでいいんだ。」
サプフィールの頭を撫で、呟く。
「…どうすっかなぁ。」
カーテンの向こう側には、もう月の姿はない。夜明けまで、あとどれくらいだろうか。
「何を…?」
眠たそうな声に、スピネルは我に返る。
「起こしちまったか。」
「何をだ? なにをどうするって?」
不安げに自分を見上げてくるサプフィールに、ああ、さすがに黙って出てくってのはダメだな、とスピネルは思う。実際のところ、それは選択肢の一つとして考えていた。でも、こんな不安げに見上げてくるのを見てしまっては。
サプフィールを傷付けたい訳じゃない以上、筋を通せる身の処し方を考えなくてはいけない。
「明日からの身の振り方?」
「え? ずっとここに居るんじゃないのか?」
「そうは言っても、ヒモになるのはゴメンだぜぇ。アンタがジャーダじゃない、オレの知らない誰かだったらそれでも良かったけどな。」
ほんの少しおどけた調子でスピネルは答えた。そんな調子で答えたが、割と本気でそう思っている。実際、ジャーダだと思っていなかったからこそ、あんなに自由な態度でいたのだから。
「何でおれだとダメなんだ?」
「…。男として、嫌だろ。どーでもいい相手なら、迷惑かけようが何だろうがなんとも思わねえんだけどよ。それに、どっちかってなら頼られてぇだろうが。」
「ふうん? あんだけ自堕落な生活してたのにか?」
報告書にはいつも娼館か酒場に入り浸っているかケンカばかりだと記載されていた。と、スピネルをじろじろと見ていると、ふと、サプフィールは違和感を覚える。
善意の視線で以てしてもあの報告書からは自堕落な生活をしているとしか読み取れなかった。なのに、この体つきは? シーツをはぎ取って全身を眺める。この筋肉は本物だよな? サプフィールはついスピネルに馬乗りになると確かめるように彼の腹筋を触る。
「悪かったな、自堕落で。って、なんだよ、オレの腹がどうかしたか?」
馬乗りされた上に腹筋を撫でさすられるスピネルは、無邪気って邪気がねえ分厄介だよな、と辟易するのだった。
「なんでこんなに筋肉がすごいんだ? 報告だと傭兵の仕事もしないで酒浸りって… …? そう言えば、そもそも肥って見えなかったな? でも、こんなに腕も胸も腹も筋肉でバキバキとは思わなかった。おれだって鍛えてるのに… なんでお前の方が筋肉質なんだ…」
自分の腹を見て、サプフィールは肩を落とす。腹筋は見える。が、スピネルほどじゃない。
「…今さらそこに食いつくのかよ。まあ、確かに傭兵の仕事はしてなかったけどよ、ここ数年。けど鍛えてはいたんだぜぇ、何があってもいいように。」
「そうだったのか… ん? 何があっても? ケンカってことか?」
「いやまあ、ケンカはしてたけどよ、そう言うんじゃなくて… まあ、いいだろ? この話は。」
「ケンカじゃないならなんだ?」
あ、これはダメだな。答えを聞くまで食い下がるやつだな。サプフィールの目を見て思う。言いたくない話も、結局口を割らされるのか、こうやって。
惚れた弱み、ってのはこういうのを言うんだな… スピネルは溜息を吐く。
「実は戦争が終わってから、オレはアンタのこと探してたんだよな。」
視線を落とし、スピネルは一言。完全に空回っていた訳だがよ、と呟く。
「え?」
「十年前の出会ったきっかけ自体、あんなだったろ? やっぱり、心配だったんだよな。それに火傷も酷かったし、どうしてるか気になってたんだ。でも、ピオッジャ中探しても、どこにもいなくて。別れてからずいぶん経ってたし、引っ越しした可能性も考えたんだけどよぉ。だれも翠の瞳の子供は知らねぇって言うから、オレは、てっきり…」
「てっきり?」
「…。叔父さんごと盗賊か傭兵崩れに襲われたんじゃねぇかって考えたんだ。子供は高く売れるから、どこかで奴隷にでもされてんじゃねぇかって。金でカタが付く奴が相手なら、軍人恩給注ぎ込んでもいいかと思ってたんだが、そうじゃねえ場合は、まあ、力技で連れて逃げようか、くらいまでは考えてたんだ。」
と、スピネルは苦笑交じりで話した。
「そんなことするなら、それなりに戦闘力は必要だからなぁ。ま、杞憂でよかったぜ。」
「そんな素振りは… あんなとこに入り浸ってたのに?」
報告書の内容だけが全てじゃないのかもしれないけれど、全てだと思ってしまうほどには再会時のスピネルはガラが悪かったのに、とサプフィールは首を傾げる。
「…蛇の道はヘビ、っつうだろ? 場末の酒場にはそう言うやつらが集まるからよぉ。あんな場所でお上品にしてると却って信用されねぇんだよ。郷に入っては郷に従えってやつだな。で、用心棒やったりしながらいろいろ情報集めてたんだぜぇ。でも、どうやっても分からなかった。…まあ、そうだよな。いいとこの坊ちゃんだとは思ってたが、まさか領主サマとはな。完全に盲点だったなあ。」
こんなこと、本当は説明なんかしたくなかったぜ。と、スピネルは視線を窓の外に移した。一生胸にしまっておこうと思っていたことを、まさかこう易々と喋らされる日が来るとは。
「なんか、どうしよう。」
「あ?」
「お前にそんなに大変な思いさせてたって言うのに、なんか、嬉しい。」
視線をサプフィールに戻せば、薄暗い部屋では分かりにくいが頬を染めているだろうと予測できる素振りだった。
「…。ちょっともう、大人しくしてろ。」
自分の上に馬乗りになっているサプフィールをベッドに引きずり下ろすと、スピネル自身はベッドから出る。
「スピネル、ゴメン、おれ…」
「あー、違うから。怒ったとか思ったんだろ? 別に怒ってねぇよ。…さっきの今でそんなに触られると… ちょとな。それに、もうすぐ夜が明ける。」
軽くガウンを羽織ったスピネルは、ちょっと待ってろと言うと客室に誂えてあるバスルームに入っていった。
「夜が明けたら何だってんだ…」
サプフィールは唇を尖らせていると、間を置かずスピネルが戻ってくる。
「ここにアンタが居るってのは、あんまりよくないと思うぜぇ…」
そう言って、濡れタオルでサプフィールの体を清めていく。ま、タオルだから、あんまり綺麗にはならねえか、と笑うスピネルの顔に影があるようでサプフィールは不安を覚えるのだった。
「なんだよ、別にここはおれの館なんだどこに居たっておれの自由だろ。」
「極論だなあ、それ。オレの態度悪くて、執事とかにだいぶ嫌われただろうからよ。アンタの領主としての立場が危うくなる。領主ってのは、領民や使用人たちの支持があってこそだ、違うか?」
スピネルはサプフィールと視線を合わせて言う。
「傭兵なのに、なんでそんなガキの頃の家庭教師みたいなこと言うんだ!」
「ああ、オレの師匠… 剣士のくせにやたらインテリだったんだよなぁ… 剣術以外もマナーとかいろいろ仕込まれたぜぇ…」
げんなりした様子で、スピネルが言う。どんな師匠だったんだろう、とサプフィールは興味を持ったが、彼の様子から今は聞くのを止めておこうと思った。
そしてスピネルが続ける。
「だからよ、アンタ、今はいったん自分の部屋に戻った方がいい。明日、いつでも良いからよ、オレのこと執務室に呼んでくれ。それからにしようぜ、一緒に居るようにするのは。今夜はフライングだなぁ… 無かったことにするつもりはねぇが、他の誰にも知られる訳にゃいかねえと思う。いい子だから、な?」
こんな風に優しく諭されてしまうと、サプフィールはこれ以上我を通せないと思った。そもそも、スピネルの言う事の方が一理あることくらい理解できる。
「…分かった。明日だな?」
「ああ。明日な。執務室に呼んでくれ、ついでに人払いもな。で、どんな風に一緒に居るか決めようぜ。」
「ん。部屋に戻る。」
サプフィールが頷いたのを確認したスピネルは、彼が着てきた部屋着を着せていく。自分で着れる、と言う彼に「良いから世話されてろよ。」と笑いながらスピネルはその手を止めない。
片腕なのにずいぶん器用だな、とサプフィールが感心している間に支度は終わっていた。
「じゃ、行くか。」
そう言ったスピネルはこれまた器用にサプフィールを抱え上げる。
「は? 何してんだ?」
「何ってアンタの部屋まで連れてくんだよ。アンタまだ腰しんどいだろ?」
「それは… だからって…」
「誰かに見られる前に行くぞ。あ、ドアは開けてくれよな。」
事も無げに言ってのけるスピネルに、サプフィールは彼の中で自分はまだ十の子供として認識されているのではと疑いを持ち始めた。過保護すぎる。ここで言っても言い包められそうな気配がしたので、今のところは彼に従っておこうと思うサプフィールだった。
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