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サプフィールの奮闘
浮かれている、とサプフィールは思った。スピネルと二人、故郷に旅立つことを思い立ってからずっと。あまりの機嫌のよさに、スピネルも使用人たちも怪訝な視線を向けてくる。それに気付いているのに全く気にならない。不思議なものだと、サプフィールは思う。
ただ歩いているだけなのに、こんなにも浮足立っている。ふわふわと舞い上がるような、そんな感じだ。
こんなにも。こんなにもスピネルのことを好いていたのだと、改めてサプフィールは思い知った。故郷がもう昔の姿を留めていなくても。両親が待っていてくれなくても。…ほんの少し、身勝手さと薄情さに胸を締め付けられても、それでも。
あの時、スピネルに助けられた時、大事な人が両親から入れ替わってしまっていたんだろう、とサプフィールは考える。両親が大切じゃない、訳ではない。今も、力になれなかった過去に胸が締め付けられるくらいには、慕っている。だけど、それ以上にスピネルの存在が大きいのだ。
最新の義手をスピネルに送った日も、非常に気分が良かった。さすが英雄ミアハと言ったところだろう、最高の義手が届いた。その性能の高さ故に、依頼してから一年近く待たされたが致し方ない。スピネルの最新の義手を見て驚いた顔も、戸惑う表情も、そうして嬉しいと言って破顔したその様に、サプフィールは言いようも無いほど幸福を感じた。
ただ一つ、不満があるとすればその義手の使い勝手を試すと言い残して即訓練所に飛んで行ったことだろうか。追いかけてみると、もう既にルークと一戦交えていた。
あれから何だかんだと、方向性は違えども血の気の多い二人は馬が合ったようで、折を見ては良く手合わせをしていたことは知っている。その延長線上のことだと理解はできるが、喜び勇んですることがそれか、とサプフィールは複雑な気分になる。
それでも。両腕が揃ったスピネルの安定感は違っていた。模擬戦での動きもそうだったけれど、何より二人でいる時間が全く違う。片腕でも器用にあれこれ熟していたけれど、思い通りに動く義手は本物の腕と遜色がなく、両腕で抱きしめられる感覚に何より溺れるだけだとサプフィールは触れ合うたびに感じていた。
実は、スピネルに触発されてサプフィールも体を鍛え始めていて、今は以前に比べてもだいぶ逞しくなったと自覚しているしスピネルにも褒められた。筋肉質になるほど女性の体とはかけ離れていくのを、ほんの少し気にしていたサプフィールだったけれど、スピネルはそんなことは気にもしていないようでこっそり安堵したのは秘密だ。
「弱々しいよりは安心するなあ、これからも適度に鍛えればいいんじゃねえか?」
とある日、爽やかな笑顔でスピネルは言っていた。サプフィールの部屋に忍んできたその時に。
「あ? 安心ってどういう意味だって? いやほら… 女みてぇに細っこいと気ぃ使うだろ。」
そう言ってスピネルは少し不満気にしているサプフィールの顔にキスを落としていく。彼の言葉の意味を考えて、サプフィールの体は一気に熱を持ったものだった。
多分、その意味の一つは護衛対象としてなのだろうとも思い付いている。ただ守られるだけの存在よりは自衛できるだけの力がある方がいいのだろうと。
もう一つ思い付いた意味が、サプフィールの熱をさらに燃え上がらせる。あの夜、喰われると思った。それでもきっと、手加減していたのだろう、彼なりに。片腕しかなかったこともあるだろうけれど。だけど、今は。本物の腕と遜色なく動く最新の義手があって、自分は多少のことではへばらない程度には鍛えられた。
ああ、きっと全て喰らい尽くしてくれるのだろう。あの熱の籠った声でおれの名前を呼びながら、おれの全てを。ぞくぞくと背筋を駆け上っていくのはあの夜に勝る欲だ。スピネルと視線を合わせてそうして自分の欲は全部彼に筒抜けなのだと悟って、その後はもう…
いつかの夜を思い出して、サプフィールは仮面の下で頬を染めた。熱くなった頬に我に返って、周りに誰もいなくて良かった、と独り言ちで目的の部屋のドアをノックする。
叔父の部屋へこうして訪れるのはどれくらいぶりだろうか。そもそも訪れたことなどなかったかもしれない、とサプフィールは過去の記憶を辿る。
今日、サプフィールは叔父に領主としての身分を返上することについて話に来たのだ。相談ではない。もう決めた事だ。有無を言わせず承知させるための根回しも何もかも済んでいる。従兄弟に継がせるも良し、一度叔父が返り咲くも良し。どちらになってもこのピオッジャ領は暫くの間揺るがないはずだ。よほど愚かな選択をしない限りは。
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