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豪勢なスイートルーム。悠々自適に寛ぐにはなんら不便はない壮麗な空間で、白桃伊織――僕は激しく震える体をソファの上で縮こまらせ、迫りくる恐怖に怯えていた。
無理矢理着せられたウェディングドレスにはくしゃくしゃに皺が寄り、本来なら見惚れるだろう純白さが今はあまりに憎憎しい。
抱えている頭は力が篭るあまり髪を数本引き千切っていてもおかしくはないが、そんな痛みは勝る恐怖に消え失せている。父さんが見たら顔を蒼くしてすぐに僕の手を頭から引き離すだろうけど、元凶は紛れもない父さんだから、もし目の前にいたら当てつけに自分の髪を引き千切り捨てていたかもしれない。
――どうして諦めてくれないのっ……!
叫び出したい衝動に、涙が込み上げる。
いない筈なのに、脳裏で爽やかに笑う男の声が明瞭に聞こえてくるようだ。
『――約束しましたよね』
同意なんてしていない約束を持ち掛け、息苦しい僕の首を締めあげるように声音だけは優しく告げてくる。
僕の暗澹たる未来の先行きを告げるのは、僕の暗い心に反して汚れ一つない硝子テーブルに置かれたあまりに心許ないスマホ一台。縋る想いを全て乗せてずっと視線を注いだまま、離せる瞬間は一瞬もない。
スマホが新着を報せたのはほんの五分前の事だ。心の準備も整わないまま始まった争いは開始の合図を聞いて一時間経った程度で、僕の敗戦を濃くしていた。五分前にやってきた報せには残った防衛も空しく、陥落寸前の僕の戦況を無慈悲に伝えていた。
逃亡する事も、現在いる部屋の扉を開ける事も許されていない伊織はただひたすらに恐怖に震えて否応にもやってくる終わりを待つことしかできない。
「だから僕嫌だって言ったのに……っ」
溢れ切った涙が頬をぽろぽろと零れる。真っ黒なスマホ画面へと小さな溜まりをつくるが、拭う気力はなかった。
下の階では今回の戦い――不本意な僕を賭けた争奪戦で、僕を守る事を目的とした陣営の優秀なSP達が大勢で数人いた敵の唯一の生き残り、たった一人の強敵を相手に奮闘してくれている。冷たく静まり返った完全防音の室内では明確に感じる事は難しいが、詳細にやってくる報告は切羽詰まった戦況を伝えてくれていた。
勝利を信じたい。というよりも信じるしかない。
「父さんの馬鹿……っ!」
今朝、僕の幸せの為だと言いながら嫌がる僕を冷たい現実に突き落とした父親を脳裏で何度も詰る。
大昔でもないんだから、亡くなった妻の分まで溺愛している息子の為だろうと数人に息子の花婿の座を争わせるなんて普通しないだろう。しかも全員がなんと――同性なのだ。
恋愛なんてろくに考えた事もない人生だったけど、僕の恋愛対象は女性である。大事な息子を自分が認めた者以外に渡したくない結果などと必死に弁明していたが、僕にしてみればそもそも恋愛は僕の自由である。
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